登録したグループ共通のお題って事で・・・
あれは高校生の時でした。
割とダラダラとした高校生活を送っていた
田舎の高校生でしたから、
友人宅にタムロすると言うのは
お決まりのパターンだったのではないでしょうか?
朝は某国営放送局の連続テレビ小説を見てから原付の二人乗りで
遅刻寸前で校門に滑り込み、
帰りは夕焼け○ャンニャ○を見てから帰宅するような生活を
日々送っていたように記憶しています。
もちろん部活もやっていましたが、
それよりアルバイト先でこそ輝いていたような、
そんな高校生でした。
私がシビックと出会ったのは、その友人宅。
確か国立大学に通っていた友人の兄が乗っていたのが
赤いワンダーシビックでした。(グレードは25ⅰ??)
もちろんそれまでのシビックも知っていましたし、
別の友人が免許を取得して最初に買ってもらったクルマが
シビックと兄弟車だった頃の3ドアアコードで、
運転させてもらった記憶もありますが、
あれは、私のココロに響くクルマではありませんでした。
ですが、
ルイ・アームストロングの【この素晴らしき世界】とともに
颯爽と出現したこの新型(当時の話ですよ。。。(笑))は
MM思想の理想形に見えるスタイリングを、
台形の四隅にタイヤを追いやりる事で表現し、
同時に走りのよさも予感させるに充分でした。
ワンダー以前と以後で、
日本のFF2BOXが変わったと言っても過言では無いほどのインパクトでした。
また、後継のグランドにまで引き継がれた、
Siグレードのボンネット上にあるパワーバルジ(でしたよね?)
は、速さの象徴のように見えたものです。
大げさかもしれませんが、
自分の将来など、具体的に考えた事の全く無い(笑)、
無気力な若者に対する、
一つの希望になっていてくれたように思います。
【いつかはクラウン・・・】
多様化しすぎた現代のクルマ社会において、
その価値観は廃れてしまったかも知れません。
ですが、当時の私には、
【いつかはワンダー・・・(Si)】とココロに帰すものが
あったとしても全く不思議ではない。
そんなクルマでしたね。
時は流れて、私は社会人となりましたが、
しばらくはバイクの方へ流れていました。
しかも、当時流行っていたミニバイクレースの方向へ
先輩と一緒に傾倒していく中、
偶然に起こった二つの出来事が
私を再びこのクルマに引き寄せた訳です。
その一つ目は彼女の存在。
当時付き合っていた彼女は、どういう経緯からか判りませんが、
コンパニオン(EXPO関連の本物ですな。。。)をしていて、
クルマも持っていたので、
私は一緒に出かけるときも駅までピックに来てもらうだけで、
楽チンデートが普通でした。
(こうして書くと、最悪の男だな。。。私)
ところが、通勤途上で軽い接触事故を起こしたらしく、
それ以来運転が怖くなったようで、
どうしても私にクルマを購入して欲しいと
要求するようになった事。
(当時大流行のソ○ラを買え等と、ぬかしてたな、、、(笑))
そして二つ目は一緒にミニバイクレースをやろうと言っていた
先輩が、TODAYに乗っていた事。
この先輩の紹介でPRIMO店に行った訳です。
結局この先輩との夢は、
先輩が国道で自爆すると言う、
入院を伴うような事故を起こしてしまい、頓挫しますが、
結果的に私の手元には白いグランドシビック【25R】が
やってくる事になりました。
このファーストシビックは、
かなり大事に乗りましたが、目の上のタンコブとして、
いつも【25X】や【Si】がありましたね。
多分、乗っている人にしか判らない程度の違いですが、
例えばサイドモールの色が違ったり、
電動格納式ドアミラーが付いてなかったり、
当時の自分の経済力相当のクルマだと今は思えますが、
結局あと付けで電動格納式ドアミラーをつけたり、
テールゲートスポイラーをつけたり、
真っ黒まモールに白いテープでストライプ入れたり、
クルマ用品店で高価なカセットデッキ(笑)をつけたり。。。と
とにかくコンプレックスと戦う毎日だったように思えます(笑)
また、私には兄が一人いるのですが、
これがまた、某○士重工業に勤めていたりしまして、
いつだったか私のシビックに乗った折、
ペナペナなクルマだな。。。等とコメントされた事もありました。
しかしその兄も、今ではオデッセイに乗っていたりします(笑)
これが、私のHONDA党の影響力に屈したのだとすれば、
面白いものです。
Posted at 2005/07/22 14:06:00 | |
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