会社をずるけた。
会社を、と書いたけども、人生を、と言ってもいいかもしれない。
人生をずるけて、一日を好き勝手に過ごした。
そうしたら、誰にも何も求められなくて、とても楽だった。
日がな一日、「いなくていい人」になった。
朝、通勤の人混みにまぎれて東京へ出る。
車内のサラリーマンは覇気のない顔でスマホをめくってる。
ふふ、みんな仕事だね。
だからこの電車に乗らないといけない。
でも私はこの電車でなくともいい。
反対側の電車に乗り換えたっていい。気が変われば降りたっていい。
ふはは、なんて自由。
今日満喫するのは、こんなささやかな自由たちだ。
途中、喫茶店で一日の計画を立てる。
やりたいことは幾つかあって、他人からすれば、それはどれも些末な事だ。
けど些末だからこそ、こんな機会でもなければ出来ないのだ。
些事その1:キーボードを試し打つ。
少し前からパソコンのキーボードの買い替えを検討している。
いくつか候補があるのだけれど、やっぱりこの手のものは
実際に触れてみないとわからない。
でも折角の休日、家人に
「ちょっと東京までキーボードを試し打ちに行ってくる」
とは言えない。
「は?」って言われる。
「何を試すの?」って聞かれる。
そして「そのへんで買えないの?」って尤もなことを言われる。
でも、とっても重要な事なんだ。
キーの重さとか手触りとかフィーリングとか、見た目とか。
わかってもらえないだろうけど。
秋葉原に着いて、いくつかのパソコン屋をまわった。
さすが天下のアキバだ。展示されているキーボードの量も質もちがう。
候補にしていたものも、憧れのものも、初めて目にするものもある。
あっちを触り、ほほう。こっちを打ち、ふうむ。で、眺める。うむ。
やっぱり実際に触らないとわからないものですね。
良いかもと思っていたものが、実はそうでもなく
伏兵みたいなものに、心を奪われた。
東プレという会社のREALFORCEというブランドのHi-Proというモデル。
ああ、これよ。これしかない。
君に出会うために今日という日があったのだ。
荷物になるから買うのは後日通販で、として(でもちゃんと試打した店で買った)
あとは、久々の秋葉原をカメラ片手に楽しもう。
今や秋葉原は、アニメとメイドの街になっているけど
一角には昔の姿が残ってる。
ちいさな電子部品を売るちいさな店々と
そこにたむろするおじさんたち。
おじさんたちは、むっつり黙って、老眼の目をしばだたせながら
何に使うかわからない部品を物色している。
決して急がず慌てず、その動きはのんびりして
でも目的が明確だから、無駄がない。
ちょっと能の世界にも似てる。
その熟練の、年季のはいった姿に少し憧れた。
表に出ると、通りの向こうに昔の職場が入ったビルが見えた。
ふたつめの些事は、あの近くにある。
些事その2:昼から蕎麦屋で一杯やる。
以前東京で務めていたとき、昼食に蕎麦屋に出向くと
昼間から一杯やってるおじさん達がいた。
こっちは忙しくて、蕎麦をかっこむのも精一杯なのに
何だこの野郎、って苦々しく思ってた。
いつか見ていろオレだって。
でも、そんな理由で会社は休めない。家族にも言えない。
説明するにしても
「いや、だから、これはあの、社会への復讐っていうか、その」
ってきっとしどろもどろになる。
だから、この機を待っていた。
昼間でまだ時間があるけれど、店の前には列ができていて
梅の花を眺めながら、順番を待った。
5分ほどで中に通される。
中瓶のビールを頼んで、アテには焼き海苔を選んだ。
パリッとした海苔をわさび醤油で食べて
昼間っからのビールを喉で愉しむ。
ぷはー。これですよこれ。
この店はいつも混んでいて相席が基本。
