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2026年02月19日 イイね!

心をきれいにする、たったひとつの方法

ダートラリーってあるでしょ?
コースの中に大きな岩とかもあって、それをよけながら走って行く。
中学生くらいの頃だったか、そういうレースの選手が「岩のよけ方」について語っているのを本で読んでわたしは衝撃を受けた。

それは「目の前の大きな岩を見るのではなく、岩のないところを見て、そこに向かって進む」というもの。
よけるべきものを見ていると、避けられないのだそうだ。

目の前の岩を見てたらその岩に吸い寄せられて激突する。
岩にぶつかりたくないのであれば、岩を見ず、岩のないところに向かってステアリングを切る。

考えてみたら当たり前のことだ。
中学校の廊下で誰かとぶつかりそうになったとき、「ぶつかっちゃいけない」と焦りながら結局いつもまともにぶつかってしまうことの理屈がわからなかったんだけど、その謎が、ここで解けた。

渋谷のスクランブル交差点が青になれば、前からも後ろからも巨大な群衆が一斉に動き出し、横断歩道の真ん中あたりでは、あちこちでお互い「お?お?お?」ってなってる。

わたしはここで鍛錬をした。
迫ってくる人間を見ない。
足元を見て、誰かの靴があれば、すぐに何もない地面を探してそこに足を進める。
次の瞬間新たな靴が現れたら、すぐにまた靴のない地面を探して、そこへ向かう。

だから、今、仕事でも、「万事休す」にはならないんだ。
問題が現れても、それに頭を抱えたり闘うのではなく、即座にその問題がない場所を見つけ、方向転換して進んでいく。

わたしが大嫌いなのは「そんなこと言ってたらなんにもできなくなっちゃう」っていう、問題を指摘された頭のわるい人がよくいうセリフだ。
それは指摘された問題点だけで頭がいっぱいになる人で、これでは巨大な岩に自ら吸い込まれるように突き進み、やがて衝突する。

そのたったひとつの、あるいは二つでも三つでも、その岩さえかわしきったら、そこには何もない広大な大地が広がってることに気づくんだ。


さて。
ところで。

みんな自分の心はきれいでありたいといつも願っている。
もしくはすでにきれいだと信じ込んでいて、疑わない。

心とは、たとえばガラスのコップに入ったきれいな水だ。
人生では、何かの折にその自分のコップを瞬間瞬間見ることがあり、そのとき、きれいな水の入ったコップの底に、想像以上に汚い泥が沈澱していることに気づいて愕然とする。

自分の心の底に、こんなに醜く汚いものが、こんなにも蓄積されていることをどうしても認められない。自分はもっときれいな心のはずだとショックを受ける。
認めることができないから、半狂乱になって、あわてて指を突っ込んでコップの中の泥を掻き出そうとするけれど、そうすると泥は水にかくはんされ、上のほうはきれいだったのに、もうコップの中の全部が泥水になってしまって、気を失いそうになる。

心が泥に支配され、そのことを許せないから、ここで精神のバランスが壊れてしまう。
このとき人の精神はもう「まとも」ではいられなくなっている。

なぜ泥を溜め込んでしまったのか。
考えてみたら心当たりはたくさんあった。
でも今さら気づいたところで、その過去はもうやり直せないんだ。
そして「自分はもうだめだ」と、膝をついて頭を抱える。
「もう終わった」って。

いや。
終わらない。

じつは、コップの中の水を、精神を錯乱させることもなく、一点の汚れもないきれいにするかんたんな方法が、ひとつだけある。

今日はその話をするので、よく聞いてほしい。

キッチンに行って、コップの中に、なんでもいいけど、たとえばお茶っ葉とかをコップの底に入れ、そのコップに水を注いでみよう。
お茶っ葉は水中を舞ってやがてコップの底に集まり、それが、つまり心の底に溜まった汚い泥だ。

このお茶っ葉をすべてきれいに、粉ひとつも残すことなく、取り出すなんて、スプーンを使ってもできない。
とりあえずそこはあきらめよう。だって取り出すことは不可能だからね。
だから、ここからはもうお茶っ葉のことは気にしなくっていい。
そして、コップを蛇口の下にもって行き、コップに新しいきれいな水を注ぎ続けよう。

