
皆さん、車に最初に乗った時の事覚えていますか?
親類縁者含めた私の周囲には自家用車なんて物はなく、漁船には乗っても車にはほんと縁がありませんでした。”車輪のあるもの”といえば「リヤカー」か「ネコ」という貨物用の手押し一輪車でした。
有るとしたら、そう、公共の乗り物ですね。
かといって私達の出没する地区は限られていましたからタクシーはほとんど機会がなく、島一番の大きな町「福江市」に年に数回行く時にバスに乗るくらいでした。
最初の車経験の(記憶がある)頃、私の地区の玉之浦までは車が走れる道が通じていませんでした。ですので途中の中須郷までは町営の渡海船で渡り、それに連絡しているバスに乗り換えていたんです。
当時のバスはまだボンネットが長くって車掌さんが券を管理してた、いわゆるボンネットバスでした。ボンネットはレンガ色で車体は緑じゃなかったかなあ。フロントの行き先表示の上にはダンプカーのような緑のランプが3つ有った記憶があります。
車は珍しかったので見るのは好きでした。見るのは、ね。でも車内の臭いが嫌いだったんですよ。床は板張りだったのですが、それに油が塗ってあったと思うんですよ。黒かったなあ~ 漁船には乗りなれていたんで機関室の重油の臭いは何故か好きでしたが、あの臭いはちょっと・・・
渡海船で30分くらい、15分くらい待ち合わせてバスで1時間30分くらい。それも起伏に富んだ山道をうねうね走るものでした。
もちろん道も悪いしバスの乗り心地も良くない。乗りなれない上に嫌いな臭い、今どこを走っているのか、そしてどこまで続くかも判らない山道・・・ いつも酔ってました。嫌いでしたねえ~ でも「これを過ぎれば町に行って、デパート(に見えた、実はスーパー)や本屋に行ける」と、必死で耐えていました。
30分くらい走った、途中にある”二本楠”で待ち合わせのために10分くらい止まります。せめてもの息抜き、そして覚悟の場所でした。ここからが本番の山越えが始まるんです。その名も”猪掛峠(いかけとうげ)”。”大嫌なとこ”の代名詞的な記憶しかないんです。
これ、戦前とか終戦直後の話って思っていませんよね?私が小学に上がる前ですから、だいたい30数年前のことです。
今では立派な道が地元の地区まで延びて”渡海船”は無くなりました。例の”猪掛峠”の下には快適なトンネルが出来ていますし、島の観光名所を巡る事の出来る綺麗な周遊道路も出来ています。
今なら・・・、”猪掛峠”も周りの自然を見ながら適度にくねる、走るのが楽しい道なんですけどね。
でも、車、嫌いでしたよ・・・
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五島・やんちゃ期 | 日記
Posted at
2005/04/12 12:27:19