今日はぐっすりと眠ってしまったため眠くなりません。
眠剤を処方されているので飲みましたが中々・・・
なので昨日(正確には一昨日)放送された「BSプレミアム 玉木宏 音楽サスペンス~亡命オーケストラの謎~マエストロ・ヒデマロ」を見ての内容の紹介と感想を。
「近衛秀麿」については拙ブログ
「忘れ去られた「国際的日本人ミュージシャン」 で書きましたが、今回は改訂版ということで。
近衛家は5摂家の筆頭。藤原氏の本当の「直系」です。
ある意味「天皇家」の分家と言ってもよい存在でしょう。
そこの次男として生まれたのが秀麿。
兄は我が国の首相を努めた近衛文麿。
↓若き日の秀麿
言うまでも無く戦前の我が国の「エスタブリッシュメント」です。
秀麿の出生の経緯等はWikipediaや拙ブログをご覧いただくとしてYouTubeに興味深い映像を見つけましたので御覧ください。
ハーケンクロイツと日の丸をバックにベルリン・フィルを指揮する秀麿。
最初に「わが友邦国、日本から来た才能あふれる指揮者、グラーフ・コノエによる日独親善演奏会」と紹介されています。
残念ながらこの演奏会の模様はこれしか残っていないようですが、恐らくナチス政権の幹部(想像するにゲッベルス宣伝相やゲーリング航空相あたりがいたのではと推測してます)と当時、駐独大使だった大島浩(後にA級戦犯、日独伊三国同盟を推進した1人)あたりが出席した謂わば「プロパガンダ的」演奏会であったと思われます。
この映像は「マエストロ・ヒデマロ」でも紹介されていました。
この映像だけを見ると秀麿はナチスの文化政策に協力的であったと考えるのが一般的でしょう。
しかし、秀麿はまさに「同盟国の首相の弟」「才能溢れる指揮者」という仮面のもと、「ユダヤ人の亡命工作」を行っていたことは前にブログで述べました。
このユダヤ人亡命への関与について1つ興味深いというか、後の我が国のクラシック音楽に大きな影響を与えたであろうことが分かりました。
秀麿は著名なピアニストであったレオニード・クロイツァーの亡命を手助けし、クロイツァーを日本に亡命させます。
(クロイツァーはベルリン音楽大学の著名な教授でもありましたが、1933年のナチス政権樹立によりその職を追われ、同年秀麿の説得もあり我が国に亡命)
クロイツァーは戦後も日本にとどまり我が国のオーケストラやピアニストの育成に尽力しますが、そのクロイツァーの演奏会を聴いた1人の少年がいました。
彼はその音楽の魅力に取り憑かれ「音楽家」になることを決めたそうです。
その人の名は「小澤征爾」。
もしクロイツァーが日本に亡命していなかったら「世界のオザワ」は誕生しなかったのかもしれません。
↓レオニード・クロイツァー
「クロイツァー」で画像検索すると「ヨコハマ」のアルミホイールが出てきました(笑)
クロイツァーは好きなデザインのアルミです(^^)
クロイツァーはベルリンに奥さんを残して来てました。
奥さんもユダヤ人だったためナチスの迫害を受け、夫のクロイツァーもいなくなってしまった為、生活も困窮していたようです。
そのクロイツァー夫人に秀麿は経済的援助を惜しまなかったようですが、この事がナチスに露見、逮捕・勾留されてしまい(しかしVIPな事が判明し即釈放)、ドイツ国内での演奏禁止という処分を受けます。
話は少し脱線しますがナチス統治下のドイツでは音楽家達も「政争の具」となっていました。
ヒトラーは有名な「ワグネリアン」でしたが、それをいい事に部下の閣僚達はお追従の意味合いもあったのでしょう。
リヒャルト・シュトラウスは「帝国音楽院総裁」というポストに就かされ、その事が戦後、彼の栄光に影を落とすことになりました。
ちなみにこのリヒャルト・シュトラウス、我が国の「皇紀2600年」に際し「日本の皇紀2600年に寄せる祝典曲」という作品を残しています。同盟国、日本の為に書いた曲ですが、現在は殆ど演奏されることがありません。嫌々書いた曲なのでシュトラウスの曲の中でも「駄作」との評価があります。
↓リヒャルト・シュトラウスとゲッベルス宣伝相
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーはナチスに抵抗しますが、結局は狡猾なゲッベルスの罠に嵌り「プロイセン枢密顧問官」というポストにこれまた就かされ、このことも戦後の彼の活動に暗い影を。
↓フルトヴェングラーの演奏会に臨席するヒトラー
この写真にはある意味が込められていると言います。
当時ドイツでは「ハイル・ヒトラー」とともに右手を高く上げるのが「総統に忠誠」を尽くすという意味で一般化していました。
しかしフルトヴェングラーはヒトラーを忌み嫌っていたため一計を案じ、タクトを持っていればそれをしなくて済むと言っていたそうです。確かに軽く会釈程度ですね。
そのゲッベルスの政敵であったゲーリング航空相はフルトヴェングラーのライバルとして「ヘルベルト・フォン・カラヤン」に目をつけ、その若き指揮者を「奇跡のカラヤン」とセンセーショナルに登場させ、ゲッベルスに対抗します。
このことがフルトヴェングラーとカラヤンの対立につながっていきますし、戦後、カラヤンの「ナチス入党疑惑」としてこれまた暗い影を落としてしまいます。