どれくらいの時間か。それは君が入れたお茶っ葉の量にもよるし、注ぐ水量にもよる。
けれど、しばらく経ってふと気づけば、コップの中のお茶っ葉は、きれいになくなっている。
注ぎ続けたきれいな水が溢れて、心の中の泥はすべてコップの外に流れ出ていったからだ。
コップの中には、どこまでも澄んだきれいな水があるばかりだ。

たいせつなのは、まず、コップの中の泥の存在を認めること。
君の心なんか、表面上はどう繕っていたって所詮底のほうでは汚いのだ。
そういう心であることをまず認め、そしてそれを取り除くことは諦める。
ここでそれを認めなかったり、あきらめようとしないから、正直な人ほど精神がおかしくなっていく。
でも泥の存在を認めなければ、きれいな水を注ぐことを、いつまで経ってもしない。

これは自分の心だけではない。
たとえば愛する我が子が非行に走ったとき、あるいは精神が傾いていったとき、親なら「これは何かのまちがいだ。あの子はわるい子なんかじゃない」「あの子はこんな暗い子ではない。小さいときから誰にでも笑顔で、人見知りもしなかった」「明るいいい子だというのは親の自分がいちばんよく知っている」と言い、そして子どもに、その子の「悪」を責めたて、あるいは「とにかく学校に行け」と激しく叱責する。
そんなことやってるから、どんどん子どもは墜落していくんだ。
それは、親である君のせいでな。

悪を責め立てること、学校に行けと怒鳴りつけることは、その岩をずっと強く強く意識させてしまうことになるから結局岩にぶつかっちゃうんだ。

物理的な問題なら、岩のないとこを探してそこへ向かう。

そしてそれが精神的な問題なら。
ただ「もう泥は入れず、きれいな水を注ぎつづける」ことだ。

誰かを傷つけたことを悔やんで泣いている人に、「せめてこれからは、人に優しくしていこうね」っていう人がいる。

これね。一点間違いがある。
それは「せめて」じゃないんだよ。
それが「すべて」なんだ。

人間は汚いものを自分で吸い寄せる。
そしていったん取り込んだ汚物は、捨てたくなっても、もう人の力で取り除くことはできない。
悪に抗っても人は勝てないんだ。
悪と戦うと、コップの中が一様に泥水になるばかりで、ますます悪に翻弄され、やがて心は悪が持つ甘美に制服される。

駅前の不良たちと闘ってるのは、よく見れば正義の味方なんかではなく、隣の駅前にいる不良たちだろ?
不良がいる場所をまず知って、そしたら、そこを避けて歩けばいいだけのことだ。

だから悪の存在を知った上で、悪を見てはいけない。
水を注いでる最中も、「今、どれくらい悪は溢れ出たのだろう」なんてコップの中を覗き込んでもいけない。
一旦存在を認めたその後は、もういっさい泥に関心を持ってはならない。

何も考えず、ただ心にきれいな水を注ぎ続けることだけが、悪のすべてを外に溢れ流す、ただひとつの方法だ。

そしてね。
ほんとうの幸せにたどり着いた瞬間は、汗を流して「ついにここまできたぞ」っていう達成感はないものだ。
それは「あれ?」っていう気づきかただろう。
「いつの間にか気がついたら幸せになっていた」というものだ。
そのイメージを、よく覚えておこう。

達成感のある幸せは、いつか必ず壊れる。
正弦波の頂点に辿り着いたときがそうだ。
それは次の180°で谷底に落ちて、その繰り返しがあるばかりだ。



みんな、がんばれよ。

ややもすれば一瞬で崩壊しそうになるギリギリの境界で、わたしもがんばってるから。

することはただひとつ。
きれいな水だけを、今日も、明日も、淡々と心に注ぎ続けるだけだ。

つらくてもいい。
悲しくてもいい。
そんなことくらい、どうだっていい。

だけど、最後まで「愛」を。あきらめるな。

Posted at 2026/02/19 18:43:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2026年02月15日 イイね!

