うちの奥さんが応援しているV系のインディーズバンド。
そのライブが長野であるとの事なので、片道約500kmの距離を送迎してきました。
朝8時に神戸を出発。
300kmほど走行し、長野県に入ってすぐの
【阿智PA】
ここで、少し休憩です。
長野のゆるキャラ〝アルクマ〟が出迎えてくれました。
多少の余裕を持って出発しましたが、安曇野以北にチェーン規制がでており、ノーマルタイヤ×非金属チェーンという装備で運行している私たちは、チェーン装着&雪道走行のタイムロスも考えねばなりません。
日帰りの強行スケジュールなので、先を急ぎます。
しかし、思いの外 天候が良く、昼過ぎには松本市に到着。
この頃には目的地である長野IC以南のチェーン規制も解除され、何の障害もない状態になっていました。
松本ICを降りてすぐの信州蕎麦屋さんで昼食です。
メニューに信州名物と書いてあった馬刺しを注文。美味。
私は山菜蕎麦(手前)、奥さんは肉せいろを注文。
両方共とても美味しく、大満足でした。
お腹いっぱいになった後は、私のお目当て
城です。
国宝:松本城
別名を【烏城】と呼ぶらしく真っ黒な外観をしています。対して、私たちが住む兵庫県にある姫路城は、外観が白く【白鷺城】の別称で有名。
豊臣家と繋がりが深い武将が建てた城は黒が多く、徳川家に所縁のある武将が建てた城は白が多いそうです。
松本城は、かつて深志城という名前で、かの有名な武田信玄が信濃侵攻の拠点にしていたそうですが、戦国時代末期に石川数正という武将(豊臣恩顧)が天守を建てたので『黒』なのだそう。
愛犬が一緒なので中には入りませんでしたが
城を眺めながら周りを散歩しました。
再び松本ICに向かい、次は長野ICを目指します。

梓川SAで少し休憩。
向こう側には、うっすらと雪化粧をした美しい山々が見えます。
そして、次なる目的地は
松代城です。
長野のみん友 “みずとひかり”さんに勧めて頂いたスポットです。
ここは、松代城と改名される以前は海津城と呼ばれていて、武田信玄が上杉謙信と川中島で戦う時に拠点としていた城だそうです。
城の南側に位置する【太鼓門】という、いちばん大きな門です。
玄関みたいな物ですかね。

順路が曲がっていて、入り口からは奥の様子が分かりません。
ここで敵が攻め込んできた時を妄想してみます…
門を抜けて右手奥に、もうひとつ頑丈そうな門が出現。
画像はウェルカムな状態ですが、合戦中の門は当然固く閉ざされています。

ここで、敵がもたもたしていると
石垣の上から弓矢や投石、鉄砲などで袋叩きにしてやるという

しかも、後続の敵には中の様子が分からないので
どんどん押し寄せてくる敵同士で大渋滞を引き起こし、
身動きが出来なくなった敵を一網打尽にできるんですね。
車内に奥さんと愛犬を残し、こんな妄想をしながら興奮気味に城の周辺を散策。
北側にある搦手(裏口)も似たような形状になっていました。
昔の人の知恵には感心させられます。

城の櫓跡(?)から北の方向。
長野道が見えるその向こうに、川中島があるようです。
長野市内へ向かう途中、まだ時間に多少の余裕があったので
川中島古戦場に立ち寄りました。
ここで、あの有名な
信玄vs謙信の銅像に遭遇。
下調べも何もせず適当に行ったので、こんなところで見られるとは思っておらず、ここでもテンションUP↑
そんなこんなしてるうちに、いい時間になったので
市内へ移動
奥さんの目的を果たし、20時過ぎに長野を発ちました。
日帰り往復約1000kmの強行スケジュールでしたが、この車の良さに改めて気付かされました。
走りに余裕があり視界も良いので、疲労感が非常に少ないです。
雪道性能は今回体験出来ませんでしたが、居住性も良くトータルバランスに優れていると感じました。
SUBARUが云うところの〝走りを極めれば安全になる〟という言葉、少しわかる気がします。
天気は良かったものの、愛車は塩カルで真っ白。地元のスタンドで給油と簡単な洗車を済ませ、帰宅したのは深夜2時を過ぎました。
が、出発前はもっと疲れ切って帰宅する自分を想像しておりました。
予想に反してかなり余力があり、今回はコイツのおかげでなかなか楽しいドライブとなりました。
明日(今日か。)の仕事も問題なくやれそうです。
これからもよろしく頼むよ、相棒。
Posted at 2018/02/19 03:23:24 | |
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