正弦波って知ってるだろうか。
知らないはずはないけど。
「音」の世界ではよく使われる。
正弦波がどんな音かっていえば、音叉の単調な音がそうで、音にはもっと刺激的な複雑な波形があるけど、どんな音も分解していけば元はこの正弦波だといえる。
逆に言うと、この正弦波を横に並べたり、縦に積み重ねて変調をかければどんな音でも再現することができる。
ちょっと、君に話したいことがあるから、ちゃんとついてきてね。
そんなに難しい話じゃない。
これが正弦波。
縦軸がエネルギーで、横軸が時間。
(±0)からスタートした音は、どんどんエネルギーを上げて、頂上までいく。(+10)って書いたとこがそう。
ここまで90°進んでいる。
そして(+10)を過ぎたら、今度は下降を始めて(±0)に戻って、ここで180°。
何度っていうのよくわからない?
(±0)から(+10)を通って(±0)に戻ったら半円でしょ?
だから180°なんだ。
その後はマイナスの領域に入って270°のとこで(-10)。
そこから(±0)に戻って360°進んだことになる。
ついでに言っておくと。
360°で一周してるから、1サイクル。
500サイクルの音、とかいう言い方があるけど、それは1秒間にこういうサイクルが500回あるってことで、その500サイクルの音が、すなわちオーディオのイコライザーなんかにある500Hzっていうやつだ。
ここまで、いい?
あ、一発で理解できたの?
うーん、ごめん、おねえちゃん、ちょっと君っていう人間を信用することができなくなってきたけど、まあ先に行くね。
問題はここからだ。
人生が(±0)からスタートすると、人間は上を上を目指すよね。
テストで60点だったらもっと頑張れ、と言われ、80点とったら「あと少しだ」と言われ、100点とったら「よくやった」とご褒美もらえたりさ。
受験もそうだよ。
(+3)の大学を目指してても、東大じゃなくてもいいからせめて(+7)の大学を目指せと言われたり。
会社も、そして働き出したら社会的な立場、経済力だよね。
しかしね、人生って不思議なもので、頂点に達しても、それをそのまま維持することはできない。
これは「人によっては」とか「たまたま」ではなく確実にできない。
そういう仕組みになっている。
社会で成功して、ある場所まで来ると、なぜだか、どうしてもそれまでの上昇から、今度は降下に転じ始める。
もう一回グラフを見てごらん?
え?もうグラフはいいの?
もうグラフとか見たくないの?
うるさい!黙って見ろっ
君は会社を立ち上げて社長になって業績を伸ばした。
でも(+10)に達したとき、業績がとつぜん下がり始めた。
(+8)まで落ちたとき、「え?」とは思うけど、まだ銀行は追加で融資してくれるっていうし、なんとか巻き返せるだろう。ところが一旦下降し始めたエネルギーっていうのは止まらない。
そういうものなんだ。
(+6)になってくるとさすがに焦るよね。
社員に給料が払えない。払ったら今度は不渡りを出す。
何人かをリストラしても追いつけない。
そして(+3)とかになってきたら、さすがに君も諦める。
奥さんと二人で、「結婚した頃は貧しかったなあ。またあの頃に戻りそうだ。でもあきらめないよ。またゼロからもう一度やり直すんだ」「あなた、わたしは何もかもなくなってもあなたについていくわ」
たいへん美しい夫婦の姿だ。
そんな美しいとこ、たいへんもうしわけないんだけど、グラフを見てごらん。
(±0)では止まらないのだよ。
ゼロから再出発とか、もうそんなのんきな状態じゃないのだよ。
だって、ここはまだ180°の地点でしかない。
ここからマイナスの領域に入っていく。
どうやったって食い止めることはできない。
(−1)(-5)(-7)・・・振り返るともう奥さんもいなくなってる。
そして孤独の中で(−9)、そしてついに(-10)の谷底を迎える。
これは270°の地点だけど、このとき、君はすでに自己破産し、もう君の周りには誰もいなくなってることだろう。
でも、その絶望の次の瞬間、「あれ?」と気づくだろう。
もう何もかも諦めて、廃人のようにふらふら歩いてると、誰かが「おはよう」と挨拶してきたり、誰かがおにぎりをくれたり、そのうち「もう一度一緒に頑張ろう」とか言ってくれる昔の仲間が現れ、気がつけばいつか(ー7)に上がってて、そのうちさらに(ー3)と、今度は上昇を続け、一度谷底を見た者が、360°進んでいよいよ最初にいた(±0)に戻ってくる。
さて。
ここで。
君に聞きたい。
君は、360°進んでやっと(±0)に戻ったとき、何を思うだろう。
もう一度頂点を目指してみるかい?