夢を追いかける人生は、ほんとうに美しいのか

正弦波って知ってるだろうか。
知らないはずはないけど。
「音」の世界ではよく使われる。

正弦波がどんな音かっていえば、音叉の単調な音がそうで、音にはもっと刺激的な複雑な波形があるけど、どんな音も分解していけば元はこの正弦波だといえる。
逆に言うと、この正弦波を横に並べたり、縦に積み重ねて変調をかければどんな音でも再現することができる。

ちょっと、君に話したいことがあるから、ちゃんとついてきてね。
そんなに難しい話じゃない。

これが正弦波。



縦軸がエネルギーで、横軸が時間。

(±0)からスタートした音は、どんどんエネルギーを上げて、頂上までいく。(+10)って書いたとこがそう。
ここまで90°進んでいる。

そして(+10)を過ぎたら、今度は下降を始めて(±0)に戻って、ここで180°。

何度っていうのよくわからない?
(±0)から(+10)を通って(±0)に戻ったら半円でしょ?
だから180°なんだ。

その後はマイナスの領域に入って270°のとこで(-10)。
そこから(±0)に戻って360°進んだことになる。

ついでに言っておくと。
360°で一周してるから、1サイクル。
500サイクルの音、とかいう言い方があるけど、それは1秒間にこういうサイクルが500回あるってことで、その500サイクルの音が、すなわちオーディオのイコライザーなんかにある500Hzっていうやつだ。

ここまで、いい?
あ、一発で理解できたの?

うーん、ごめん、おねえちゃん、ちょっと君っていう人間を信用することができなくなってきたけど、まあ先に行くね。

問題はここからだ。

人生が(±0)からスタートすると、人間は上を上を目指すよね。
テストで60点だったらもっと頑張れ、と言われ、80点とったら「あと少しだ」と言われ、100点とったら「よくやった」とご褒美もらえたりさ。
受験もそうだよ。
(+3)の大学を目指してても、東大じゃなくてもいいからせめて(+7)の大学を目指せと言われたり。
会社も、そして働き出したら社会的な立場、経済力だよね。

しかしね、人生って不思議なもので、頂点に達しても、それをそのまま維持することはできない。
これは「人によっては」とか「たまたま」ではなく確実にできない。
そういう仕組みになっている。
社会で成功して、ある場所まで来ると、なぜだか、どうしてもそれまでの上昇から、今度は降下に転じ始める。

もう一回グラフを見てごらん?

え?もうグラフはいいの?
もうグラフとか見たくないの?

うるさい!黙って見ろっ

君は会社を立ち上げて社長になって業績を伸ばした。
でも(+10)に達したとき、業績がとつぜん下がり始めた。
(+8)まで落ちたとき、「え?」とは思うけど、まだ銀行は追加で融資してくれるっていうし、なんとか巻き返せるだろう。ところが一旦下降し始めたエネルギーっていうのは止まらない。
そういうものなんだ。
(+6)になってくるとさすがに焦るよね。
社員に給料が払えない。払ったら今度は不渡りを出す。
何人かをリストラしても追いつけない。
そして(+3)とかになってきたら、さすがに君も諦める。

奥さんと二人で、「結婚した頃は貧しかったなあ。またあの頃に戻りそうだ。でもあきらめないよ。またゼロからもう一度やり直すんだ」「あなた、わたしは何もかもなくなってもあなたについていくわ」

たいへん美しい夫婦の姿だ。
そんな美しいとこ、たいへんもうしわけないんだけど、グラフを見てごらん。
(±0)では止まらないのだよ。
ゼロから再出発とか、もうそんなのんきな状態じゃないのだよ。
だって、ここはまだ180°の地点でしかない。

ここからマイナスの領域に入っていく。
どうやったって食い止めることはできない。
(−1)(-5)(-7)・・・振り返るともう奥さんもいなくなってる。
そして孤独の中で(−9)、そしてついに(-10)の谷底を迎える。
これは270°の地点だけど、このとき、君はすでに自己破産し、もう君の周りには誰もいなくなってることだろう。

