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#箱館戦争 の記事
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【戊辰戦争最後の舞台となった五稜郭へ♪】
こんにちは、Piaです。「4年ぶりの社員旅行 in 北海道」の続編です。江戸時代にタイムスリップした松前藩屋敷を後にし函館へトンボ返りです!途中小休憩した<青函トンネルの実物大模型>北海道大学の<実物
2024年1月16日 [ブログ] Piaさん -
箱館戦争の記録/箱館戦争官軍上陸の地
明治2年(1869)4月、戊辰戦争の最終局面で五稜郭を制した旧幕府軍に対し、明治新政府軍(官軍)が北海道に上陸した地のひとつがここ乙部町の小さな漁港でした。そのひと月後、五稜郭の旧幕府軍は降伏、戊辰(
2023年10月7日 [おすすめスポット] Cyber Xさん -
五稜郭と箱館戦争の遺構 日本100名城/五稜郭
安政元年(1854)、箱館開港が決定し、基坂に箱館奉行所が置かれました。ところが、箱館湾内から至近距離にあることなどから、防御に適さないと判断した奉行が、幕府に亀田方面への移転が必要だと上申したところ
2018年7月1日 [おすすめスポット] Cyber Xさん -
五稜郭に復元された箱館奉行所/箱館奉行所
箱館奉行所の最初の設置は、享和3年(1803)。当初は函館山の山麓(現在の元町公園付近)にありました。その後、火災などを経て、江戸時代末期のペリー来航に伴って同じ場所に再設置されましたが、元治元年(1
2018年7月1日 [おすすめスポット] Cyber Xさん -
一本木関門/土方歳三最期の地
土方歳三最期の地新撰組副長として京都の街に勇名をはせた土方歳三は鳥羽伏見の戦い後、新撰組を率いて各地を転戦して北上し、仙台で旧幕府軍海軍副総裁、榎本武揚が指揮する脱走艦隊に合流した。明治元年(1868
2018年6月23日 [おすすめスポット] Cyber Xさん -
伝説の地/「伝・一本木関門跡地(新選組副長・土方歳三戦死地)②」-函館市
土方歳三が戦死したという一本木関門には枝分かれした七重浜の海岸沿いを通る道と、千代ヶ岡陣屋を経て五稜郭に通じる道があったといわれています。海岸沿いの道は現・国道228号線で、万代町で国道5号線に吸収さ
2008年7月10日 [おすすめスポット] 蝦夷大納言(ゑぞだいなごん)さん -
最後の日本式城郭/「松前城(復元)二の丸南東隅二重太鼓櫓」-松前町
復元といっても埋まっていた基礎遺構を発掘調査し整備しただけで櫓の建築復興にまで至っていないのは残念でした。この櫓は城内に3ヶ所あった二重櫓の中の二ノ丸東南隅にあった櫓で、最も重要な位置に設けられていま
2008年7月10日 [おすすめスポット] 蝦夷大納言(ゑぞだいなごん)さん -
最後の日本式城郭/「松前城址(復元)馬坂門&馬坂」-松前町
復元といっても門はありません! 発掘調査後、軽く整備してあります。この城門が幕末の松前城攻防戦の有名なエピソード「城門を開閉させ砲撃を行った」戦闘の舞台となった門といわれています。動乱前までの平和時は
2008年7月10日 [おすすめスポット] 蝦夷大納言(ゑぞだいなごん)さん -
最後の日本式城郭/「松前城址本丸跡(三階櫓(天守)・本丸御門・本丸御殿跡)」-松前町
本丸内の馬場跡から見た天守とされる三重櫓(模擬)と本丸御門(現存・国重要文化財)の遠景と本丸御殿跡です。この3つ以外の全建物と石垣が明治8年に払い下げられて取り壊されました。画像は本丸内で車中から写し
2008年7月10日 [おすすめスポット] 蝦夷大納言(ゑぞだいなごん)さん -
箱館戦争古戦場/「福島漁港(古戦場)」-福島町
明治元年10月26日に五稜郭入城を果たした旧幕府軍は、早くも28日には新撰組副長・土方歳三を総督とする松前攻略軍を派遣しました。攻略軍は先鋒として彰義隊200名で本隊は額兵隊、陸軍隊、砲兵隊、工兵隊、
