小椋佳
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栃木という海なし県に生まれたせいか、時たま無性に海を見たくなることがあります。足利から海水浴に行くとすると、茨城の大洗や阿字ヶ浦か新潟の鯨波に行くことが多いです。 日本海は距離的に遠いので気軽に行けるものではありません。太平洋に比べると回数的にどうしても少なくなっていまいます。柏崎の海に海水浴に行ったのは2回です。1度目は高校時代に悪友たちと行きました。お金がなかったのでテントでキャンプをしました。まだ何でもできると思っていました。2度目は20年近く前で、娘二人がまだ小さい時でした。安い民宿に泊まりました。4人で眺めた日本海の落陽は神々しいものでした。 「しおさいの詩」(作詞/作曲:小椋佳)は1971年に発売された小椋佳のデビュー曲です。 私はシングル盤ではなく、「彷徨」というアルバムで聴きました。友人のお兄さんに借りて何度も何度も繰り返し聴きました。 この歌だけでなく「春の雨はやさしいはずなのに」「木戸をあけて~家出をする少年がその母親に捧げる歌~」「六月の雨」「少しは私に愛を下さい」「屋根のない車」「さらば青春」といった一連の曲は今でも心にしみます。 ここ数年体 ...出典:ツゥさん
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春は別れの季節です。多くの別れをしなければなりません。やはり寂しい気がします。かつてそんな気持ちを次のように詠みました。 春愁を如何ともしがたし 海へ行く 晃風 春愁を感じるのは仕方のないことです。また海にでも行こうかな…。 「春の雨はやさしいはずなのに」(作詞/作曲:小椋佳)は1971年に発売されました。シングル盤もありましたが私は2枚目のオリジナルアルバム「雨」で初めて聴きました。友人のお兄さんに聞かせてもらったのです。文学を好きになり始めた私に小椋佳の曲と詞はすんなりと入ってきました。 今日は夕方から雨が降るという予報でしたが、降りませんでした。ブログをアップしてふと窓の外を見ると雨が降っています。そんな春雨の音を聞いていると、いろいろな顔が頭の中に浮かんできました。あなたの顔も浮かびます。でもぼやけてしまっています。 あなたとのことはいつしか悲しい恋の思い出になってしまいました。どってことないんかな、どってことないんかな…。出典:ツゥさん
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本格的な梅雨になりました。六月の花である紫陽花が綺麗です。 桜桃忌であった昨日は日本海側で大雨でした。富山の皆さん、大丈夫でしたか。被害をもたらすような雨は嫌ですね。 足利は朝から雨です。今週末もお出かけできそうにないので、今日の午後は温泉にでも浸かって来ようかと考えています。大雨にならなければいいのですが…。 「六月の雨」(作詞/作曲:小椋佳)は1971(昭和46)年に発売された小椋佳の2枚目のシングルです。この曲はシングルではなくファーストアルバム「青春~砂漠の少年~」で聴きました。初期の小椋佳には名曲が多いです。六月になるとつい口ずさんでしまいます。 カレンダーを見ると明日は夏至です。来週末で6月も終わってしまいます。時が過ぎるのは本当に早いです。めまいがします…。出典:ツゥさん
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今の職場の上司にヤギさんがいます。私と同い年なのですが、博学才穎でいろいろな事柄に薀蓄を傾けます。それはそれでためになるのですが、時折オヤジギャクが挟まります。たまに聞いていて面倒くさくなることがあります(笑) そんなヤギさんが先日一緒に呑んでいたら急に怒り出しました。最初はよくわからなかったのですが、小椋佳に対して怒っているらしいのです。 「シクラメンのかほり」(作詞/作曲:小椋佳)は、1975(昭和50)年に発売された布施明のシングルです。この年のレコード大賞を初めとした音楽賞を総なめにしました。一部のフォークファンに知られていた小椋佳もこのヒットにより多くの人に知られるようになりました。 ヤギさんの怒りは題名の「かほり」に対してでした。「香り」の歴史的仮名遣いは「かほり」ではなく「かをり」が正しいというのです。その間違いが人々に広まったのはこの曲のせいだというのです。東大を出て一流の銀行に入行した小椋佳は、そんなことも知らなかったのかと怒っているのです。周囲にいた同僚たちは困った顔をしていました。 ヤギさんは高校時代に真面目に古文を勉強していたのでしょう。そ ...出典:ツゥさん
