官直人 とは
コイツの事だ
(-"-;)

ソースです。
社長の仕事術 2011年 5月 20日
「菅VS小泉」の危機管理力を採点する
飯島 勲 「リーダーの掟」
プレジデント 2011年1.17号
民主党政権が発足してからのこの1年半、鳩山、菅の両首相が発言するたびに、日本の国民は不安が膨らんだのではないだろうか。
小泉元総理秘書官 飯島勲
キーワード: リーダーの掟 飯島勲 選挙 Size: ブックマーク
日本の地位が下がり国民の不安が広がった
2010年の民主党は、普天間での迷走に始まり、小沢・鳩山の政治とカネの問題が重なり、とりあえずの首相交代でしのいではみたものの、参院選で惨敗。夏以降は、尖閣諸島問題に、ロシア大統領の北方領土訪問、北朝鮮の砲撃事件と大きな外交問題が立て続けに発生したが、結局、まともな対応ができずに、国際社会での日本の地位がどんどん低下する事態に陥っている。
民主党政権が発足してからのこの1年半、鳩山、菅の両首相が発言するたびに、日本の国民は不安が膨らんだのではないだろうか。いちいち振り返るときりがないが、APECでの日中首脳会談の冒頭で、菅首相が中国の胡錦濤国家主席を前にして、メモを読み上げながら挨拶するという前代未聞の愚挙には、情けなくて涙が出た。
首脳外交の場ではあいさつというのは重要だ。小泉総理が、初めて北朝鮮を訪問して金正日と会談したときは、決して表情を緩めず、相手を威圧するために握手の方法まで気を使ったものだ。それが相手の目も見ないで、メモを読み上げるだけのReaderでは、国際社会ではLeaderとは見なされず、だれも相手にしてくれない。
北朝鮮の砲撃事件への対応も情けなかった。首相官邸ホームページに「北朝鮮砲撃事件に係る各国の対応」という文書が公表されている。日本の官邸は、14時34分の事件発生から1時間以内に情報連絡室を設置して、2時間半後には菅首相はぶら下がり取材を受け、駐日韓国大使と連絡をとりあっているなど、いかにも仕事をしているふうな記述が続く。一方、米、露、中については報道官発表しか記載されておらず、日本の官邸がいちばん仕事をしているかのように見せかけている。
また、ほぼ同じ内容が、首相官邸メールマガジンの代わりに11月からスタートしたという「カンフルブログ」なる首相官邸の情報発信ブログにも11月27日付で掲載されているが、報道で批判を受けて、国会で追及されてからの公表では、言い訳ととられても仕方ないだろう。
この「カンフルブログ」では、APECで通訳を担当した職員や、官邸写真室のカメラマン、記者会見で司会を担当する内閣広報官に無理やり菅首相の外交が上手くいっているかのような発言をさせているのも気持ち悪い。「相手国の首脳も、メモを持っていらっしゃる方もありますけど……」(通訳氏)、「(歴代総理は)服装や髪形、非常に気になさる方もいらっしゃいましたが、菅総理はそれほど気になさっていないようですね。むしろ中身で勝負といったところでしょうか」(カメラマン氏)、「今日は、ご自分で用意されたメモにも目を落とさずに、質問などに応じられていました」(広報官)などである。だれもほめてくれないからといって、身内に強制するのはよくないと思う。3人のうち2人がメモに言及しているところをみると、よほど日中首脳会談での「メモ」のことを気にしているのだろうか。
しかし、官邸ホームページで後からいかに取り繕ったところで、事件当日の菅内閣の対応がいかにお粗末だったかなど、翌朝の新聞の首相動静を見ている国民には周知の事実だ。
事件が発生したのは、勤労感謝の日で休日だった11月23日。日本でも報道が始まった16時過ぎには、菅総理は公邸で民主党の斎藤勁民主党国対委員長代理と会っていた。後に国会で日本の安全保障上の問題よりも国会対策を優先したのかと追及されて「TVをつけて心配だなという話もした」というから、あきれるほかない。
