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大友氏の家臣高田氏、竹中重利らの居城・高田城/高田城〔豊後高田城・豊州陣屋〕(豊後高田市)
高田城は、鎌倉時代に大友能直の家臣、高田重定により築城したといわれています。その後戦国時代にかけて大友氏の家臣、高田氏の居城でした。文禄2(1593)年、大友吉統が改易後、竹中重利が封じられ、城を拡張
2025年1月19日 [おすすめスポット] ピズモさん -
徳川家宣の朱印状により木付から杵築に改名・杵築城(木付城)/杵築城〔木付城〕(杵築市)
杵築城(木付城)は木付氏の居城でした。大友氏二代親秀の六男親重が、建長2(1250)年鎌倉幕府から豊後国速見郡武者所として、八坂郷木付荘に封ぜられ、地名の木付を氏とし、竹ノ尾の高台に竹ノ尾城を築きまし
2025年1月19日 [おすすめスポット] ピズモさん -
大友宗麟の奮戦籠城で知られ、江戸時代は稲葉氏の居城だった臼杵城/臼杵城〔丹生島城〕(臼杵市)
臼杵城は、大友宗麟によって永禄5〜6(1562〜1563)年に築城が築城し、拠点を府内から移したといわれています。しかし、近年では弘治年間(1555~1558年)以前にはすでに利用され始めていたのでは
2025年1月16日 [おすすめスポット] ピズモさん -
「荒城の月」の舞台・岡城/岡城(竹田市)
岡城は竹田城、臥牛城ともいわれる城で、文治元(1185)年に大野郡緒方荘の武将、緒方三郎惟栄えが源頼朝に追われた源義経を迎えるために築城したことが初めであるといわれています。しかし、惟栄は、大物浦を出
2025年1月16日 [おすすめスポット] ピズモさん -
大友氏の繁栄とその時代の暮らしぶりを学ぶことができる南蛮BVNGO交流館/南蛮BVNGO交流館(大分市)
南蛮BVNGO交流館は、平成30(2018)年9月30日にオープンしました前身の大友氏遺跡体験学習館は、平成20(2008)年4月25日に開館し大友氏遺跡の出土品などを展示してきましたが、平成30(2
2025年1月9日 [おすすめスポット] ピズモさん -
大友宗麟の館跡・大友氏館/大友氏館(大分市)
大友氏館は、府内と呼ばれた都市の中心に位置し、400年の歴史をもつ名門大友氏の領国支配の拠点として、14世紀後半に10代当主大友親世により備されました。以後、天正14(1586)年島津軍の府内侵攻によ
2025年1月9日 [おすすめスポット] ピズモさん -
豊後守護大友氏の館跡・上原館/上原館〔大友館・西山城〕(大分市)
上原館は、豊後守護の大友氏の館です。鎌倉時代後期に大友氏泰が築いたとも云われていますが、はっきりとしたことはわかっていないようです。かつては大友氏の中心的居館と云われており、大友義鑑が、嫡男の大友義鎮
2025年1月3日 [おすすめスポット] ピズモさん -
石垣原の合戦で戦死した大友軍の武将吉弘統幸を祀る吉弘神社/吉弘神社(別府市)
吉弘神社は、石垣原の戦いで戦死した大友軍の武将、吉弘統幸を祀る神社です。慶長5(1600)年9月13日、黒田如水八千の大軍と大友義統三千の軍と石垣原において戦いました。大友軍右翼の大将吉弘嘉兵衛統幸は
2023年8月5日 [おすすめスポット] ピズモさん -
吉弘統幸の菩提寺・宝泉寺/宝泉寺(別府市)
宝泉寺は、山号は太平山、臨済宗妙心寺派の寺院です。承安3(1173)年、法慈法師の創建により天台宗石雲山宝泉寺と呼び、本尊は阿弥陀如来、両脇に観音勢至の二菩薩でした。210余年経て堂宇は荒廃していまし
2023年8月5日 [おすすめスポット] ピズモさん -
石垣原の戦いでの激戦地・七ツ石/石垣原古戦場・七ツ石広場(別府市)
この付近は古くから「七ツ石」と呼ばれ、石垣原合戦の時、戦場となった所です。文禄元(1592)年4月、大友義統は朝鮮の役に出陣したが、成果なくその為、秀吉は大友氏の領国37万石を没収し、義統を毛利氏に預
2023年8月5日 [おすすめスポット] ピズモさん -