向かいの席ではサラリーマンのおじさんが天ぷらそばを食べてる。
む、天ぷらか、やるな。でも、こっちはビールだぞ。
右隣は、スーツ姿の老人が差し向かいで一杯やってる。
聞くともなく話を聞く。たいした話じゃない。
たいした話じゃないけれど、年季が入っているためか話術によどみがない。
江戸弁だからか落語を聞いてるみたいに耳に心地いい。
私もこんな風に年を取れるかな、と思う。
目の前の席は、天ぷらそばのサラリーマンから
ざるそばの上品なおばさんに代わった。
そのおばさんが蕎麦湯を飲む頃には、私のビールも残りわずかになる。
燗酒に行きたくなる気持ちをぐうっとこらえて、かけをばを頼んだ。
まだ一日は長い。ここで酔っ払うわけにはいかない。
おばさんが席を立ち、次いで瀟洒な中年男性が座った。
スマホで読んでるメールは英文で、いかにも仕事ができそうだ。
社会人としては、こりゃ到底かなわないな、って思う。
でも、今は、昼間っからビールを飲んで
ほろ酔いになってる私の勝ち、だ。多分。
神田の蕎麦屋を出て、御茶ノ水に向かった。
御茶ノ水駅前の本屋まで歩く。
しばらくすると、楽器屋が増えてきて
ああ、学生の街だな、って思う。
私はここに文庫本を探しにきた。
些事その4:文庫本との出会いを愉しむ。
日がな外出していると、暇な時間ができる。
移動の電車中だとか、オーダー品が出てくるまでの店内だとか。
そんなとき、ふとスマホに視線が落ちる。
大した情報がないのは分かっているのに、覗いてしまう。
夏場、視線が女性の胸元に泳ぎ着くのに似てる。
見たくもないのに見ちゃう。いやそこは見たいのか。
ともかく、折角の非日常なんだから、スマホはやめて
視線の落とし所は活字にしよう。
本屋に入って、たまさか出会った本との逢瀬を楽しもう。
ということで、駅前の本屋で、文庫本を探した。
今日一日で読み切るだけの量でいい。薄いのがいい。
しばらく物色して、レジに持ってったのは、吉村昭の遺作「死顔」。
吉村昭は大好きで、たくさん本を持っている。
数年前に亡くなられた時、遺作の出版を知った。
あれから数年。そうか、文庫になっていたか。
スマホの代わりに、彼の遺作のページを繰りながら電車に乗った。
次に目指したのは新宿だ。
些事その5:デジタルライカのシャッターを切る。
最近ちょっとデジタルのライカが気になってた。
昔、フィルムのライカは使ってたことはあるけれど
ようやく買ったものだったから(でも中古のボロ)
あまりにも大事にしすぎて、おっかなびっくりで
ぜんぜんいい写真が撮れなかった。
あれから十年。デジタルのM型ライカも世代を経ている。
初代であれば中古価格もこなれてきていてる。
こなれてるとはいえ相変わらず高価だけれど
でもまあ、何光年も彼方ってほどではない。
日本製の最高級一眼レフの新品と同程度で
月旅行くらいまでには近づいている。
月に行くための貯金ならやぶさかではない。
新宿には、そのデジタルのライカが
展示品として置いてある店があって
自在にシャッターが切れるという。
うおお、なんという太っ腹。
ううむ、切ってみたい。でも家人には言えない。
「ちょっと新宿までシャッターを切りに行ってくる」
なんて口が裂けても言えない。
だからこの機は逃せない。
さてそのライカ。
これも触ってみないと分かりませんね。
最初に触ったのはM(type240)ってやつ。
質感はさすがにライカで、ずしり、カッチリしてる。
他のカメラにはない濃縮感がある。
おう。
これよ。
ドイツの職人魂の塊よ。
けど、電源を入れて、あれっておもった。
「がちょ」って音がする。
凡百のデジカメに電源を入れたときの、乾いた作動音と一緒だ。
え、ライカもこんな音すんの?
