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#名和氏 の記事
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名和城跡/名和公一族郎党の墓
名和長年が船上山で鎌倉幕府軍と戦った時戦死した一族を祀ったもの、あるいは館に残った一族の女性や子どもたちの墓とも伝えられています。後醍醐天皇が都を追われ足利尊氏の天下になったとき、足利氏の家来によって
2020年10月20日 [おすすめスポット] うどん子@総統閣下さん -
行楽の秋 ② ~伯耆~
21日道の駅きなんせ岩美よりスタートします。朝イチでガソリンを入れて、道の駅から程近い「浦富海岸」へ。荒砂神社神社から日本海を見渡す展望台へ。こんなところで異人さんとすれ違いましたよ。グッモーニン(^
2020年9月29日 [ブログ] うどん子@総統閣下さん -
建武中興十五社/名和神社
隠岐を脱出した後醍醐天皇を伯耆船上山に迎え、鎌倉幕府倒幕に貢献した名和長年はじめ一族を祀った神社。
2013年9月21日 [おすすめスポット] うどん子@総統閣下さん -
宇土氏、菊池氏、名和氏等が城主となった中世の宇土城/宇土城〔中世宇土城・宇土古城〕(宇土市)
宇土城〔中世宇土城・宇土古城〕は「西岡台」と呼ばれる標高39mの小高い丘陵上にあります。西岡台の東約500mには、小西行長が16世紀末に築城した宇土城があるため「中世宇土城」「宇土古城」「宇土城(西岡
2011年9月28日 [おすすめスポット] ピズモさん -
名和氏、相良氏の居城だったかつての八代城・古麓城/古麓城〔八代城〕(八代市)
古麓城はかつては八代城と呼ばれていました。建武元(1334)年に名和義高が八代荘の地頭に任ぜられ、翌年には代官として一族の内河義真が下向し、南北朝の騒乱に備えて築城したと伝えられます。古麓城は、居城飯
2011年9月27日 [おすすめスポット] ピズモさん -
名和長年公を祀る神社・名和神社/名和神社(大山町・旧名和町)
名和長年は、後醍醐天皇が隠岐に流されたとき、その子長重とともに天皇を迎えて船上山で幕府軍と戦いました。その後南北朝の争乱により、足利軍と戦い、延元元(1336)年、京都一条大宮に敗れ戦死しました。名和
2010年4月24日 [おすすめスポット] ピズモさん -
名和長年公が、弓矢の稽古をするときに的にした石/的石(大山町・旧名和町)
弓の名手であった名和長年公が、弓矢の稽古をするときに的にした石と伝えられているそうです。名和氏一族の菩提寺の長綱寺近くに案内看板があります。県道240号旧奈和西坪線の高架下にあります。Photo Ca
2010年4月24日 [おすすめスポット] ピズモさん -
名和一族の菩提寺・長綱寺/長綱寺(大山町・旧名和町)
長綱寺は、名和氏の菩提寺です。名和長年が父・行高の60才を祝って建てた隠居所が始まりだそうです。名和長年は元々又太郎長高という名でしたので、長高庵といい、その後足利氏を憚って長綱庵と改めたそうです。そ
2010年4月24日 [おすすめスポット] ピズモさん -
名和氏2代の名和公屋敷跡/名和氏館跡(大山町・旧名和町)
「又太郎屋敷」、または「デーノヤシキ(殿の屋敷)」と呼ばれていて名和氏2代の館の跡であったと伝えられています。ここも長綱寺を目標に行くと、県道沿いに案内看板があります。Photo Canon EOS
2010年4月24日 [おすすめスポット] ピズモさん -
名和長年父子の五輪塔/三人五輪(大山町・旧名和町)
名和長年が京都で戦死した時に家臣が首級を持ち帰り、ここに葬ったと伝えられています。五輪塔は3基あり、向かって左から長年、長男の義高、三男の高光のものであると伝えられています。名和神社から南へ700mほ
2010年4月24日 [おすすめスポット] ピズモさん