× 閉じる
天正10年(1582年)3月、甲斐国国主武田勝頼は、織田信長・徳川家康連合軍の侵攻により甲府から移転した本拠であった新府城(韮崎市)を捨て、家臣の郡内領主小山田信茂を頼り落ちのびようとしましたが、信茂
天正10年(1582)3月11日、織田・徳川連合軍に追い詰められた勝頼一族と家臣はこの田野郷で自害し果てました。中央が武田勝頼、右側が北条夫人、左側が信勝の墓です。