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#奥平氏 の記事
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黒田如水が築城した日本三大水城・中津城/中津城(中津市)
中津城は、周防灘に臨む山国川の河口に築かれた平城で、扇形の縄張りから扇城ともいわれています。また、今治城、高松城と並ぶ日本三大水城の一つともいわれます。天正15(1587)年、豊臣秀吉による九州征伐の
2025年1月28日 [おすすめスポット] ピズモさん -
黒田氏、細川氏、奥平家歴代中津藩主ゆかりの安全寺/安全寺(中津市)
安全寺は、創建の時は龍穏山涼雲寺と称していました。天正15(1587)年、黒田官兵衛孝高(如水)が入国し堂于を建立し寺領を二町歩を授けたと伝えられています。慶長5(1600)年、黒田氏が筑前に去った後
2025年1月19日 [おすすめスポット] ピズモさん -
奥平中津藩家老生田家の門で中津市学校や現在の南部小学校の校門としても使用されている生田門/生田門〔中津市学校跡〕(中津市)
南部小学校の校門であるこの「生田門」は、明治時代の廃藩置県後「中津市学校」の校門としても利用されました。もともとは、奥平中津藩家老生田家の門でした。南部小学校の周辺な江戸時代には中津城の三の丸で、藩主
2025年1月19日 [おすすめスポット] ピズモさん -
「大雅堂」「おかこい山」などで知られる自性寺/自性寺(中津市)
自性寺は奥平氏の菩提寺で山号は金剛山、臨済宗妙心寺派の寺院です。藩祖信昌公が、三河新城にいた時、金剛山万松寺と称して創建し、藩の転封に従い移転し享保2(1711)年6代藩主昌成公の時、中津に転封され延
2025年1月19日 [おすすめスポット] ピズモさん -
忍藩主・奥平松平氏の菩提寺・天祥寺/天祥寺(行田市)
天祥寺は妙心寺の塔頭、天祥院の末寺で忍藩十万石最後の藩主だった松平下総守家(奥平松平氏)の藩祖松平忠明が創建した寺です。寺の名前は忠明の法名、天祥院殿に由来します。寺は松平下総守家の移封ごとに移転して
2024年8月11日 [おすすめスポット] ピズモさん -
長篠、設楽原の戦いの舞台・日本100名城の1つ長篠城/長篠城(新城市・旧鳳来町)
長篠城は、永正5(1508)年に菅沼元成が築城しました。その後も長篠菅沼氏の居城でしたが、元亀2(1571)年、武田軍に攻められ、菅沼正貞は城を開城しました。天正元(1573)年、今度は武田信玄が亡く
2021年10月14日 [おすすめスポット] ピズモさん -
日近城主奥平貞友の女・於フウの墓/於フウの墓(新城市・旧鳳来町)
於フウは、日近城主奥平貞友の女です。作手亀山城主奥平貞能が、武田氏に属した時、貞能の二男仙千代、萩城主周防勝次の男虎之助と共に人質として甲州に差遣わされましたが、天正元(1573)年貞能親子が徳川氏に
2021年10月10日 [おすすめスポット] ピズモさん -
徳川方に味方することにした奥平氏と武田方が戦った石筒ヶ根(いしどうがね)合戦戦死者の墓/石筒ヶ根合戦戦死者の墓(岡崎市・旧額田町)
作手亀山城主奥平貞能は、お家存続のために武田方・徳川方の両方に揺れ動いていました。天正元(1573)年8月20日夜、徳川方に味方することにした一族は、武田勢力の強い作手を脱出し、戦いに有利な宮崎滝山城
2016年2月8日 [おすすめスポット] ピズモさん -
足利氏の執事高氏が創建し、奥平貞昌が再興した広祥院/広祥院(岡崎市・旧額田町)
広祥院は山号は深恩山、曹洞宗の寺院です寺伝によると暦応2(1339)年足利氏の執事であった高師氏の創立といわれます。当初は深恩院總持寺と号する真言宗の寺でした。高氏は菅生郷、比志賀郷(日近)を所有して
