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徳川家康の正室で豊臣秀吉の妹の旭姫の墓がある瑞龍寺/瑞龍寺(静岡市葵区)
瑞龍寺は、山号は泰雲山、曹洞宗の寺院です。永禄3(1560)年、現在の静岡市内の沓谷にあった寺院「長源院」の四世・梵梅和尚の法嗣能屋梵藝和尚によって開創されました。当時は浅間山の西麓に位置し、駿河七ヶ
2023年12月15日 [おすすめスポット] ピズモさん -
長久手合戦の惨状を今に伝える首塚/長久手古戦場・首塚(長久手市)
天正12(1584)年4月9日、長久手合戦の舞台となった長久手の村々は、野といわず山といわず戦死者の山となりました。この惨状を目のあたりにし、心を痛めた岩作村安昌寺の雲山和尚は、村人たちとともに屍を集
2023年9月7日 [おすすめスポット] ピズモさん -
木下勘解由利匡の戦死地・木下勘解由塚/長久手古戦場・木下勘解由塚(長久手市)
木下勘解由塚は、木下勘解由利匡の戦死地です。秀吉軍の岡崎侵攻の総大将三好信吉(後の豊臣秀次)は、白山林(尾張旭市)の戦いで敗北し、ここ(荒田)まで徒歩で逃げて来て、木下勘解由利匡と出会いました。利匡は
2023年8月28日 [おすすめスポット] ピズモさん -
三好信吉(秀次)が徳川方に急襲されて総崩れになった白山林古戦場〔本地ヶ原神社〕/白山林古戦場〔本地ヶ原神社〕(尾張旭市)
白山林の合戦は、天正12(1584)年4月9日早暁、羽柴(豊臣)秀吉と徳川家康が戦った小牧長久手の戦いの古戦場の一つです。家康と信雄は小牧山城に本陣を構え、秀吉は楽田城へ入り睨み合っていましたが、秀吉
2023年8月28日 [おすすめスポット] ピズモさん -
本丸跡は明治天皇陵で伏見桃山城運動公園に模擬天守が建つ伏見城〔木幡山城〕/伏見城〔木幡山城〕(京都市伏見区)
伏見城は、最初に築かれた伏見指月城は、慶長伏見地震により倒壊した後、背後の木幡山に築城されました。「当代記」によると、慶長伏見地震の2日後に築城に着手していたことが窺えます。慶長2(1597)年、天守
2022年9月20日 [おすすめスポット] ピズモさん -
富山城の佐々成政を攻めた際、秀吉軍が白鳥城の出城として拠点とした大峪城/大峪城(富山市)
大峪城(おおがけじょう)は、豊臣秀吉が富山城の佐々成政を攻めた天正13(1585)年頃のもので秀吉側の軍勢が陣地とした白鳥城の出城として、婦中町の安田城(国史跡)とともに築城されました。前田利家の家臣
2022年8月4日 [おすすめスポット] ピズモさん -
豊臣秀長の菩提寺として建立された大徳寺大光院/大徳寺大光院(京都市北区)
大光院は、 大徳寺瑞峯院は大徳寺の塔頭の一つで、臨済宗大徳寺派の寺院です。文禄元(1592)年、豊臣秀吉の実弟秀長の菩提を弔うために秀長の継嗣である秀保が古渓宗陳を開山として招き、所領である大和郡山に
2022年3月21日 [おすすめスポット] ピズモさん -
太閤腰掛石のある極楽寺/極楽寺(西脇市・旧黒田庄町)
極楽寺は、山号は西岡山、臨済宗妙心寺派の寺院です。境内の極楽寺本堂の裏手には太閤腰掛石があります。羽柴秀吉が天正年間、三木城を攻略した際、大志野に陣し、兵主神社に戦勝を祈願して、燈明田を献じました。当
2022年3月6日 [おすすめスポット] ピズモさん -
小田原城攻めの際、秀吉が茶の湯に興じたりする際に使った?・太閤憩の泉/太閤憩の泉(小田原市)
天正18(1590)年、豊臣秀吉は、小田原城の北条氏を討伐するため石垣山城を築城しました。その際に秀吉が茶の湯に興じたりする際にこの水を使ったといわれています。アネスト岩田ターンパイク箱根(箱根ターン
2022年2月3日 [おすすめスポット] ピズモさん -
豊臣秀次の平時の館跡・秀次館/八幡城〔八幡山城〕・秀次館(近江八幡市)
天正13(1585)年豊臣秀吉の甥で養子の豊臣秀次が近江43万石を与えられ、琵琶湖に臨む標高271.9mの八幡山に築城しました。秀次館は平城部分の居館後です。平成12(2000)年度から八幡山の南西山
