#井伊氏のハッシュタグ
#井伊氏 の記事
-
井伊直政の娘で宗良親王の妃駿河姫を開基として祀る金地院/金地院(浜松市北区・旧細江町)
金地院は山号は定光山、臨済宗妙心寺派の寺院です。開山は紀州興国寺法燈国師の法孫杲巌(こうがん)和尚です。建武年間(1334~6)の創建と伝えられています。南北朝の時代、井伊家は南朝方について、当地域の
2017年3月16日 [おすすめスポット] ピズモさん -
井伊直政の父・井伊直親の墓/井伊直親の墓(浜松市北区・旧細江町)
井伊家16代井伊肥後守直親は井伊直満の子で,天文13(1544)年、父が家臣の讒言のため今川義元により殺された時は9歳でしたが、難が及ぶことを恐れ信州松源寺へ逃れました。弘治元(1555)年、20歳の
2017年3月15日 [おすすめスポット] ピズモさん -
三岳山の山頂にある井伊氏の本城・三岳城/三岳城(浜松市北区・旧引佐町)
三岳城は三岳山の山頂にあり、井伊氏の築いた諸城の内の本城です。当時、三岳神社は山頂部にも施設があり、山岳一帯は修験の場となっていました。この時代の城跡は、そうした山岳寺院(神社)を利用したものです。南
2017年3月14日 [おすすめスポット] ピズモさん -
井伊氏発祥の地とされる伝井伊共保出生井〔共保公出生の井戸〕/伝井伊共保出生井〔共保公出生の井戸〕(浜松市北区・旧引佐町)
寛弘7(1010)年、井伊氏初代の井伊共保が生まれたと伝わる井戸です。共保は、遠江国司として志津城を居城とした藤原共資の養子となり、井伊谷に移り姓を「井伊」としました。江戸時代に建てられた笠塔姿形の石
2017年3月12日 [おすすめスポット] ピズモさん -
井伊氏の居館・井伊氏居館/井伊氏居館(浜松市北区・旧引佐町)
江戸幕府の柱石の大名中、数少ない大老職の家柄と仰がれた彦根藩主井伊氏発祥の地は、引佐の井伊郷で、この場所が屋形の跡です。井伊氏の元祖共保は、藤原鎌足5世の裔、閑院左大臣冬嗣の男良門の流れを掬む藤原備中
2017年3月10日 [おすすめスポット] ピズモさん -
井伊直満とその弟の直義を祀った塚・井殿の塚/井殿の塚(浜松市北区・旧引佐町)
井殿の塚は、井伊直政の祖父、井伊直満とその弟の直義を祀った塚です。天文13(1544)年12月井伊直平の嫡子直宗の弟直満並びに直義兄弟は、戦国大名今川氏と武田氏両軍の対立に際し、今川義元と内通していた
2017年3月10日 [おすすめスポット] ピズモさん -
宗良親王の御念持仏「足切観世音」を祀るお堂で井伊直満の館跡にある足切観音堂/足切観音堂(浜松市北区・旧引佐町)
足切観音のある場所は、井伊直虎の叔父、直満らの屋敷跡と伝えられています。足切観音は宗良親王の御念持仏「足切観世音」を祀るお堂です。「慈は心も遠江、井伊谷の里の円通寺、本尊足切観音・・・」と念仏和讃で有
2017年3月9日 [おすすめスポット] ピズモさん -
宗良親王を祀り、境内には小野政次を祭神とする但馬社を合祀した天王社がある二宮神社/二宮神社(浜松市北区・旧引佐町)
二宮神社は多道間守と宗良親王との御二柱を祭神とする神社です。かつては三宅神社と称し、天日槍尊の4世で、井伊郷の荘司三宅氏の始祖多道間守の尊霊を奉祀した延喜式の式内社に列せられた霊社です。第11代垂仁天
2017年3月8日 [おすすめスポット] ピズモさん -
井伊氏の居城だった井伊谷城/井伊谷城(浜松市北区・旧引佐町)
井伊谷城(井伊城)はこの城山の南麗にあり、本丸、二の丸、三の丸に分かれ井伊家の居城でした。井伊氏は、平安時代の在庁官人からはじまり、中世には国人領主として、浜松市北区一帯(引佐、細江、都田)などを治め
2017年3月7日 [おすすめスポット] ピズモさん -
井伊直虎の菩提寺・妙雲寺/妙雲寺(浜松市北区・旧引佐町)
妙雲寺は山号は浩徳山、臨済宗妙心寺派に属する寺院で、もともとは自耕庵とよばれていました。戦国時代、井伊氏の苦難を支えた次郎法師(井伊直虎)の菩提寺であり寺号は次郎法師の法名、妙雲院殿にちなみます。次郎
2017年3月7日 [おすすめスポット] ピズモさん -