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今日は土曜出勤でした。年末からの忙しいというか、気ぜわしい仕事がやっと一段落しました。本当は明日まで仕事の予定が入っていたのですが、なんとか今日で終わりました。 年度末までまだまだ気は抜けないのですが、体は楽になりそうです。少しのんびりとした毎日を過ごしたいものです。明日は温泉ドライブに行くつもりです。久しぶりに栃木の温泉にでも浸かりに行こうかなぁ…。 「白い一日」(作詞:小椋佳 作曲:井上陽水)は1973(昭和48)年に発売された井上陽水の3枚目のアルバム『氷の世界』のA面の6曲目に収録されています。陽水の名曲ぞろいの名盤です。ほとんどの曲を弾き語りで歌ったものでした。 小椋佳も翌年にシングルとしてリリースしていますが、歌詞とメロディが異なっているのです。「かといってふれもせず」の部分はメロディが違います。 「シクラメンのかほり」でもメロディが違いましたね。小椋佳が意識的にやっているように思えてしかたがありません。歌詞の方の「落ち込めればいいのだけれど」と「持ち込めればいいのだけれど」は、陽水の勘違いらしいです。 こういうことはフォークでは時々あります。例えば、ユ ...出典:ツゥさん
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今晩呑んだのは「出羽桜 純米吟醸」(出羽桜酒造)です。山形県のお酒です。 山形県が開発した酒造好適米「出羽燦々」を使用したお酒です。使用酵母は山形酵母KA、こ う じ菌はオリ―ゼ山形というすべての原料が山形オリジナルのお酒です。出羽燦々誕生記念の日本酒だそうです。 こんな歌を口ずさみながら美味しくいただきました。 「愛燦燦」(作詞/作曲:小椋佳)は、1986(昭和61)年に発売された美空ひばりのシングルです。ひばり晩年の代表作で、多くの歌手がカバーしています。小椋佳もセルフカバーしています。 体調不良、精神不安定な時のみん友さんたちのブログへのコメントは私に元気を与えてくれました。毎日美味しい料理を作ってくれるマァには頭が下がります。出典:ツゥさん
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年度末です。職場ではここ数日で片付けもほぼ終わりました。昨晩の送別会では退職される方とお別れをしました。お世話になった酒好きのタカオさんともいろいろなお話をしたのですが、今朝起きたらすっかり忘れていました。今度また酒を呑みながら話をすればいいですよね。 明日からは新年度です。足利の桜も満開になりそうです。気分も新たに仕事に取り組もうと思っていたのですが、1つだけ気がかりなことがありました。ひな祭りの頃に知人から相談を受けていたのです。高校生の娘さんが突然記憶喪失になってしまったというのです。「俺が誰なのかもわからないんだ」と言っていました。聞いていて切なくなりました。 「想い出して下さい」(作詞/作曲:小椋佳)は、1972(昭和47)年に発売されたアルバム『帰っちゃおうかな 』に収録されています。初期の小椋佳の名曲ですね。1980年に放映されたTBSテレビドラマ『あゝ野麦峠』では主題歌として使われました。ドラマでは森下愛子が主演でしたが、映画では大竹しのぶが主役でした。ドラマも映画も観た記憶はありませんが、山本茂実の書いた原作は読みました。 今日、知人から連絡がありま ...出典:ツゥさん
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年を重ねるにつれて時が経つのが早く感じられるようになってゆきます。 数日前は娘の誕生日だったのですが、齢を聞いてめまいがしました。もうそんな齢になったのかと思いました。私も年をとるはずです…。 「めまい」は1975(昭和50)年に発売されました。この曲を聴いたのは私が高校生の頃でした。ばら色の未来を考えていたわけではありませんでしたが、自分の年齢など考えもしない時期でした。「時は私にめまいだけを残してゆく」という歌詞を聴いて「なんて大げさな」と思っていました。ですからこの曲は最初はあまり好きではありませんでした。ところが、年を取るにつれて心にしみるようになってきたのです。今では何かの折に口ずさむようになりました。 あなたと逢えなくなって、もう10年以上が経ってしまいました。あなたとの愛は眠りについてしまいました。もう揺り起こすつもりはありません。それなのに…。出典:ツゥさん