「石垣原古戦場跡」の石碑や、両軍の無名戦士の供養碑などがある小公園/石垣原古戦場跡の碑(別府市)
石垣原古戦場跡の碑がある公園は、九州大学付属病院(別府先端医療センター)の南側バス道路沿いにあります。「石垣原古戦場跡」の石碑や、両軍の無名戦士の供養碑が数基安置されている他、「石垣原合戦殉節烈士の碑
2023年8月5日 [おすすめスポット] ピズモさん -
石垣原合戦の大友方右翼の将・吉弘嘉兵衛統幸陣所跡/石垣原古戦場・吉弘嘉兵衛統幸陣所跡(別府市)
この「坂本」の台地一帯は、天下を二分して戦われた関ヶ原の戦いの二日前の慶長5(1600)年9月13日に、西軍石田三成方についた旧豊後国主22代大友義統と、東軍徳川家康方の前中津城主黒田孝高(如水)が激
2023年8月5日 [おすすめスポット] ピズモさん -
大友義統剃髪の寺院・海雲寺/海雲寺(別府市)
海雲寺は山号は太平山、曹洞宗の寺院です。創建当初は不明ですが、現在の鶴見山麓にあったと伝えられています。応安3(1370)年、多々良伊豆守義興が開基となり、玉田妙高大和尚を開山として開かれ、永享11(
2023年8月5日 [おすすめスポット] ピズモさん -
石垣原の戦いで立石村の古屋園に本陣を置いた大友義統本陣跡/石垣原古戦場・大友義統本陣跡(別府市)
別府市指定史跡となっている石垣原合戦地の大友義統本陣跡の付近は、もともと立石村の古屋園と呼ばれていました。木付城(杵築城)の攻略に失敗した大友軍は、立石に本陣を置き、右翼に吉弘統幸、左翼に宗像掃部の陣
2023年8月5日 [おすすめスポット] ピズモさん -
大友軍左翼の大将宗像掃部鎮継の墓といわれる五輪塔がある本村天満天神宮/本村天満天神宮・宗像掃部墓(別府市)
本村天満天神宮は、大友義統本陣跡に西側にある菅原道真を祀る神社です。天満天神宮拝殿の天井は、色鮮やかな石垣原合戦の紙芝居を元にした天井画があります。この天井画は、大友本陣の慰霊祭や天満神社の行事の時に
2023年8月5日 [おすすめスポット] ピズモさん -
大友軍の左翼・宗像掃部鎮続陣所跡/石垣原古戦場・宗像掃部鎮続陣所跡(別府市)
慶長5(1600)年旧暦9月13日、別府の扇状地を舞台に、黒田官兵衛孝高(如水)と旧領回復を目指す大友義統の軍勢との間で激しい戦いがありました。石垣原合戦と呼ばれるこの戦いは、関ヶ原合戦の2日前に両軍
2023年8月5日 [おすすめスポット] ピズモさん -
耳川の戦い/高城川古戦場
天正5年(1577年)日向の伊東義祐が島津に敗れ大友宗麟を頼って豊後に落ちのびて来た。これを受けて大友宗麟は翌天正6年に日向侵攻。山田有信が守る高城を包囲したが、島津義久の率いる本隊が後詰めに来援。合
2017年5月22日 [おすすめスポット] うどん子@総統閣下さん -
大友氏と島津氏の決戦の舞台・高城川合戦古戦場/高城川合戦古戦場(木城町)
元亀3(1572)年、木崎原の戦いにより、日向国の実力者であった伊東氏を破った島津氏はその勢力をますます拡大していくことになります。当時、伊東氏と関連のあった豊後国の大友氏はそれに危機感を感じ、高城に
2014年8月3日 [おすすめスポット] ピズモさん -
高城川の戦い(耳川の戦い)の戦没者を供養した宗麟原供養塔/宗麟原供養塔(川南町)
宗麟原供養塔は、天正6(1578)年11月に行われた豊後の大友宗麟と薩摩の島津義久との合戦(高城之戦・耳川の戦い)の戦没者を供養した塔です。合戦の勝利後、島津義久は、戦死者を敵味方の区別なく手厚く弔う
2014年8月3日 [おすすめスポット] ピズモさん -
大友宗麟がキリスト教の理想国を創ろうとした夢の跡・務志賀軍営〔大友宗麟陣屋〕/務志賀軍営〔大友宗麟陣屋〕(延岡市)
務志賀軍営(大友宗麟陣屋)は、キリシタンの国を創ろうとした大友宗麟が日向において島津氏と覇権を争うために陣を構えた場所です。天正5(1577)年、薩摩・大隈を平定した島津氏は日向に侵攻しました。元亀3
2014年8月2日 [おすすめスポット] ピズモさん