#景徳院のハッシュタグ
#景徳院 の記事
-
場所をあらため
甲斐
2025年4月12日 [フォトアルバム] MR-S2007さん -
富士・桜
今年は何となく桜が早く終わっちゃうかな?明日から天気下り坂ということでアンジェと出かけちゃいました^^;まずは富士山麓での桜と帰り道での水芭蕉とりは甲斐大和までツーリングしながらの桜どちらもフォトアル
2016年4月12日 [ブログ] MR-S2007さん -
甲斐大和の桜
夕方、走り足りずウズウズNinjaにて甲斐大和まで桜はちょうど満開
2016年4月12日 [フォトアルバム] MR-S2007さん -
武田の里 甲州紀行 <武田氏館跡、要害山城跡、新府城跡、恵林寺、景徳院、信松院>
7月14日と15日に山梨県甲府地方に行ってきました。甲府は16世紀には武田氏3代の政治・経済の中心として栄えた城下町でした。武田氏関連の史跡をブログにしてみました。武田氏館跡/躑躅ヶ崎館跡甲斐・武田氏
2014年4月20日 [ブログ] Cyber Xさん -
げんしけん二代目 最終話 舞台探訪 ~寺社編~
げんしけん二代目の最終話を見ていたところ地元が舞台となっていたので判った場所だけ巡ってみました。アニメの時系列で並べていきます。先ずは武田家終焉の地、甲州市大和地区にある景徳院の山門アップ。
2013年10月5日 [フォトギャラリー] R@ilgun_speedさん -
桜 都留市から甲斐大和
鹿留発電所傾斜地を利用した水力発電桜が満開に見えるが咲いているには道路沿いのみ傾斜地は咲いていなかった
2013年4月5日 [フォトギャラリー] MR-S2007さん -
雨なので
ママさん今日はお仕事 でもお昼過ぎには無事帰宅雨も降りMR-Sでの出勤(訳があるw)だったので汚れついでにきれいになりに行きました。(何が?)ちなみに行き先は「甲斐大和」
2011年4月23日 [フォトギャラリー] MR-S2007さん -
Apr.2 武田の城・終焉の地 <武田氏館・新府城・景徳院>
当時の「武田氏館」は、「躑躅ヶ崎館」とも呼ばれ、武田信玄の父、信虎(1494-1574)が永正16年(1519)に石和からこの地に館を移したことから始まりました。その後、信玄(1521-1573)、勝
2011年4月3日 [フォトギャラリー] Cyber Xさん -
徳川家康創建・武田勝頼菩提寺/景徳院
天正10年(1582年)3月、甲斐国国主武田勝頼は、織田信長・徳川家康連合軍の侵攻により甲府から移転した本拠であった新府城(韮崎市)を捨て、家臣の郡内領主小山田信茂を頼り落ちのびようとしましたが、信茂
2011年4月3日 [おすすめスポット] Cyber Xさん -
景徳院境内・勝頼一族の墓/武田勝頼・北条夫人・信勝の墓
天正10年(1582)3月11日、織田・徳川連合軍に追い詰められた勝頼一族と家臣はこの田野郷で自害し果てました。中央が武田勝頼、右側が北条夫人、左側が信勝の墓です。
2011年4月3日 [おすすめスポット] Cyber Xさん -
景徳院境内・旗竪松/旗竪松
武田勝頼は天正10年(1582)3月11日、天目山の戦いで織田・徳川軍に攻められ、自害直前に武田家累代の重宝旗(日の丸の御旗)を大松の根本に立てて、楯無鎧を嫡男の信勝に着用させた松の木を旗竪松(はたた
2011年4月3日 [おすすめスポット] Cyber Xさん -
景徳院境内・勝頼生害石/武田勝頼生害石
武田勝頼が自害したと伝えられている生涯石です。北条夫人と息子信勝の生害石もありましたが、手入れされておらず荒れ放題で、立て札が薄れて文字がはっきりわかりませんでした。生害石とは、自ら命を絶つための場所
2011年4月3日 [おすすめスポット] Cyber Xさん -
父の退職旅行①「景徳院」
宿に行くには少し早い時間だったので途中「景徳院」に立寄りました車は通り沿いの広い駐車場に停めました連休初日でしたが閑散としていました
2007年9月23日 [フォトギャラリー] ninntamaさん