2016年2月5日 [おすすめスポット] ピズモさん -
日近奥平氏の居城・日近城/日近城(岡崎市・旧額田町)
日近城は標高約270メートル、比高70メートルの尾根の先端に築かれ、守りを意識した山城で、砦、詰城として利用しました。広祥院由緒書によれば、奥平三代目貞昌が文明10(1478)年日近に進出し、広祥院を
2016年2月5日 [おすすめスポット] ピズモさん -
日近城主奥平貞友の娘・おふうの墓/おふうの墓(岡崎市・旧額田町)
おふうは、日近の城主二代目、奥平久兵衛貞友の娘です。元亀元(1570)年、奥平本家の仙千代(仙丸)、日近家のおふう等は武田方の人質として送られました。しかし天正元(1573)年、奥平氏は武田にそむいた
2016年2月5日 [おすすめスポット] ピズモさん -
徳川方に味方することにした奥平氏と武田方が戦った石筒ヶ根(いしどうがね)合戦跡/石筒ヶ根合戦跡(岡崎市・旧額田町)
作手亀山城主奥平貞能は、お家存続のために武田方・徳川方の両方に揺れ動いていました。天正元(1573)年8月20日夜、徳川方に味方することにした一族は、武田勢力の強い作手を脱出し、戦いに有利な宮崎滝山城
2016年2月5日 [おすすめスポット] ピズモさん -
奥平氏の支城・久保城/久保城(岡崎市・旧額田町)
久保城は奥平貞昌が戦国時代に築いた出城で、男川と稲荷沢(渓流)に挟まれた山の突端上にあります。標高は176m、高低差は30mあり、三、四段の曲輪、土塁、堀切、縦堀があった山城です。元亀元(1570)年
2016年2月4日 [おすすめスポット] ピズモさん -
武田方に味方した奥平九八郎貞勝の墓/奥平九八郎貞勝の墓(岡崎市・旧額田町)
奥平家の先祖は上野国に住んでいましたが、南北朝時代、作手に来住し勢力を伸ばしました。戦国時代になって、奥平九八郎貞勝が当主になったころは、今川、織田、武田、徳川の強豪に囲まれていて、家の存続をはかるの
2016年2月4日 [おすすめスポット] ピズモさん -
奥平貞能の次男・仙丸の墓/仙丸の墓(岡崎市・旧額田町)
戦国時代奥平氏は、今川、織田、武田、徳川の覇者に囲まれた中で、三河作手に拠点を置き勢力の拡大を図ってきました。元亀元(1570)年武田方であった時、本家奥平貞能は次男仙丸(10歳)と日近の奥平貞直の娘
2016年2月4日 [おすすめスポット] ピズモさん -
奥平仙丸の首を包んだ打掛けが保存されている華蔵院/華蔵院(岡崎市・旧額田町)
華蔵院は、山号は春渓山、臨済宗妙心寺派の寺院です。戦国時代奥平氏は、今川、織田、武田、徳川の覇者に囲まれた中で、三河作手に拠点を置き勢力の拡大を図ってきました。元亀元(1570)年武田方であった時、本
2016年2月4日 [おすすめスポット] ピズモさん -
国指定史跡/加納城跡
慶長6年、奥平信昌が10万石で封じられ関ヶ原戦で落城した岐阜城を取り壊して築城。以来、明治まで譜代大名が城主を勤めた。
2012年8月12日 [おすすめスポット] うどん子@総統閣下さん -
徳川家康が美濃押さえの拠点として築かせた加納城/加納城(岐阜市)
加納城は、文安2(1445)年、斎藤利永によって沓井城として築城されました。しかし、天文年間には廃城となっていました。徳川家康が養女亀姫の婿、奥平信昌を慶長6(1601)年十万石で岐阜に封じたときに岐
2010年5月24日 [おすすめスポット] ピズモさん -
小早川秀秋の軍監として派遣された奥平藤兵衛貞治戦死の地/関ヶ原古戦場・奥平貞治の墓と碑(関ヶ原町)
奥平藤兵衛貞治は奥平貞勝の三男です。奥平貞能は貞治の兄で、長篠の戦いで籠城した奥平信昌は甥にあたります。関ヶ原の戦いの前日、徳川家康は内応を約束していた小早川秀秋の態度を監視するために、奥平貞治を松尾
2010年5月24日 [おすすめスポット] ピズモさん