16時43分に公邸を出て、44分に執務室に入った後で、46分に古川元久官房副長官、伊藤哲朗内閣危機管理監が官邸入り。50分に“影”の総理ともいえる仙谷由人官房長官が到着。その後、17時12分からぶら下がり取材。ここでは、北朝鮮への非難も全く行わずに報道を通じて事件を知ったかのような間抜けな発言をしている。
菅総理はその後、皇居での行事に参列した後、20時55分から「韓国・延坪島に対する北朝鮮による砲撃事件」に関する閣僚会議を開催。なぜ安全保障会議ではなかったのかという疑問は残るが、ようやく関係閣僚が集まった。事件発生からここまで6時間以上、正副の官房長官以外の民主党の政治家が官邸を訪れた形跡がない。岡崎トミ子国家公安委員長にいたっては、事件当日、登庁することもなく、役所からの連絡を待っていたというから驚きだ。閣僚が集まらなかった理由について菅首相は翌日「休日で集まれなかった」と語った。
米テロ時の小泉内閣と比較してみる

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短命政権『ラスト5カ月の支持率』私が思い出すのは、01年9月11日の米国での同時多発テロだ。小泉政権の発足から約半年後に発生した世界的な大事件だ。日本の安全保障を揺るがす事件への対応であり、政権発足からの時期を考えても、今回の事件と比較してもよいのではないかと思う。
あの日は、台風15号が関東地方を直撃し、東京は激しい風雨に見舞われ、官邸も朝から対策に追われていた。幸いにも風雨のピークは午前中で終わり、台風による大きな被害もなく、小泉総理も官邸スタッフも一安心していたところだった。日本時間21時46分、ニューヨークの世界貿易センタービルに、ハイジャックされた一機目の旅客機が突っ込んだ。小泉総理は、夕食のため官邸近くのホテルに出かけていたが、21時50分には公邸に戻っている。別行動で帰宅していた私も、CNNの中継を見てあわてて公邸に向かった。22時過ぎには、福田康夫官房長官、安倍晋三、上野公成の両官房副長官、麻生太郎自民党政調会長ら関係者が次々に集まってきた。連立与党の神崎武法公明党代表も来た。閣僚や与党幹部が次々に公邸や官邸の危機管理センターに詰め掛けてしまうので、情報漏えいを防ぐためにもどうやってお引き取りいただくかに苦慮したほどだ。そんななか、田中真紀子外相の出足がずいぶん遅れていたのは印象的だった。
もちろん、小泉内閣の対応もすべてが上手くいったわけではない。就任半年で慣れない面があるだけでなく、外務省を完全にはコントロールできなかったところもあった。中でも大きな反省点となったのは、総理ではなく官房長官が最初の記者会見を行ったことだ。声明文にはテロへの非難と米国への見舞いがこめられており、「報道で知った」「休日で集まるのが遅れた」などとの間抜けな発言とは雲泥の差だったとは思うが、以来小泉内閣では重要な発表がある場合は、総理が国民に直接語りかけるというスタイルが定着した。
緊急事態に際して、政府が最も優先しなければならないことは、国民を安心させることだと思う。そして、それが信頼につながるのだ。記者会見でも、報道を通じてコメントを発表しても、インターネットなどで独自に発信してもよいが、国民に安心感を与えるという目的を達成できなければ、国の最高責任者としては失格だ。メモを読み上げるだけなど言語道断だ。私は以前から、政治家が国民におもねったり、その場しのぎのきれいごとを言うだけではやがて信頼を失い、蔑まれるようになると語ってきたが、民主党政権はすでに蔑まれる段階にまで来ているのではないだろうか。
引用おわり。
執筆者が、小泉元総理の秘書なので、おもくそ小泉政権よりの言動をしていますが、それをさっぴいても民主党政権とすっから官のからっぽぶりが理解出来る内容です。
冒頭のグラフを見れば、小泉政権と、それ以外の政権の人気にどれだけの違いがあるか判ります。
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Posted at
2011/06/24 16:20:47