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#真里谷氏 の記事
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本多忠勝の居城としても知られる大多喜城/大多喜城(大多喜町)
大多喜城は、大永元(1521)年に真里谷信清が「小田喜城」として築いたのがはじまりとされています。以前は小田喜城は同町内の根古谷城のことであり、今日の大多喜城は徳川家康によって大多喜の地を支配した本多
2018年1月26日 [おすすめスポット] ピズモさん -
勝浦正木氏の城・勝浦城/勝浦城(勝浦市)
勝浦城は、天文11(1541)年の頃、勝浦正木氏の初代、正木時忠が入城しました。それ以前は、真里谷武田氏の砦のようなものであったろうと言われています。その後、二代時通、三代頼忠の居城となります。しかし
2017年8月28日 [おすすめスポット] ピズモさん -
真里谷武田氏の城・真里谷城/真里谷城(木更津市)
真里谷城(まりやつじょう・まりがやつじょう)は、戦国時代の初期にあたる康正2(1456)年、上総国に進入した甲斐(山梨県)の武田信長(武田信玄の5代前の先祖)が庁南城(夷隅郡長南町)とともに上総地方を
2017年8月17日 [おすすめスポット] ピズモさん -
和歌を百首つくれば開城したという伝説のある造海城/造海城〔百首城〕(富津市)
造海城(つくろうみじょう)は、真里谷武田氏が安房の里見氏に備えるために築いた城の一つとされています。寛正2(1461)年真里谷武田信興によって築かれたといわれています。天文6(1537)年真里谷恕鑑(
2017年8月8日 [おすすめスポット] ピズモさん -
真里谷武田氏の拠点であった峯上城〔峰上城〕/峯上城〔峰上城〕(富津市)
富津市上後字要害にある峯上城(みねがみじょう)は、別名環城とも上後城とも呼ばれていました。 標高120mの山丘を中心に築造された中世の山城で、天然の地形と城に欠くことのできない湧水帯を巧みに利用してい
2017年8月8日 [おすすめスポット] ピズモさん -
20110115 久留里城①
千葉県君津市久留里にある久留里城です。室町時代に、上総武田氏の武田信長が築いた山城(古久留里城)が始まりです。上総武田氏は、古河公方 足利成氏より上総国(かずさのくに,千葉県中部)の支配を認められた甲
2011年10月26日 [フォトギャラリー] ゴランさん -
20110115 久留里城②
久留里城は、江戸時代になってからも近世城郭として使用されています。現在は、田んぼや畑になってしまい見る影もありませんが、平地に三の丸や外曲輪などの曲輪や水堀が造られていたそうです。というか江戸時代は、
2011年10月26日 [フォトギャラリー] ゴランさん -
20110115 久留里城③
元々段差のある部分に掘られたのだと思いますが、奥の本丸側は堀底まで10mくらいの高さがあります。永禄3(1560)年の戦いでは、越後の長尾景虎の援軍を得ることに成功。挟み撃ちにされることを恐れた後北条
2011年10月26日 [フォトギャラリー] ゴランさん -
くるり
15日(土)に、また城攻めしてきました。千葉県君津市にある久留里城です。千葉県のお城には、今までにもいくつか行っていますが、千葉県の旧国名、安房,上総,下総のうち、行ったのは下総の城ばかり。今回の久留
2011年1月21日 [ブログ] ゴランさん