でも、その絶望の次の瞬間、「あれ?」と気づくだろう。
もう何もかも諦めて、廃人のようにふらふら歩いてると、誰かが「おはよう」と挨拶してきたり、誰かがおにぎりをくれたり、そのうち「もう一度一緒に頑張ろう」とか言ってくれる昔の仲間が現れ、気がつけばいつか(ー7)に上がってて、そのうちさらに(ー3)と、今度は上昇を続け、一度谷底を見た者が、360°進んでいよいよ最初にいた(±0)に戻ってくる。

さて。
ここで。
君に聞きたい。

君は、360°進んでやっと(±0)に戻ったとき、何を思うだろう。

もう一度頂点を目指してみるかい?
でも次はものすごく頑張って、何かの事業がヒットして(+100)とかになったら、どうする?
「ざまーみろ、やったぞ」って思う?「今までの負けを取り戻したぞ」って感じ?

ねえ、そこから180°進んだ次の下降の谷底は(−100)だよ。
(-10)でもあんなに苦しかったのに、今度はその10倍の絶望がやってくる。
それは確実に。まちがいなく。

(±0)にいるとき、わたしたちはできるだけ高みを目指せと教育されてきた。
急激な勢いで最初の90°を駆け登れ、と。

しかしこの90°をどこまで行ったかで、次の270°の運命はじつはすべて決まってしまうのだ。
もうこれは物理法則なんだから、誰にも止められない。

ただ、必ずできることがある。
それは360°を終えた次の波のエネルギーの頂点を抑えることだ。

(±0)では生きていくのも難しいけれど、頂点(ピーク)を(+3)に抑え込めれば、谷底(ディップ)もせいぜい(−3)で、そこら辺りを行ったり来たりする人生が幸せだとは思わないか?

音の仕事をしてたとき、オシロスコープに流れる、正弦波が美しく描く弧を、わたしはぼんやり眺めながらいつしかそんなことを考えていた。
これが「無常」というものだろうか、と。

わたしも社会に出てからずっと高みを目指してきた。
みんなだってそうだろう。
それが(+5)なのか(+10)なのか、それとも(+100)なのかはそれぞれだとしても。
だって、わたしたち、夢を追いかけることの美しさをずっと教えられてきたからね。
学校でも。そしてテレビドラマやロックスターたちからも。

けれど、みんな、どうだろう。
それは勉強しないでTVゲームに熱中する子どもが考えそうな、みんなで「これっていいことなんだってことにしようよ」って決めたエクスキューズではなかったか。
だって、そうじゃないと、人生がつまらないからさ。

夢を追いかけることとは。
ただ歌を歌ったり絵を描く行為であり、楽しいけれども、そこに人生の本質はない。
人生って、ほんとうは、つまらない中で生きていくことが正しいんじゃないだろうか。

仕事は、うまく行ったら拍手をもらえる。お金ももらえる。
そして社内スピーチでは「ここまでくるのは本当にたいへんでした。でも皆さんのお力添えがあり・・」なんてもっともらしいこと言ってるけどさ、その先に拍手喝采が得られるなら、人は頑張れるんだよ。
なんだってやるよ。

わたしは決められたことを決められたように、よけいな心配りや、急にスピードアップして効率を上げるとかえって迷惑になるような、工場のベルトコンベアで流れ作業をする工員の人に憧れて、尊敬している。
彼らは、今日はうまく出来た!なんてことはない。
いつだって、いつものとおりだし、いつものとおりでなくてはならない。
いつもの倍のスピードで頑張ったらラインが回らなくなる。
余計なことをしちゃいけないんだよ。
だから人に差をつけることができない。だから人から褒められることがない。
評価もされない。
拍手がもらえない。

無限軌道車って、わかる?
キャタピラで動くの。
戦車とか、ブルドーザーとか。きっとwoodyさんが大好きなジェットモグラとかがそうだ。

無限軌道車の車輪は、ただいつも同じ場所を、ただの歯車としてぐるぐると回ってるだけだ。なんの変化もない日々で、そこにはおもしろみはなく、思いもない。
だけど、それでも。
その歯車を覆うキャタピラはゆっくりと、でも確かに、前へ前へと進んでゆく。
これもまた無常だ。

