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元亀3年(1572)南九州の覇権をかけて伊藤義祐と島津義弘が戦いを交えた場所。島津氏300の兵が伊東氏3,000の兵を破ったことから、「南九州の関ケ原の戦い」とも言われている。
日本百名城飫肥城(おびじょう)へ行ってきました。いままで知らなかったけど、行ってみて見てみたらかなりデカイ!伊東氏5万1千石の城としては、かなり大きいんじゃないの(*´ω`*)外堀に川を使い、その内側