宇治山田駅
ライバルが設計した「玄関口」
2011年12月16日

皇室の氏神にして全国の神社の頂点に位置する「伊勢神宮」の玄関口。近畿日本鉄道(近鉄)山田線・鳥羽線の路線境界となっている。
皇族や首相の参拝に際しては、名古屋まで新幹線、名古屋からは近鉄でこの駅に降り立つのが通例。
外装に素焼きタイルを張りつめ、内部に天井が高く開放的なコンコースや貴賓室を配した威風堂々たる構造は、皇族や重臣を迎える駅に相応しく、駅舎自体が国の登録有形文化財となっている。
設計者は鉄道省の建築技師・久野節(くの・みさお)。近鉄と、旧鉄道省→旧国鉄路線を引き継いだJRとは、名神間や伊勢神宮アクセスを巡ってライバル関係だが、鉄道省の技術者だった久野が、競合する相手方に立派な駅舎を立てさせたというのが面白い(駅建設当初は、近鉄と合併する前の旧参宮急行電鉄)。
久野の設計作を紐解いてみると、南海電鉄難波駅・京成電鉄上野駅・東武鉄道浅草駅と、見事に旧国鉄・JRと競合する路線のターミナルを手掛けている。
南海・京成とは国際空港へのアクセスで現在もしのぎを削っているが、東武と競合していた日光へのアクセスは、旧国鉄・JRが全面降伏。一旦廃止されていた特急列車をJRが復活させたものの、埼玉県の栗橋駅から東武の路線に乗入れて日光へ向かうルートをとる。宇都宮を経由し大きく遠回りを強いられるJR日光線では太刀打ちできないためだ。
宇治山田駅も、状況としては日光アクセスと同じような状態。冒頭記した皇族・首相の参拝に限らず、一般観光客のアクセスも近鉄に流れて、競合するJR参宮線(伊勢神宮最寄り駅は、近鉄山田線とも共用し宇治山田駅の隣になる伊勢市駅)は利用客数が低迷してる。
近鉄は狭軌だった近鉄名古屋線を、伊勢湾台風の災害復旧と同時に一挙に改軌。名古屋方面から伊勢へ直通できるようにしたほか、名古屋線と同じく狭軌区間だった京都・鳥羽・賢島方面も改軌・改良工事をコツコツ進めていった。
電化路線で高頻度運転をする近鉄に対し、旧国鉄参宮線は単線非電化。名古屋方面から亀山を経由せず短絡する「伊勢鉄道」経由で、カミンズ社製大出力エンジンを搭載した気動車特急・快速が俊足を疾ばしてやってくるが、そもそも列車本数が1時間に1本程度では対抗すべくもない。
伊勢の地元経済界からも、間もなく2013年に迎える「式年遷宮」(伊勢神宮の社殿を20年に1回全て作り直す儀式。隣の敷地に全く同じお宮を造営し、古いお宮の部材は全国の神社に払い下げられる)に向けて観光客が増加するため、参宮線を廃止して線路敷を駐車場にしてしまえ、という要望(極論?暴論?)まで出る始末。
戦前は、伊勢神宮につながる重要路線として幹線並みの扱いを受け、帝都東京から長駆お召し列車が度々到着したことがある駅・路線に対する提案としては、些か軽率に過ぎると感じるのは私だけでないと思う。
さりとて、新幹線ができ人の流れが変わったことに対処できず、近代化が遅れていることは間違いない。このままジリ貧状態が続けば、東海道新幹線を有しリニア新幹線を自己資金で建設しようと計画する資金豊富なJR東海と言えど路線を維持できなくなり、本当に駐車場にされてしまいかねない。
未来の新幹線も大切だが、歴史ある地方路線の活性化も鉄道会社の重要な使命だと考える。
久野が宇治山田駅を設計した頃の鉄道省は、国有鉄道の運営だけでなく、現在は国土交通省が管轄する鉄道網の整備・鉄道事業者に対する監督業務も担っていて、久野の仕事もその一環だったのだろう。
当時の花形路線だった身内の参宮線は勿論、近鉄始め民鉄各社の発展をも願って図面を引いた久野の想いに、鉄道各社は応えられているだろうか。
住所: 三重県伊勢市岩渕二丁目1-43
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