諸行無常。
その中で、わたしたちは何を見て、どこを目指そう。

どんな生き方を選んでも、わたしたちに常住はないのだ。

女としては。
お金持ちの旦那さまと正弦波の頂点のようなタワマンから下界を見下ろす暮らしより、小さな旧いアパートの階段を、今朝もあわてて駆け降りる人を追いかけ、「忘れもの!」と日の丸弁当を渡す人生が、それがさ、幸せだとは思わないか。

それは。
正弦波に外部ノイズを食らったいびつな波形に何度もつまづきながらも、それでも最初の90°で上を目指したわたしには、もう手の届かない幸せだ。
Posted at 2026/02/15 21:17:59 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記
2026年01月28日 イイね!

風邪をひいたときにだけ会える風景

ここ10日ほど、風邪をひいて寝込んでいました。

去年買った羽毛ふとんがとっても暖かくて、羽毛ふとんの上に毛布をかけて冷気をシールドするとふとんの中をずっと温風が駆け巡ってるようになります。

足の親指を左右でとんとんぶつけながら、くちびるをとんがらせ、じっと白い天井を見上げてました。

幼い頃、実家の天井は板張りで、ところどころのシミや木の節目が、お花のように見えたり、山があったり、誰かの顔のようだったり、ふだんはそれをすっかり忘れているんだけど、天井には「風邪をひいたときにだけ現れる風景」がありました。

面長の気取ったような顔に見えるところがあり、わたしはひそかに「彼」を「ジャック」と名付けていました。

風邪をひくと必ずお母さんがクリーム湯をつくってくれて、それが大好きだったのだけど、病気でないときにどんなにせがんでも、なぜか頑ななまでに一度もつくってもらえなかった。
今なら自分で好きなときにつくろうと思えばつくれるけれど、なんだか幸せに健康なときには食べちゃいけないような気がして、いまだにつくったことがない。

風邪をひいたときにだけ、わたしはクリーム湯を食べられて、ふだんは忘れて思い出すこともないジャックに再会し、そしてまた天井に、新しい景色や、新しい友だちを見つけるのでした。

今の家の天井は白いクロスです。
元気になったら片隅に、えんぴつで、思い出せるかぎりジャックを描こうと思ったんですが、きっと元気になればすぐに忘れてしまうでしょう。


風邪をひいたとき。
恋をなくしたとき。
仕事で失敗したとき。
たいせつな誰かと別れたとき。
ここで夢をあきらめる決断をしたとき。

人にはなぜか。
孤独になったときにだけ現れる風景があって。
弱ったときにだけ心に生まれるやさしさがある。

つらくて悲しいときが誰にもあるけど。
そのときにだけ、自分のやさしさと出会えるのなら、それも愛おしい時間だ。


ずいぶんよくなってきたので、鯛だし茶漬けをつくってみました。
出汁茶漬けに、むかし四国へ行ったとき松山で食べた宇和島鯛めしの要素を入れられないかなと考えた。


Posted at 2026/01/28 11:38:41 | コメント(8) | トラックバック(0) | 日記
2026年01月22日 イイね!

ずっと言いたかったこと 他のブロガーとは違うので 名ばかりの友だちはいりません

フォローはもう少し増やしても良かったし、もう少し減らしても良かったです。
好きとか嫌いではなく、コメントを書ける人かどうかだけで決めています。
(それでも書かない人が一人いますが、それもわたしが決めています。これはおかしいだろうというメールはお送りいただければ読みはしますがその後ブロックします)

2キロバイトの文字列なんかでは伝えられないことをずっと書いてきてる。
だから長文をなんとか読んでもらえるように最大限の文章作りをしてきてると思う。
どのブログも作品として書いてきてて手を抜いてない。
一個のお笑いネタでいいとこを何重にも次々と笑える仕掛けを作って、後半は一転してかっこいいワードをキュレートして、改行や句読点でスリルある緊張を演出しながらまっすぐ追い詰めて訴えてくスタイルは、もう完成したと思うし、誰かが真似したってできないと思ってる。