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私が小椋佳を知ったのは高校生の時でした。名前は井上陽水の『氷の世界』の中の「白い一日」の作詞者として知っていましたが、何者かは全く知りませんでした。 ある日同級生の家に遊びに行き、フォークソングの話をしていると友人のお兄さんが「こんなレコードを聴いたことがあるかい?」と見せてくれたのが『青春 〜砂漠の少年』と『雨』でした。その場で聞かせてもらったのですが、小椋佳の歌は文学に興味を持ち始めたフォーク少年の心の中に染みこんできました。すぐに頼み込んで貸してもらい、テープにダビングして受験勉強の時によく聴いたものでした。 「少しは私に愛を下さい」(作詞/作曲:小椋佳)は、1971(昭和46)年に発売された小椋佳の2枚目のアルバム『雨』に収録されています。小椋佳の曲の中でもよく口ずさんだ曲です。学生時代に暗い下宿で好きだった女性の前で歌った記憶があります。みごとふられましたが…。この曲は小椋佳が「日本勧業銀行」と「第一銀行」の合併の知らせを聞いたときに作った曲だそうです。時代を感じさせますね。今は何銀行になっているのでしょうかね。 小椋佳の存在は世間の人に徐々に知られていきま ...出典:ツゥさん
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皆さん、こんにちは。足利は晴れていますが、風が強いです。日差しがあって家の中にいる分には過ごしやすいのですが、外に出ると少し寒く感じます。 さて、温泉巡りにでも行きたいところですが、こんなご時世ですので自粛しています。そんな気分にはなれません。家のお風呂に入浴剤を入れて温泉気分を味わうだけです。 音楽ブログでも旅の気分を味わえる曲を紹介しようと思いました。最初はこんな曲です。 「俺たちの旅」(作詞/作曲:小椋佳)は、1975(昭和50)年に発売された中村雅俊の4枚目のシングルです。ドラマ『俺たちの旅』の主題歌でした。B面の「ただお前がいい」も好きでした。 中村雅俊は私にとっては兄貴のような存在でした。ドラマ『われら青春!』を見て、沖田先生のようになりたいと思ったのです。ミュージシャンとしても憧れていました。「ふれあい」「いつか街で会ったなら」「心の色」「恋人も濡れる街角」やこの曲はカラオケでもよく歌いました。 この歌は千葉の下宿の中でのイメージが強いです。文学を志していた私には小椋佳の詞は大変興味深いものでした。弾き語りしながらその意味を考えたりしていました。そ ...出典:ツゥさん
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皆さん、こんにちは。 足利は昨日から梅雨入りしました。昨日は午後豪雨となりました。ちょっと驚きました。今日も雨が降るのかと覚悟していましたが、昼間は雨が降りませんでした。夜には降ってくるのかな? 昨年の今日6月12日は、山陰・山口まで行って帰ってくると言う長期遠征の最終日でした。各地の名湯に浸かったり、みん友さんに会ったりという楽しい遠征でした。あれから一年が経ったのですね。早いものです。 「大いなる旅路」(作詞:小椋佳 作曲:渡辺岳夫)は、1972(昭和47)年に発売された小椋佳の5枚目のシングルです。4枚目のアルバム『帰っちゃおうかな』にも収録されています。またテレビドラマ『鉄道100年 大いなる旅路』というテレビドラマの主題歌でした。ドラマを全部見たわけではありませんが、なんとなく憶えています。 今年も長期遠征をしようと計画し始めた矢先にコロナ騒動が起きてしまいました。今年はもう遠征には行けないのでしょうか。考えてしまいます。とりあえず、来週は甲府詣でに行く予定です。出典:ツゥさん
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「甲府詣で」で「杖温泉 弘法湯」に来ています。温泉に浸かった後、ビールを呑みながらブログを書いています。 いつもなら荷物をすぐに置いて風呂に行くところですが、今日は確認したいことがあって玄関に入るとすぐにフロントに掛かっている色紙を確認しました。 誰の色紙だかわかりますか?森川正太さんのものです。すぐに女将さんに話をしました。 「森川正太さん、亡くなってしまいましたね…。」 「えっ?そうなんですか?知らなかった…。」 「12日の朝だったそうですよ。胃がんだったそうです。」 「まだお若いでしょうに…。」 「67歳です。」 「・・・。」 「色紙の日付は平成二十二年正月となっていますが、その後は来ていないのですか?」 「いえ、その2年後くらいにふらっと来てくださったのよ。一番最初は平成二十年頃だったので3回来てくださったのよ。」 「色紙は女将さんが頼んだのですか?」 「1回目に来たときに見たことがあるなと思ったのよね。2回目の時に思い切ってお願いしたの。私のような芸能界の片隅にいる役者でよければなんて言いながら絵まで描いてくれたの…。」 私が森川正太を初めて認識したのは ...出典:ツゥさん