勿論、ユダヤ人音楽家たちはドイツに留まれば生命の危険があるわけですからその殆どがアメリカへ亡命、アメリカの音楽界は隆盛を極めることになるのですが、アメリカでは無く日本を目指した音楽家たちもかなりいました。
この事が我が国の音楽界の本格的夜明けとなったのは言うまでもない事実です。
話を元に戻すと、そのような治世下のドイツでしたから同盟国の首相の弟で貴族、そして才能の溢れる秀麿をナチスはプロパガンダに、ひいては「政争の具」としても使いたかったことでしょう。
現にゲッペルス宣伝相は猛アプローチをかけ、秀麿も「乗った」ふりをします。
そして彼はその「仮面」を上手く利用し、ナチスへの反逆とも言える行動をしていたことになります。
(クロイツァー夫人への援助でバレてしまうのですが)
ドイツ国内での演奏ができなくなった秀麿はポーランド、フランスで活動をしたようです。
ポーランドも当時はナチス占領下で、ポーランド人はナチスから見ると「劣等民族」なので「偉大な作曲家の残した作品を聴くこと、演奏することは罷りならん」という状況だったそうです。
(それにしても「劣等民族」とか「選民思想」という言葉には虫唾が走ります。)
因みに、かのアドルフ・ヒトラーは「我が闘争」の中で「日本人」を「小手先だけが器用な民族で我々ゲルマン民族が光を当ててやらなければ何も出来ない民族」「想像力に劣った民族だが、我がゲルマン民族の手足として使うには好都合」と書いてあります。しかし戦中、それらの表記は削除され、戦後、鈴木東民らによって暴露されました。また、米内光政は原語版を読み、ヒトラーの本心を知っていたため日独伊三国同盟に反対したという説もあります。
そのポーランド・ワルシャワで秀麿は演奏会を開きます。
客はドイツ軍の将校やドイツ人に限られた演奏会だったようですが、ワルシャワ人で組織されたオーケストラを指揮をすること自体が危険な行為であったと番組では紹介されていました。
上で挙げた通り「演奏することもダメ」なわけですから。
その事について秀麿の孫、水谷川優子さんが仰っていました「秀麿はきっとナチスに一矢報いた買ったのだと思いますし、抑圧されたポーランド人に勇気を与えたかったのではないでしょうか」と。
いくらVIPとは言え秀麿の行動には頭が下がりました。
その後、秀麿は「オーケストラ・グラーフ・コノエ」を私費で組織し、ナチ占領下のフランス各地で演奏を行いました。
(本来、秀麿は「子爵」なので「ヴァイカウント」なのですが、当時のドイツに「ヴァイカウント」はなかったため、プロトコールで一つ上の「グラーフ」=伯爵と呼んだそうです)
秀麿の戦後の手記に拠れば「オーケストラは50人弱」となっているのですが、このオーケストラの団員サイン帳には30名程度のサインしかありません。
ここからは番組の推測でしたが残り20人はユダヤ人で演奏旅行中に亡命させたのではないか?という推測でした。
残念ながら当時、フランスとスイス国境で亡命の手伝いをした人々、唯一の生き残りの方にインタビューをしていましたが秀麿の事は知らないとのことでした。
ただ、近衛家に伝わる話として孫の近衛一さん(オランダ放送フィルファゴット奏者)が語っていた「祖父はこのオーケストラのユダヤ人楽団員を愛車のフィアットのトランクに隠して亡命させたことがあったと聞いています」という話がありました。
いくら同盟国のVIPでもこの活動がバレたら一巻の終わりでしょう。
秀麿という人は貴族でありながらナチスの思想とは相容れず、自らの命を賭けてまで勇気ある行動をとっていた・・・
杉原千畝もユダヤ人を多く救いましたが、戦後暫くの間、その存在すら忘れられていましたが、もう一人そのような活動をしていた(であろう)人がいた事に同じ日本人として誇らしい気持ちになりました。
(杉原は当時の外務省訓令に背いてビザを発給したため、戦後外務省を追われてしまっています。しかし、彼のビザのお陰で命を救われた方がイスラエルで大臣になり、その存在が明らかとなった経緯があります)
ドイツ降伏後、秀麿は進駐してきた連合国軍に出頭しました。
この時、周りの人々は彼を匿おうとしたようですが「皆さんに迷惑を掛けるから」と言って出頭したそうです。
やはり秀麿の行いを周りの人々も賞賛していた証左だと私は思います。
戦後、秀麿は様々な著書を出しますが、ユダヤ人救出の事はほんの少ししか触れていません。
きっと彼の性格上、その事は「人間として当然の事をしたまで」という気持ちだったのではないでしょうか。
彼こそ「日本男児」だったのかもしれないと思います。
前回の「戦火のマエストロ」では放映されなかった新事実が色々と出てきた上に、相当掘り下げられていたいい番組でした。
月並みですが戦争の無情、非情、憎悪etc・・・それらをつとに感じさせられました。
それでも人間は「戦い」を止めない困った生物・・・
ただ「近衛秀麿」という音楽家としては勿論、1人の人間として「ナチス」という巨大な存在と闘った人物がいた事が少しでもこうして世間に広まっていってくれればと思っています。
↓晩年の秀麿
戦後は自らの活躍譚を語ることも無く、自分が手塩にかけて育てたNHK交響楽団からもぞんざいに扱われ、詐欺にあったりと不遇な晩年を過ごした秀麿。
しかし、彼の行った勇気ある行動が評価され、そして評価される日はもうそこまで来ていると思います。
「グラーフ・コノエ」よ、永遠なれ。
本日も最後までお読み頂きありがとうございました。