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#後藤氏 の記事
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六角氏の重臣後藤氏の居館・後藤館/後藤館(東近江市〔旧八日市市〕)
後藤館跡は近江守護佐々木六角氏の重臣後藤氏在地居館跡です。後藤氏の名は室町時代前期にあらわれ、代々六角氏の家老の位置にありました。16世紀中頃、後藤但馬守賢豊は六角義賢の信望を受けて権勢をふるいました
2023年7月13日 [おすすめスポット] ピズモさん -
黒田家を出奔後、後藤又兵衛の扶持米を作ったといわれる又兵衛田/又兵衛田(姫路市)
又兵衛田は、慶長16(1611)年以降、姫路城の城主池田輝政の配慮で後藤又兵衛の扶持米を作ったとされる田で、「又兵衛田」と言い伝えられてきました。黒田家を出奔後の後藤又兵衛の命を繋いできた貴重な田です
2016年12月3日 [おすすめスポット] ピズモさん -
後藤又兵衛が大蛇を退治した伝説が残る蛇塚/蛇塚(姫路市)
むかし、南山田の池田というところにあった大蛇が田畑を荒らし回り、村人を苦しめていました。近くの城山に城があって、そこに後藤又兵衛が住んでいました。その近くの射場というところで弓の稽古をしていた又兵衛は
2016年12月3日 [おすすめスポット] ピズモさん -
後藤又兵衛の菩提寺・多聞寺/多聞寺(加西市)
多聞寺は、山号は祝融山、曹洞宗の寺院です。後藤又兵衛の菩提寺で、元和2(1616)年、後藤又兵衛の子、太良・正方が寄付して上棟、開山したと伝えられています。本堂には後藤又兵衛の位牌が祀られています。平
2016年12月2日 [おすすめスポット] ピズモさん -
後藤又兵衛の父母の供養塔がある福田寺/福田寺(姫路市)
福田寺は、山号は林光山、天台宗の寺院です。孝徳天皇の大化元年法道仙人による開基で、慶長年間、教順大阿闍梨が本寺を中興しました。現在の本堂は、昭和11(1936)年の再興によるものです。後藤又兵衛及び一
2016年12月2日 [おすすめスポット] ピズモさん -
後藤又兵衛基次が居城したと伝えられる南山田城/南山田城(姫路市)
約100m四方のこの小丘は、南半分が整地されて児童公園になっていますが、北側から東側の藪には三段の平坦面と周囲に土塁跡も認められます。ここは後藤又兵衛基次の居城、南山田城跡といわれ、基次の父で播磨後藤
2016年12月2日 [おすすめスポット] ピズモさん -
播磨後藤氏の城だった春日山城/春日山城(福崎町)
春日山城は、建武年間(1334〜1336)に築城され、後藤三郎左衛門尉基明が初代城主として、現在の福崎町全域と姫路市、加西市の一部を統治していました。後藤氏は、播磨の守護赤松氏の幕下といわれ、応仁の乱
2016年12月2日 [おすすめスポット] ピズモさん -
春日山城主後藤基阿が城の鬼門よけとして建立・嶺雲寺/嶺雲寺(福崎町)
嶺雲寺(れいうんじ)は、山号は久岳山、曹洞宗の寺院です。応永年間(1394〜1428年)に創建され、春日山城主後藤基阿が城の鬼門よけとして建立したと伝えられています。中興は慶長2(1597)年に鍛冶屋
2016年12月2日 [おすすめスポット] ピズモさん -
母里太兵衛友信の墓所がある麟翁寺/麟翁寺(嘉麻市・旧嘉穂町)
麟翁寺は、山号は聖壽山、曹洞宗の寺院です。勇将福島正則から日本号槍を呑みとり、今なお「これが真の黒田武士」と謳いついがれている母里太兵衛友信の菩提を弔うため、慶長20(1615)年に建立された曹洞宗の
2014年9月21日 [おすすめスポット] ピズモさん -
後藤氏居城/三星城跡
室町時代に塩湯郷の地頭として後藤氏が入って以来、天正7年に勝基が宇喜多勢に敗れるまで後藤氏の居城であった。後藤勝基は宇喜多直家の娘を娶り、一時は作東一帯を支配するがやがて領界争いから遂に宇喜多とは不和
2011年8月15日 [おすすめスポット] うどん子@総統閣下さん