前に一旦退会した後、偽risaSpecがみんカラにいたそうで、わたしのフォロワーさんは混乱したらしいですね。
risaSpecの名を語ればイイねランキング1位になれると思ったのかな。笑
それから随分経ってわたしが復帰して最初にブログを上げたとき「ホンモノですか?」という声と同時に「読めばわかるよ。このブログはホンモノじゃないと書けっこない」っていう声があって嬉しかった。
ニセモノもときどき詩を出していて、それは検索したらなんかの詩のコンクールの全国大会の金賞とか銀賞とかからパクってた詩だった。笑
でもそれって全国大会だの金賞だのいっても素人さんのコンクールでしょ?
あのさ。
わたしがつくる詩って、そういう程度のレベルじゃないんだわ。

コメントについてですが、あの頃からわたしはどんな角度からボールを投げられても全部拾って返してたはず。
ブログより、他の人とのコメントのやり取りを見て仲間になってくれた人も多かったはず。

わたしは毎回のブログに誠意をつくして書いてるし、できる限り寄り添おうとしてきた。
これは仕事でもそうだけど「頑張ってるのにできない」って人を、わたしはいつもそばで見てる。見捨てない。
けれど、やる気のない人は突然見限る。
「冷たい」とかじゃないんだよ。そういう人に限ってその段になると「冷たい」って騒ぐけど。
やる気のない人にとって「もっと一緒に頑張ろう」は暴力でしかないからだ。
そういう人はにはぜひフォローを外していただきたいと思います。
そういう数字稼ぎは、みんカラでは長い間ずっと頂点を見たので、もういらない。そういうのは配慮してもらわなくてけっこうです。
Posted at 2026/01/22 22:09:55 | コメント(8) | トラックバック(0) | 日記
2026年01月21日 イイね!

明日からブログ再開します

15年以上前からみんカラはやってきてて、当時はフォロワー6千人でしたが、もともとわたしからのフォローは0人でした。
おもしろいブログを書けばフォローしなくてもフォロワーは増えるはずだし、おもしろいとも思わない人とみん友になってアクセス増やすのは違うと思ってた。

そう簡単ではなく一個のブログをいろんな人がフォロバしてくれてバズったんだけど。

あの頃からの人は、たっちゃんとかtakaさんがそうだけど、ブログを上げれば1日5桁PVで、いいねランキングもブログは常に1位でしたが敵も多かった。
いいねランキングで目立って商売につなげる小さい会社の輩たちから匿名のアカウントでしょっちゅう品のない嫌がらせが来てた。
なんとしてもイイねランキング1位とりたいけど、わたしが常にいる。
バレても開き直って脅してきてたわ。

わたしは10人を相手に10人を納得させることより1万人を相手に100人を納得させる方が結果的には多くの人の共感を得ていると思ってやってきたけど、10年前にそのアカウントを閉じて、今度はわたしもフォローしてみん友を作って再出発したけど、今度はそれまで10とか20ついてたコメント自体がない。
わたしのブログがつまらなくなったのかもしれないけど、そうは思えない自信がある。

わたしは、コメントくれた人には同じ熱さで同じボリュームで必ず返してて、ブログの後のコメントのやり取りこそが大事だと思ってやってきたのにコメント自体がないと、未完成のままなんだよね。
イイねをつけてくれるのはありがたいけど、1分間のうちに立て続けに5本のイイね、とか。わたしは読んでもいないそういうイイねはいらないんだわ。

これでわたしのブログから去っていく人は、今までどうもありがとう。
今後残ってくれる人はみん友ではなくてもコメント書かないなら今までと何も変わりません。

これは今までも何度も言い続けてきたことだから旧い人ほど「そんな急に」とかはないはずです。

リアクションのない人に必死に語り続けることに疲れました。
Posted at 2026/01/21 17:25:02 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「心をきれいにする、たったひとつの方法 http://cvw.jp/b/2273104/48936824/
何シテル?   02/19 18:43
身長 / 168センチ 体重 / 52kg  スリーサイズ / B:貧乳  W:ふつう  H:ふつう  年齢:そこらへんによくある ごくふつうの年齢
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