でも次はものすごく頑張って、何かの事業がヒットして(+100)とかになったら、どうする?
「ざまーみろ、やったぞ」って思う?「今までの負けを取り戻したぞ」って感じ?
ねえ、そこから180°進んだ次の下降の谷底は(−100)だよ。
(-10)でもあんなに苦しかったのに、今度はその10倍の絶望がやってくる。
それは確実に。まちがいなく。
(±0)にいるとき、わたしたちはできるだけ高みを目指せと教育されてきた。
急激な勢いで最初の90°を駆け登れ、と。
しかしこの90°をどこまで行ったかで、次の270°の運命はじつはすべて決まってしまうのだ。
もうこれは物理法則なんだから、誰にも止められない。
ただ、必ずできることがある。
それは360°を終えた次の波のエネルギーの頂点を抑えることだ。
(±0)では生きていくのも難しいけれど、頂点(ピーク)を(+3)に抑え込めれば、谷底(ディップ)もせいぜい(−3)で、そこら辺りを行ったり来たりする人生が幸せだとは思わないか?
音の仕事をしてたとき、オシロスコープに流れる、正弦波が美しく描く弧を、わたしはぼんやり眺めながらいつしかそんなことを考えていた。
これが「無常」というものだろうか、と。
わたしも社会に出てからずっと高みを目指してきた。
みんなだってそうだろう。
それが(+5)なのか(+10)なのか、それとも(+100)なのかはそれぞれだとしても。
だって、わたしたち、夢を追いかけることの美しさをずっと教えられてきたからね。
学校でも。そしてテレビドラマやロックスターたちからも。
けれど、みんな、どうだろう。
それは勉強しないでTVゲームに熱中する子どもが考えそうな、みんなで「これっていいことなんだってことにしようよ」って決めたエクスキューズではなかったか。
だって、そうじゃないと、人生がつまらないからさ。
夢を追いかけることとは。
ただ歌を歌ったり絵を描く行為であり、楽しいけれども、そこに人生の本質はない。
人生って、ほんとうは、つまらない中で生きていくことが正しいんじゃないだろうか。
仕事は、うまく行ったら拍手をもらえる。お金ももらえる。
そして社内スピーチでは「ここまでくるのは本当にたいへんでした。でも皆さんのお力添えがあり・・」なんてもっともらしいこと言ってるけどさ、その先に拍手喝采が得られるなら、人は頑張れるんだよ。
なんだってやるよ。
わたしは決められたことを決められたように、よけいな心配りや、急にスピードアップして効率を上げるとかえって迷惑になるような、工場のベルトコンベアで流れ作業をする工員の人に憧れて、尊敬している。
彼らは、今日はうまく出来た!なんてことはない。
いつだって、いつものとおりだし、いつものとおりでなくてはならない。
いつもの倍のスピードで頑張ったらラインが回らなくなる。
余計なことをしちゃいけないんだよ。
だから人に差をつけることができない。だから人から褒められることがない。
評価もされない。
拍手がもらえない。
無限軌道車って、わかる?
キャタピラで動くの。
戦車とか、ブルドーザーとか。きっとwoodyさんが大好きなジェットモグラとかがそうだ。
無限軌道車の車輪は、ただいつも同じ場所を、ただの歯車としてぐるぐると回ってるだけだ。なんの変化もない日々で、そこにはおもしろみはなく、思いもない。
だけど、それでも。
その歯車を覆うキャタピラはゆっくりと、でも確かに、前へ前へと進んでゆく。
これもまた無常だ。
諸行無常。
その中で、わたしたちは何を見て、どこを目指そう。
どんな生き方を選んでも、わたしたちに常住はないのだ。
女としては。
お金持ちの旦那さまと正弦波の頂点のようなタワマンから下界を見下ろす暮らしより、小さな旧いアパートの階段を、今朝もあわてて駆け降りる人を追いかけ、「忘れもの!」と日の丸弁当を渡す人生が、それがさ、幸せだとは思わないか。
それは。
正弦波に外部ノイズを食らったいびつな波形に何度もつまづきながらも、それでも最初の90°で上を目指したわたしには、もう手の届かない幸せだ。