いきなり興が醒めて、ボディを置いた。
ゴトリ。
もう一台のライカも手にする。こっちはM9だ。
こっちは「がちょ」って言わない。ほう。
ファインダーを覗く。いいね、悪くない。
シャッターを切る。
フィルムライカの「たしゃん」って音を期待する。
いや、暗い店内だからシャッター速度は遅くなって「た・っしゃん」か。
でも聞こえたのは、「じこっ」ってデジタルな音。
しかも続くシャッターチャージの音が「うじぃ」って鳴る。
必要な作動音なんだろうけど、ううむ。
MとM9を交互に手にして何度もシャッターを切ったけどだめだった。
これは私の琴線には触れない。
フィルムのライカと比較してはいけないのは頭では判るんだけど
心というか手のひらというか、指先が納得してくれなかった。
やっぱり実際に試さないとわからないな、と思いつつ
新宿を出て、根津という街に向かった。
些事その6:「谷根千」を徘徊する。
いつか、カメラ片手に「谷根千」と言われるエリアを散策してみようと思ってた。
このあたりは、ぶらりと歩くにはいいところらしく
最近流行りだとも聞く。
根津に向かう電車内で先程買った文庫本をめくっていると
ちょうど物語の舞台も「根津」に移った。
へえ。こういう偶然もあるんだ。
ちょっといい予感。
でもね、失敗だった。少なくともわたしの写真には向かない街だった。
2時間くらいぶらぶら歩いたけれども、これという風景に出会わない。
路地を縫うように歩いても、どこか洗練されている。
商店街の目線は、地元民ではなく観光客に向いている。
うう、残念。
まあ、いいか、こういう失敗もある。
さて、陽も西に傾いてきた。
人生をさぼるのも、そろそろ終いだ。
些事その7:知らない大衆居酒屋で一杯やる。
初めて歩く街で、知らない店に入って一杯やってみたかった。
適度な緊張感と、それを緩和するアルコール。
常連と店主との親密さをつまみに、ひとり疎外感を味わう、みたいな。
谷中の墓地を抜けて、日暮里駅前にある居酒屋に入った。
縄のれんをくぐる。古い小さな店だ。
ビールを頼むと大瓶が来た。
ひとりで大瓶は重たいなあ、って思ったけれど
すいすいと喉を通る。だいぶ歩いて喉も乾いていたんだな。
ビールから燗酒に移りながら、文庫本の残り少ないページをめくる。
背後では、老齢のグループが久々の再会を愉しんでいる。
酔にまかせて話し声も大きい。
「こないだ娘が孫を連れて帰ってきてね
久しぶりに孫とお風呂に入ったらさ
おじいちゃんのチンチン小さいなんて言いやがんの。
おまえのパパのはそんなに大きいのかって
なんか複雑でさあ」
賑やかに話す老人たちの話題は、孫と病気と誰かの死だ。
手元にある吉村昭の小説も、テーマは死だ。
男性の平均寿命は、いまや80歳だというけれど
これを聞いて80歳以上生きられると、楽観的には思えない。
80になるまでに半分死ぬんだなあ、って思う。
くじ運の悪いわたしは、きっとその半分の組だろう。
文庫本を読み終えて、お銚子も空になった。
一日、人生をサボってみたけれど
その行く先々には、きまって老人の姿があった。
秋葉原しかり神田の蕎麦屋しかり、夕暮れ前の居酒屋然り。
人生をずるけると、人生をリタイヤした人たちの日常に沿うんだな。
私の非日常は、彼らの日常だった。
居酒屋を出て暮れなずむ日暮里を見る。
勤め終わりの人たちが駅に向かっている。
彼らはこの場にいる理由がある「いるべき人たち」だ。
私の「いなくていいひと」ごっこはもうお終い。
そうして私は、いるべき人たちの群れに紛れた。
今日のお供は、エプソンのRD-1sというカメラ。
もう老兵で、画素数なんて携帯のカメラより少ないけれど
こういう使いみちには最高の友だ。
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♪「いなくていいひと」たま