2008年7月10日 [おすすめスポット] 蝦夷大納言(ゑぞだいなごん)さん -
当時最新の形式も結果時代遅れの象徴/国指定特別史跡「五稜郭(亀田役所土塁・柳野城)址」-函館市
1857年(安政4年)に工事開始。1864年(元治元年)業務開始。1866年(慶応2年)工事完了。1869年(明治2年)5月18日、新政府に明け渡し。この稜堡式の城塞は西欧において16世紀にすでに実用
2008年7月10日 [おすすめスポット] 蝦夷大納言(ゑぞだいなごん)さん -
戊辰戦争関係遺構/「弁天台場址(現・函館どっく一帯)」-函館市
この場所には1863(文久3)年に完成した台場がありました。五稜郭を設計した武田斐三郎が監督設計し、完成まで7年の歳月を要しました。形は不等辺6角形の将棋の駒状で、南東端にトンネル式通路のアーチ型入口
2008年7月8日 [おすすめスポット] 蝦夷大納言(ゑぞだいなごん)さん -
箱館戦争関係史跡/「霊鷲院」-森町鷲ノ木
榎本武揚が旧江戸幕府脱走艦隊を率いて上陸したのは内浦(噴火)湾に面した森町鷲ノ木海岸でした。函館から約45㌔北に位置した当時は戸数80戸ほどの村でした。そしてその沖合に碇泊した艦隊から陸兵がボートで上
2008年7月7日 [おすすめスポット] 蝦夷大納言(ゑぞだいなごん)さん -
箱館戦争はじめ古代~の町の歴史/七飯町歴史館-七飯町
先史~現代に至るまでの七飯町の歴史をわかりやすく学ぶための施設です。北海道は日本史の中で独特で本州の歴史との関わりはあまり聞きませんが、幕末の箱館戦争が勃発したのがこの七飯町でした。その貴重な関係資料
2008年6月13日 [おすすめスポット] 蝦夷大納言(ゑぞだいなごん)さん -
幕末箱館戦争関係史跡/土方歳三・嘆きの松-江差町
箱館戦争の時、蝦夷共和国軍主力で当時国内最強の開陽丸が江差地方特有の「タバ風」に遭い座礁しました。明治元年11月16日(旧暦)、江差沖に榎本武揚と駆けつけた土方が、その光景を見ながら嘆いたと言われてい
2008年6月13日 [おすすめスポット] 蝦夷大納言(ゑぞだいなごん)さん -
箱館戦争関係史跡/「旧幕軍 榎本武揚・土方歳三ら上陸之地②」-森町鷲ノ木
以前掲載済の「鷲ノ木史跡公園」に追加です。榎本らの上陸を標す碑は史跡公園内の他に、少し離れたこの海岸側にもありました。上陸は明治元年(1868)10月20日で新暦では12月3日でした。当時は30cmの
2008年6月13日 [おすすめスポット] 蝦夷大納言(ゑぞだいなごん)さん -
箱館戦争史跡/「天狗岳古戦場跡」-現・北斗市(旧大野町)
この天狗岳は、箱館戦争の有名な激戦地の一つです。旧街道の旧江差山道はこの山を通っていて、この道が渡島~檜山間の物資の交流の主要路で旅人の難所としても有名でした。現在は開発局の管理下で近寄ることは困難で
2008年6月13日 [おすすめスポット] 蝦夷大納言(ゑぞだいなごん)さん -
箱館戦争関係史跡/「石川原沢口台場跡」-森町
徳川幕府が崩壊した後、旧幕臣の榎本釜次郎は開陽丸以下の幕府軍艦を率いて江戸を脱出し、蝦夷に上陸しました。その上陸地点近くにあったといわれる砲台跡です。しかし現状は沢口の地名も今はなく、伝・台場跡も建物
2008年6月11日 [おすすめスポット] 蝦夷大納言(ゑぞだいなごん)さん -
箱館戦争関係史跡/「高森台場跡」-森町
「湯ノ崎台場」「石川原沢口台場」などの他に旧幕府・榎本武揚軍が設置したと伝わる台場跡の一つです。これも森町内のもので内浦(噴火)湾を防備する役割だったようです。頂上の土塁は不等辺五角形のようで、内側に
2008年6月11日 [おすすめスポット] 蝦夷大納言(ゑぞだいなごん)さん -
箱館戦争関係史跡/「湯ノ崎台場跡」-森町鷲ノ木
旧幕府・榎本武揚軍は蝦夷地(北海道)に上陸してから、内浦(噴火)湾沿いに多くの砲台・陣地を設けましたが、この「湯ノ崎台場」も駒ケ岳海岸沿いの主要防塁の一つだったと思われます。この史跡下は湯ノ崎トンネル
2008年6月11日 [おすすめスポット] 蝦夷大納言(ゑぞだいなごん)さん