より3さん
2021/05/03
神社シリーズその71「佐香神社」~大国主伝説を巡る旅Part2~
次は「佐香神社」という神社に参拝です。
場所は
宍道湖の左端上のあたりです。
強風の中宍道湖沿いを走り、13:30ごろ到着。
ここは知られざる「酒造り発祥の地」なんです!鳥取県に弥生時代の水田の跡が見つかったことからも早くから酒造りはあったように思います。
ものすごく、のどかな場所にあります。
御祭神は「くすのかみ」となっていますが、
ウィキペディアで調べると・・・
見えにくいですが、「少彦名神の別名ともされる」とあります。
どうやら、スクナヒコナはここで他の神々たちと大宴会を催したようです。
この神話だけで神社が建ってしまうとは、よほどスクナヒコナがもたらした酒はおいしかったのでしょう!このことからも、大国主命とスクナヒコナの国造り(交易による同盟国の締結)は平和に行われたに違いありません。
さて、神社に入ってみます。
例の舟形手水鉢。
こっこれは・・・
なんちゅう階段!
狛犬さん。威嚇タイプ。いやー帰ってきた感じですね。(私は広島県人ですが)
気をつけましょう。
登りきると、お座りタイプの狛犬さん。
いい風化具合です。
手水舎はコロナのため水が抜かれています。ちらりと覗くゴスロリ少女・・・
拝殿の中です。
急な階段を登ってきたせいで、すっかり社殿を撮影するのを忘れていました。(なんでだろ)。しかも賽銭箱の隣に御朱印は宮司さんの家で頂けるとあり、地図が載っていました。なんとこの神社のすぐ隣でした。
まさかこの小さな神社で御朱印がもらえるとは!
さっそく行きましょう。
そんなこんなですっかり写真を撮り損ねているのでした。
宮司さんの家に行くと、宮司の奥さんが丁寧に対応してくださり、奥にいらっしゃる宮司さんがすぐ書いてくれるのかと思いきや、少し待ってくださいと。
なにかな?と思っていたら、なんと宮司さん、ちゃんと着物に着替えてきてくださり、御朱印帳に書いてくれるんですよ。
すごいことですよね。別に部屋の奥でさっと書けばいいものを、宮司としてきちんと対応してくださるとは、頭が下がります。
なかなか味のある書体ですな。感謝です。
玄関先での対応でしたが、なんだか田舎のばあちゃんちに来たような感覚でした。
少し世間話をして失礼しました。
スクナヒコナと大国主命の二人はいろんな神社でコンビで合祀されています。
二人は兄弟の契りを交わしていろんな国へ出かけたとあります。
【妄想タイム】
少し話が戻りますが、大国主命がスサノウノミコトの娘の素勢理毘売(スセリビメ)と駆け落ちするときにスサノウノミコトから多くの試練を受け最後にスサノウノミコトはあきらめたとありますが、疑問があります。スサノウノミコトはヤマタノオロチ退治後、隠居して根の堅洲国にいたとありますが、出雲の統治は続けていたのではないでしょうか?しかも恐怖政治で。
そこに若い大国主が来て娘と結婚し統治権を譲れと来たらまず許さないと思います。
では、大国主はスサノウノミコトとどう向き合ったのか?それは今まで訪問したスサノウノミコトを祀る神社を見ればわかります。
日御碕神社では祀られている社殿が女神仕様にされています。
須佐神社では神社を挟んで反対側に「アマテラスオオミカミ」を祀る神社を建てて見張らせ、さらに参道は横向きにして結界を張られています。
佐太神社ではスサノウノミコトを祀る社殿だけ通常の反対側に入口を作って出入りできないように。
熊野大社では両脇を最愛の女神らで固めて骨抜き状態。
こうまでして封じ込めないといけない理由とは
おそらく殺してしまったのでしょう・・・
もしくはスサノウノミコトそのものではなく、当時の出雲を制していたスサノウ派ともいえる人達かもしれません。(八十神らもその一派?)
しかしその後の出雲の平和は保たれ大きく国が成長したのですから結果良かったのかもしれません。個人的な考えですが大国主命はとことん平和主義な神だったと思います。二度も死にかけてそれでも戦わず逃げているところなんか。廻った神社や神話からも荒々しいイメージはありませんでした。
でもどうしてもスサノウノミコトの呪縛は切らないといけないと思ったのかもしれませんね。
以上妄想タイムでした。
次はなぜ出雲が古事記などの舞台なの?についてです。
では!
Posted at 2021/05/05 17:45:15
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