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訃報です。東映会長の岡田裕介氏が亡くなりました。71歳でした。謹んでお悔やみ申し上げます。 映画はほとんど観ませんので、岡田氏について語る立場にはありません。しかし、一つだけ語りたいことがあります。 小椋佳の初期のLP『青春 〜砂漠の少年』『雨』『彷徨』は、友人のお兄さんからまとめて借りました。デビューアルバム「青春 〜砂漠の少年」のジャケット写真は当時は役者をしていた岡田裕介でした。2枚目の「雨」では顔が大きく写っています。当時はそんなこととは知らない私は、それが小椋佳のものだと思っていたのです。小椋佳の顔を認識したのはNHKで放映された初コンサートの時でした。 「あいつが死んだ」(作詞/作曲:小椋佳)は、1971(昭和46)年に発売されたデビューアルバム『青春 〜砂漠の少年〜』に収録されています。『青春』と『雨』を再構成したサードアルバム『彷徨』にも収録されています。題名の通り暗い内容の歌です。小椋佳のファンでもこの曲を取り上げることはあまりありません。根が暗い私はふと思い出すことがあるのです。 『彷徨』は売れましたね。このアルバムによって小椋佳の名は一躍全国に ...出典:ツゥさん
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皆さん、こんにちは。 足利は冬晴れです。風が少し強いので外は寒いです。部屋に閉じこもって、藤井聡太二冠と阿久津八段の竜王戦を観ています。たまにユーチューブの動画を見たり、読書したり、昼寝をしたりしています。 うとうとしていてふと目が覚めると、夢なのか現実なのかわからないことがあります。老人力がかなりつきました(苦笑) 「夢芝居」(作詞/作曲:小椋佳)は、1982(昭和57)年に発売された梅沢富美男のデビュー曲です。 梅沢富美男は大衆演劇のスターです。大衆演劇というのがあるのは知っていましたが、観たことはありませんでした。テレビの中で踊る女形の梅沢富美男を観た時はちょっと驚きました。下町の玉三郎としてお茶の間の人気になりました。現在ではミスタープレバトとして活躍していて、俳人としても有名ですね。 梅沢富美男は歌手として好きなのです。独身の頃、職場の近くの飲み屋でよく梅沢富美男の曲を歌っていました。カラオケが8トラの時代でした。「演歌みたいな別れでも」「キャラバン」まで歌った記憶がありますが、何と言っても「夢芝居」です。 作詞作曲は小椋佳です。小椋佳のセルフカバ ...出典:ツゥさん
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皆さん、おはようございます。足利は曇っていますが、雨が降る気配はありません。予報では晴れる時間もあるようです。 GW中はお出かけはしていません。近くをウォーキングするくらいです。毎日同じような道を歩いているのですが、それでも新しい発見があります。花もそうです。若い頃はなんともなく思っていたのですが、最近はこれはなんという花なのだろうと近づいて見てしまいます。今はGoogleレンズという便利なものがあるので調べています。それで何シテル?に「散歩道に咲く花🌷」として紹介しています。 昨日の花はウスベニアオイでした。もちろん知りませんでした。名前を知った時に歌を口ずさんでしまいました。1曲目は「ハナミズキ」です。そして2曲目がこの歌でした♪ 「うす紅色の」(作詞/作曲:小椋佳)は、1973(昭和48)年に発売された小椋佳の8枚目のシングルです。このレコードは買っていません。私が聴いたのは前年にリリースされた4枚目のアルバム『帰っちゃおうかな』でです。友人のお兄さんに初期の小椋佳のアルバムを借りてダビングして聴いたのです。 高校生になったばかりの私は拓郎や陽水といったフ ...出典:ツゥさん
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またまた絶版ものが手に入りました( ...
