こんばんは、本日7月5日は伝説の歌手「水原弘」が亡くなった日であります。
最近では取り上げられることも無くそんな人は知らねーよって方がほとんどかと思います。
そんな水原弘で有名なのはやっぱりこれかな?
昔は田舎へ行くとよく見かけた「ハイアース」の殺虫剤の看板。
由美かおるの「アース渦巻」の看板とペアで貼られてましたよね!
さて、ここで水原弘についてさらっと書いてみようとおもいます。
その前に自分は水原弘が結構好きな?歌手なんです。
理由は良く分かりませんが昔から気になる方でした・・・
ここからが本題。
水原弘、通称「オミズ」は昭和34年に「黒い花びら」で記念すべき第1回レコード大賞を受賞し
数十万枚のレコードを売り上げました。
一発で天下を取ったオミズは酒豪で何十人もの取り巻きを連れて一晩で何件ものクラブやらを
飲み歩き一晩で300万もの大金を使うなどの豪遊を続けていました。
その頃オミズが兄と慕い遊びの手本にしていたのが故・勝新太郎でした。
「黒い花びら」以降は「黒い落ち葉」など黒シリーズを連発しましたがどれもヒットせず
次第に低迷していきました。
ヒット曲がなく収入が得られなくともサラ金から何千万もの金を借りて相変わらずの豪遊生活!
そして昭和40年頃に暴力団との掛け賭博でオミズが50万円ほど巻き上げられたことが
発覚して警察から事情聴取を受けることになりそれから約2年間仕事を干されてしまい
どん底にたたき落とされてしまいます。
さすがのオミズもこのままではいかんと行動を起こしある男を訪ねます。
その男とは、故・長良じゅん氏
オミズはそれまで長良氏と会っても口を聞かず挨拶もしなかったみたいですね。
そんなオミズが俺をもう一度男にしてくれと頭を下げたのだから余程の覚悟
だったんでしょうね!
長良氏はオミズを復活させるために故・川内康範のもとを訪ね協力を求める。
そうしてオミズの歌に惚れ込んだ計6名の男たちによってオミズの復活劇が始まります。
その復活劇が始まった昭和41年頃に名奈子夫人と結婚。午前零時からの挙式だったそうです。
これもオミズを復活させるための話題作りの一つでした。
そして「君こそわが命」のレコーディング!
これはのちに伝説と言われるレコーディングでした。
歌唱力は抜群のオミズが、あなたをホントはさがしてた~♪と唄い始めるも中々Okがでず
オミズは汗だくになりながら命をかけて唄いました。
やっとOkが出たのは開始から12時間後でオミズはパンツ一丁の姿だったそうです。
そうして昭和42年に発売された「君こそわが命」
この曲で見事その年のレコード大賞「歌唱賞」を受賞!奇跡のカムバックを果たします。
裏話ですがここでオミズが大賞をとれなかったら二度と無理だろうと箔をつけたようですね。
でもオミズは本当に嬉しかったろうと思います。
しかし、このヒットによってまたオミズは夜の世界に戻ってしまうのです・・・
「君こそわが命」のヒット以降またもやヒット曲に恵まれずに低迷していきます。
それでもサラ金から何千万もの借金をして豪遊生活を続けるオミズ。
ついにはどうにもならず長良氏に内緒で営業権を暴力団の金融業者に売ってしまいます・・・
この一件で長良氏と決別・・・
オミズは借金返済のため連日全国のキャバレー(ドサ回り)を強いられ身体で払うことになります。
ただし長年の酒豪がたたり身体が弱っていたオミズは働けば働くほど身体にダメージが蓄積
されていきました。
そしてついに昭和52年1月頃巡業先の金沢で倒れてしまいます。
オミズの肝臓はすでに正常に機能しなくなっており黄胆や腹水などの症状が出ていました。
肝炎で倒れて2月末まで病院で入院、6月末まで自宅療養し7月に復帰したが
急性肝炎から慢性肝炎に移行し肝硬変を発症。度々貧血で倒れるなど危険な状態でした。
そんな状況でも寝る間も無く全国を回るハードスケジュールをこなさなければならないオミズ
その理由は多額の借金返済。
そして運命の日がやってきます。
昭和53年6月23日オミズは巡業で九州に行ってました。
下関のキャバレーでショーを行い午後11時頃に無事に終了。
同11時45分頃に小倉のホテルに到着。
最後のオミズのマネージャー美山氏がオミズに食事をすすめるが
何も食べたくないと・・・ただ熱があるようようだとフロントから体温計を借りて一人で部屋に
入るオミズ・・・美山氏は一人で食事をしたあと様子が気になりオミズの部屋を覗く・・・
するといつものごとくテレビは点けっぱなし、だがベッドにオミズの姿が無い・・・
そしてバスルームを覗くと・・・便器を抱えるように倒れていたオミズ!
慌てて抱き起こすと便器の中はドス黒い血で染まっていた・・・
そしてまたもや口から大量の出血!このとき体内の1/3ほどの血が出ていた。
急いで美山氏が救急車を手配してオミズは病院に運ばれました。
意識を失ったままのオミズ・・・そして繰り返す吐血・・・
数日後にオミズは意識を取り戻すが声を出すことが出来ない・・・
それは体内で出血した大量の血を外に導き出すために喉元を切開したためであります。
ようするに命を取り留める事ができたとしても二度と唄うことは出来なかった訳ですね・・・(涙)
それから数日たった昭和53年7月5日、午前7時29分に入院先の北九州市戸畑区にある
「健和総合病院」にて42歳の生涯に幕を閉じました。
死因は肝硬変悪化による消化管出血(食道静脈瘤の破裂、胃腸壁出血)でした。
オミズの死後には一億円という借金だけが残されました・・・(現在はすべて返済済み)
あっ、オミズには一人の息子が居りますが病床では会うことも出来ずに亡くなってしまいました。
亡くなる直前にオミズは息子あてに似顔と「おれが・・・」という三文字を書き遺したと言います。
何て書こうとしたのでしょうかね・・・
家族での一枚
当時の雑誌より
あらためてオミズの曲を聞くとやっぱりいいんですよね~そしてホントに上手い♪
晩年の昭和52年頃?に松崎しげるの「愛のメモリー」を唄っているんですがこれも
素晴らしいですよ!酒で体はボロボロでしたが歌唱力は衰えていませんので凄いですね!
もう二度とこんな歌手は出てこないでしょうね。
本日の曲は「君こそわが命」♪
これは最後の紅白出場時の映像で昭和48年頃ですかね。
故・三波伸介の声援がいいですね♪
もう寝ます・・・