明けましておめでとうございます
12月30日に大阪から岡山の実家へ帰省し、今日大阪に帰って来ましたが、今まであまり気にもしていなかった実家の周辺が最近ネットでレトロな街並みとして取り上げられていることに気づき見直してみました
タイトル画像は岡山までの道のり途中の明石SAです この日の渋滞は山陽自動車道に入ってからで、関西付近は順調でした
【注意!!】
今回は(も?)車には関係ない話ですので、レトロな歴史に関心ある方にお読みいただけると幸いです
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私の実家は岡山県倉敷市の海辺に位置する港町です
倉敷市といっても私が生まれる直前までは玉島市で合併により倉敷市になっています
なので倉敷の観光名所の「美観地区」と言われる場所からは20kmほど離れた町です
20歳の頃、仕事のために大阪に出ていくまでこの家に住んでいたのですが、この家の2階には、6畳の部屋が1部屋と、4.5畳の部屋が2部屋、3畳の部屋が4部屋あります
大きさの割りに部屋数が多く子供の頃は ”昔は旅館だった” と聞いていました
数年前にネットで調べたら、私の実家の「天満町(住所にはこの名称はない)」は、【遊郭街】であったことがわかりました
100年以上前の建物ですが、現在に至るまでずっと住んでいるので、木製の窓や扉はアルミサッシに変えられていたり、壁の色も戦時中は黒色にしたり現在は白色のペンキだったりしますが、私が住んでいた頃でも1階の表側には全面木製の格子の部屋があったり、2階の各部屋の窓の上には丸い電灯が付いていました
思えばいかにも【遊郭】の造りだったように思います

車を停めているブロック塀の内側は、小さな箱庭になっていて大きな苔蒸した岩がいくつも置かれていて旅館の中庭風になっています
松の木が1本だけ残っていますが、ずっと「樫の木」と「楡の木」と「松の木」が3本並んで立っていました
15年くらい前の台風の時に、おそらく初めて海の水が高波によって入って来て、あたり一面が海水によって浸水したことがあります
この家の1階の床上1m以上まで浸水しました
その際に海水だったため、あたりの大木以外の木は枯れてしまいました
また、周辺は古い木製の家ばかりだったため、多くの家は取り壊し空き地になってしまいました
以前は密集した街なので、この角度から写真を撮れませんでしたが、現在はあたりの見通しが良くなり殺風景な感じです

うちの家はメインの海岸に近い通りから50mほど入った場所ですが、メイン通りには今も何軒か【遊郭】だっただろう建物が残っています
この建物はおそらく誰も住んでいないと思います

この建物は3階建ての遊郭楼です
当時は華やかっだっと思われますが、今ではご覧の通りで人は住んでいません
横には神社の鳥居がありますが、その先には何もありません
私が小学生の頃まではこの裏側は小山になっていて、燈台が2つありました よくそこで遊んでいました
その小山に神社があったと思いますが、山は平地に整地された時に鳥居だけ残ったのだと思います
私がまだこの街に住んでいた頃は、この建物も人が住んでいました
これらの【遊郭楼】も先の台風以降に多くが壊されました
今回、家から100mも離れていない場所なのに、何十年ぶりかで散歩してみて、変わり様に寂しい気持ちになりました

これは遊郭ではありませんが、うちの家の前の路地からメイン通りに出たとろにある商家です
私が住んでいた頃はまだ店をやっていて、向かいの建物と同じ店で 陶器、瀬戸物がところ狭しに並んでいました
白壁にナマコの昔のままで補修しながら保っています

これが向かいの商家です

商家の横の路地を30mも入るとうちの家があります
途中にはこんな使われていない井戸もあったりして雰囲気があります

路地を入っていくと実家が見えます
今回思ったのは、【遊郭】でまだ住んでいるのはうちの家だけになってしまったかもしれないということです

街の公会堂です
下半分は最近リホームされたと思いますが、上半分は私の記憶のまま残っています
今はわかりませんが、子供の頃はまだ使われていて子供会などで集まっていた記憶があります

先の台風で空き地になってしまった場所が点々とあります

これも古い建物です

遊郭街のど真ん中あたりの祠

こんな場所も、、、、

ここも雰囲気あるまま残っています

子供の頃よく通った路地には、、、

これが海側をみた景色です
港町といっても漁港ではありません
かつて江戸時代中期〜明治時代終盤まで全国を行き来する【北前船】やこの地域の【高瀬舟】が出入りする重要な港で相当に栄えていたらしいです
鉄道ができるまでは、長距離の流通は【船=海】だったのは当然で港町を中心に栄えていた時期が長くあります
小学生の頃、よく周囲から聞いた事は「玉島は港が栄えていたため、鉄道ができる時にそれを拒絶し、駅は街から相当離れた場所に作られた。だからその後の発展に支障をきたした」と、、
その後、新幹線の駅ができる時に「岡山」と「福山」の中間点の「倉敷」では岡山に近すぎるために、距離的に中間の「玉島」に駅を作ることになり、名前も【玉島駅】から【新倉敷駅】に変わってしまいました
私が小学校6年生くらいのことです 今思うと少し残念です

私の住んでいた「元遊郭街」から、船の出入りする中心部まで1km足らずですが、最近になって古い街並み(というより建物)が見直され、こういう倉を利用したラーメン屋などもできていました
遊郭街は私が生まれるころ「千羽鶴」という倍賞千恵子さん主演の映画のロケに使われたことを聞いていましたが、最近?では「Always 3丁目の夕日」でも玉島がロケ地に使われていました
街を上げて観光地にするために保存したりしていませんので、相当マニアの方?の間では穴場と称されネットで見かけますが、一般の観光客が訪れる場所ではありません

うちの家から見えるこの山のお寺だけが昔からの名所で、「僧侶」「歌人」「書道家」として有名な【良寛さん】が20年間ほど修行された【円通寺】があります
国民宿舎があり宿泊ができます
子供の頃は犬を連れてよくいきました
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毎年のルーティンになっている 備中高松の【高松最上稲荷】に初詣に行きました
ここは日本3大稲荷の一つで、とても大きなお寺です
「お稲荷さん」はお寺ですが鳥居があります
また、お参りも手を叩きます




ここは結構長い参道があります
元々の飲食店、お土産物屋などが立ち並んでいますが、最近では屋台の方が増えて来たのは時代の流れで仕方のないことです
それでも、まだまだお店もあり年中商売されているところがあります
備中高松とは、豊臣秀吉(羽柴秀吉)が「水攻め」して有名な高松城のある場所です

長い参道を抜けると「仁王門」があります
以前はかなり迫力のある巨大な木製の仁王門だったのですが、5年くらい前に現在のような金ピカのものに変わりました
多分、貴重な以前のものを保管しているのだと思いますが、少し興醒めします
もちろん両側にあるのですが、これは右側の仁王像です

仁王像の裏側には「お狐様」がいらっしゃいますが金ピカです、、、、

大きな本堂です

お線香をお供えします

今回、往復で約400kmとその他合わせて3日間で500kmほど走りましたが【Citroen BX】は好調に付き合ってくれました
明日は数日間の汚れを落としてWaxでもかけようと思います
無理やり車の話に持って行きましたが、【玉島】【遊郭】の話を最後まで読んでいただいた方がいらっしゃれば感謝します
「な〜んにもない、つまらない町」と思っていた故郷が「調べるに値する、興味深い文化の歴史のある街」だったと気づいいた喜びをじわ〜と感じ、写真を取らずにいられなくなりました!!