渭伊神社境内にある古代遺跡・天白磐座遺跡/天白磐座遺跡(浜松市北区・旧引佐町)
天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき)は、渭伊神社の境内にあります。「延喜式」にその名を載せる渭伊神社本殿の背後にある薬師山の頂上に位置し、約40m四方にわたって群在する巨石群を神の依代(磐座)として
2017年3月7日 [おすすめスポット] ピズモさん -
井伊氏の氏神となった渭伊神社/渭伊神社(浜松市北区・旧引佐町)
渭伊神社は創立の年代は不明ですが、三代実録に「貞観八年十二月二十六日授遠江 国正六位上蟾渭神」とあります。かつては、今の龍潭寺境内にありましたが、南北朝時代に今の地に移転したといわれています。渭伊二十
2017年3月7日 [おすすめスポット] ピズモさん -
井伊家の分家である奥山氏の居館・奥山氏居館/奥山氏居館(浜松市北区・旧引佐町)
井伊家の分家である奥山氏の居館跡がこの地に想定されています。奥山氏は分家とはいうものの、嫡流家に匹敵する力を持っていました。南北朝時代の当主奥山六郎次郎朝藤は、後醍醐天皇の皇子、無文元選を招き、奥山方
2017年3月3日 [おすすめスポット] ピズモさん -
井伊氏の一族奥山氏が創建した方広寺/方広寺(浜松市北区・旧引佐町)
方広寺は山号は深奥山、臨済宗方広寺派の大本山です。別称、奥山半僧坊といいます。建徳2(1371)年、この地の豪族奥山六郎次郎朝藤の招きにより、無文元選禅師を開山として奥山家の治めていた所領のうちから6
2017年3月2日 [おすすめスポット] ピズモさん -
井平氏の居城で仏坂の戦いで落城した井平城/井平城(浜松市北区・旧引佐町)
井平氏は、井伊家七代井伊弥直の時代に分家、井平四郎左衛門直時が井平氏の祖となり井平・花平の領主で殿村に居館を構えていました。南北朝期井伊家の枝城が記されている浜名古城記に「北は伊平の川東、今城山と云う
2017年2月28日 [おすすめスポット] ピズモさん -
井伊氏の一族井平氏の居館・井平氏居館/井平氏居館(浜松市北区・旧引佐町)
この場所は、井平氏の居館跡と伝えられております。寛元3(1245)年、井伊家から分家した井平直時は此処に居館を構え、この先北方の300mの山麓に城を築き、井平氏の祖となりました。それから約330年の間
2017年2月28日 [おすすめスポット] ピズモさん -
仏坂古戦場の戦死者を葬ったふろんぼ様/ふろんぼ様(浜松市北区・旧引佐町)
ふろんぼは古坊か古い墓の訛ったものか、古来からふろんぼと呼ばれてきました。元亀3(1572)年10月22日武田信玄が遠江に侵攻した折 山県三郎兵衛昌景の率いる一隊は東三河から山吉田鈴木岩見守重好を攻め
2017年2月28日 [おすすめスポット] ピズモさん -
井伊直虎の許嫁、亀之丞(直親)が追手から逃れるときに隠れたといわれる亀之丞の隠れ岩/亀之丞の隠れ岩(浜松市北区・旧引佐町)
亀之丞の隠れ岩は、永正14(1545)年、井伊直虎の許嫁、亀之丞(直親)9才の時に家老、小野和泉守の陰謀から身の危険を感じ、家来の今村藤七郎が背負うカマスに隠れて井伊谷を脱出し、逃亡の途中、追手から身
2017年2月28日 [おすすめスポット] ピズモさん -
三方ヶ原合戦の前哨戦ともいうべき戦い・仏坂古戦場/仏坂古戦場(浜松市北区・旧引佐町)
元亀3(1572)年に武田信玄が遠江に侵攻し、三方ヶ原合戦の前哨戦ともいうべき戦いがこの地で展開しました。遠江に侵攻する際、武田方は軍勢を信玄率いる本体と別働隊に分けて侵攻し、その内、山県昌景率いる別
2017年2月28日 [おすすめスポット] ピズモさん -
「川名のひよんどり」で知られる福満寺薬師堂/福満寺薬師堂(浜松市北区・旧引佐町)
福満寺は、現在薬師堂だけが残されていますが、かつては12の塔頭をかかえる大寺院だったと伝わります。本尊の薬師如来は、奈良時代の高僧行基の作といわれ、この像は、山吉田の満光寺と春山の薬師堂のものと同木で
2017年2月25日 [おすすめスポット] ピズモさん