大王製紙(株)四国本社

「四国」は「紙国」と書き記しても、強ち誤りとは言えない程に製紙関連産業が集積した地。
和紙の時代から1000年以上もの歴史を紡いできた伝統産業である。
その一角を占める大企業の経営者が、前代未聞の企業スキャンダルを惹き起した。
大王製紙の創業家三代目が、100億を超える金を自社・傘下の子会社から引き出し、遊興やギャンブルに使い果たしてしまったというのだ。
金額の大きさも然ることながら、昨今これだけコンプライアンスだのガバナンスだの騒がれている中で、なんの咎めも躊躇いも無く現金が引き出されていたことに驚きを禁じ得なかった。
大王製紙(株)は東京駅にほど近い中央区八重洲に東京本社を置いているが、登記上の本社は今でも創業の地・愛媛にある。所在地名はズバリ「紙屋町」で、製紙業と街が共に発展してきたことを証明している。
大王製紙(株)は、現在の四国中央市に含まれる宇摩郡三島町(戦後の市制施行で伊予三島市へ)で和紙の原料調達・製造・販売に携わっていた14の企業を、戦時下の経済統制策の一環として統合し1943(昭和18)年に発足した。
1962(昭和37)年に、原料高に因る収支悪化と乱脈経営で不渡りを出し倒産。その後は高度成長の波に乗り、業績を急回復させ倒産の2年後には再建を完了。2014(平成26)年現在で国内第4位の規模にまで成長している。
一般消費者向けでは「エリエール」ブランドのティッシュペーパーが最も身近な製品だろう。
有力実業家の家庭に育ち、一般人と金銭感覚が異なるのは致し方ないと思うが、それにしても億単位の金をカジノや、これまた博打のような金融取引に投げ込める神経が、私には理解できない。
その金は、大王製紙従業員一人ひとりが汗して稼いだ金である。
取引先・関連会社の協力があって初めて成り立つ事業が生み出した金である。
折しも東日本大震災および原子力災害からの復興を加速すべし、と叫ばれている最中、100億円もの資金があれば何を為し得たか。想像せずに置かない。
しかも大王製紙は創業家の放漫経営で破綻し、会社更生法の下で再生した企業だ。
企業再生に当たって、保有債権をカットされた取引先もさぞ多かっただろう。資金回収できず倒産した企業もあったに違いない。
そうした企業の涙と血の怨嗟を踏み台にして熨し上がってきた会社に、無駄遣いできる金があろうはずも無い。
大王製紙幹部は従業員・取引先に対し、どう謝罪し釈明したのだろうか。
私は一消費者として、自ら生産した鼻紙より軽い経営者の、燧灘(ひうちなだ)に積もったヘドロより汚い放蕩のための資金調達に協力してきたつもりはないので、ケジメがつくまで同社製品の購入をボイコットしている。
紙屋の騒動として忘れられないのは、それぞれ100億円以上もの巨費で購入したゴッホおよびルノワールの貴重な絵画を、「自分が死んだら一緒に燃やしてくれ」と言い放った大昭和製紙(日本製紙に吸収統合)名誉会長の齊藤了英である。
人類共通の遺産を、私物化した上に滅失せしめんとした発言は、少なくとも文化や芸術を理解した人間のものではない。
実業家としてもワンマン経営の末に大昭和製紙の業績を悪化させ、長弟と交代して一旦は経営から退いたものの、業績が回復すると再び経営に介入。長弟から引継いで社長となっていた次弟を解任。自分の息子を社長に据えるなど、上場企業の経営者として現在の感覚・ガバナンス体制では容認し難い放漫ぶりである。
件の絵画にしても、「燃やす云々は言葉のあやで、死後は国か美術館に寄贈する」と言い逃れたものの、その約束は実行されなかった。
いわゆるゼネコン汚職の宮城県ルートに絡み、宮城県知事に対する贈賄容疑で逮捕・起訴され名誉会長職を辞任。裁判で有罪(執行猶予)となり、判決が確定した翌年に病死しているが、死亡した時点で絵画は銀行に差し押さえられていたという。
結局何れの絵画も、本人や息子の株取引失敗による借金返済のため秘密裏に売却され、所在不明もしくは個人収集家の手許で非公開となっている。
日本有数の製紙企業、創業家によるワンマン経営、企業業績の悪化または倒産、再建するも再び創業家に因るスキャンダル浮上・・・という大まかな道筋は、大昭和製紙・大王製紙両社に共通する。
大昭和製紙は企業統合の波間に沈み、優秀な技術者・従業員と、東日本大震災で甚大な被害を蒙りながら1ヶ月で操業を再開した岩沼工場を始めとした生産設備を新会社に引継いで消え去った。
大王製紙はどうなることか。
鼻紙よりも軽く、燧灘に積もるヘドロよりも汚い経営者が居座る余地が無いことだけは、確かなようだ。
住所: 愛媛県四国中央市三島紙屋町2-60
電話 : 0896-23-9001
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