2020年12月2日 [おすすめスポット] ピズモさん -
豊臣秀次が築いた近江八幡城/八幡城〔八幡山城〕(近江八幡市)
八幡城〔八幡山城〕は、天正13(1585)年豊臣秀吉の甥で養子の豊臣秀次が近江43万石を与えられ、琵琶湖に臨む標高271.9mの八幡山に築城しました。秀次は琵琶湖から水を引いた八幡堀をめぐらし、安土城
2020年12月2日 [おすすめスポット] ピズモさん -
淀古城の本丸跡・鳥羽伏見の戦いの弾痕も残る/淀古城〔妙教寺〕(京都市伏見区)
淀城(淀古城)の築城年次は定かではありません。畠山政長が西軍の畠山義就に備え、勝竜寺城から本拠を移したことや、摂津の守護代薬師寺元一が管領・細川政元に反抗して「淀之城」に籠城し攻め落とされた記録がある
2018年12月16日 [おすすめスポット] ピズモさん -
筒井順慶が築城・大和郡山城/大和郡山城(大和郡山市)
大和郡山城は、戦国期以前から小規模な城があったが、松永久秀が滅び織田信長の下で事実上大和国の主となった筒井順慶が、天正8(1580)年にそれまで居城としていた筒井城(大和郡山市)から移り新たな城郭の建
2018年11月2日 [おすすめスポット] ピズモさん -
秀吉の一夜城伝説で知られる墨俣城/墨俣城(大垣市・旧墨俣町)
墨俣城は、木下藤吉郎秀吉、後の豊臣秀吉の出世の元になった城です。戦国の頃、尾張の織田信長は美濃進出の足場とするため洲股に砦に築こうと企て佐久間信盛、柴田等に築城を命じましたが相次ぎ失敗しました。しかし
2018年9月11日 [おすすめスポット] ピズモさん -
鳥取城攻めの際の秀吉本陣跡・太閤ヶ平/太閤ヶ平〔秀吉本陣跡〕(鳥取市)
天正9(1581)年の羽柴秀吉の包囲作戦と吉川経家の籠城とによる対陣は、鳥取城の歴史の中で最大の攻防戦でした。この戦いは、天下統一をめざして中国地方を征討しようとする織田信長と、これを阻止しようとする
2018年5月25日 [おすすめスポット] ピズモさん -
島津義久・豊臣秀吉が和睦を結んだ泰平寺/泰平寺(薩摩川内市・旧川内市)
泰平寺は、山号は医王山、院号は正智院、真言宗の寺院です。薩摩国分寺と同様に薩摩川内市にあって歴史的に由緒のある寺院です。和銅元(708)年、元明天皇の勅願寺として、天下泰平、万民安楽を願って薬師如来を
2018年3月12日 [おすすめスポット] ピズモさん -
「秀頼の薩摩落ち」の伝説を伝える伝・豊臣秀頼の墓/伝・豊臣秀頼の墓(鹿児島市)
大坂城が落城した時、豊臣秀頼は島津氏を頼って薩摩に落ちのびたといわれています。「秀頼の薩摩落ち」の伝説です。高さ3mのこの塔は、その秀頼の墓と伝えられていますが、下からは何もでなかったそうです。初代谷
2018年2月27日 [おすすめスポット] ピズモさん -
遠州七不思議の一つ・豊臣秀吉鎌研池/鎌研池(浜松市南区)
鎌研ぎ池は、松下家の守護神だった小さな神社内にある池で、豊臣秀吉が少年の頃、近くの頭陀寺城主松下嘉兵衛に仕えていた頃、馬草を切る鎌を研ぎ試し切りのために池に生えた葦の葉を切ったという伝説があります。秀
2017年5月31日 [おすすめスポット] ピズモさん -
松下氏、豊臣秀吉、徳川家康、井伊直政ゆかりの寺院・頭陀寺/頭陀寺(浜松市南区)
頭陀寺は、山号は青林山、高野山真言宗の寺院です。大宝3(703)年、文武天皇の正夢に薬師如来が現れ、「我は遠江国におり、我を奉安、祈念すれば、国家安穏、万民豊楽、万病退散するなり」とお告げになりました
2017年5月31日 [おすすめスポット] ピズモさん -
一夜城伝説が残る伏屋城/伏屋城(岐南町)
伏屋城は、織田信長が美濃を攻めるため、木下藤吉朗(後の豊臣秀吉)に命じて築かせた城と伝えられています。古書によると、秀吉は、木曽川周辺に勢力をもつ土豪らの助けを借り、材木を集めていかだに組み、木曽川を
2016年2月9日 [おすすめスポット] ピズモさん