針尾送信所
日本海軍佐世保鎮守府隷下の無線送信所として、1918年(大正7年)11月に着工、1922年(大正11年)に完成した。総工費は当時で155万円という。竣工日は1号電波塔から順に4月30日、5月30日、7月31日。
太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を送信した電波塔として広報されることが多いが、この暗号を真珠湾攻撃部隊に向けて送信したのは千葉県船橋市の船橋送信所である。
針尾送信所は、瀬戸内海に停泊中の連合艦隊旗艦「長門」が打電し、広島県の呉通信隊が送信したものを受信し再発信したもので、中国大陸や南太平洋の部隊に伝えたものであるとされる。ただ、これにも異説があり、針尾送信所による送信の事実そのものがなかったとする主張もある([1])。
終戦後しばらく米軍管理地となり、1948年(昭和23年)から第七管区海上保安本部佐世保海上保安部が所管し、海上自衛隊と共同で使用している。ただし、針尾送信所の象徴であった巨大電波塔は、1997年(平成9年)に後継の無線施設が完成したことにより、現在では電波塔としての役割を終えている。
針尾島内では他に、浦頭引き揚げ記念公園や現在のハウステンボス・南風崎駅(本土)近辺の慰霊碑などに、第二次世界大戦の傷跡がのこっている。
ウイキ・ペディアより・・・
近くで見ると~迫力ありますよ~
歴史的建造物好きな方にお勧めです。(*^^)v
見学時間は【9時00分~12時00分】【13時00分~16時00分】
団体(20名以上)での見学は事前申請が必要です。
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