
前に拙ブログ「道志みちの一部通行止めが継続中!」でも紹介した山梨県道路規制情報のサイト(http://www.pref.yamanashi.jp/dourokisei/)を見ていて「冬期閉鎖基準区間」というボタンを発見した、というのが今回のドライブテーマを思い立つ発端でした。
それを見ると、いつから冬期閉鎖になるかは不明ながらも、例年どの道が冬期閉鎖になるのかがわかります。で、それによると間もなく走れなくなる県管轄下の道は11か所あるらしい。で、「ならば、まだ走れるうちに走っておこう!」ということになったという… (^^)
その中で、今回「ぜひここは!」とピックアップしたのが、1)笹子峠を越える県道212号「日影笹子線」(旧甲州街道です)、2)上日川峠を越える県道218号「大菩薩初鹿野線」と同201号「塩山停車場大菩薩嶺線」、3)峠の名前は不明だが県道113号「甲府精進湖線」(精進ブルーラインの旧道です)、そして4)御坂峠を越えて天下茶屋に至る県道708号「富士河口湖笛吹線」の4本。
(結果から言うと、そのうち実際に走れたのは半分の2本だけだったんですが…そのあたりのことはこのあとおいおいと。)
あと、タイトルが「林道ドライブ」となっているのに、上記4本はいずれも一般県道なんですよね。しかし、上記林道っぽい県道のほかにも、夏に行けなかったクリスタルラインの一部と県営林道「川上牧丘線」、あと、名前はわからないけれど「これは林道以外の何物でもないよな」という道をうんと走ってきたので、ま、いいか、と… (^^;)
好天が予想された11月2日(金)、いつものように最初の目的地で日の出を迎えられるようにと午前3時半に我が家をスタートしました。最初の目的地は旧笹子峠のちょっと手前にある「矢立の杉」です。
相模湖で国道20号線(甲州街道)に入り笹子をめざしたのですが、先日だいたい同じ未明の時間帯に走った国道246号線とくらべると行き交う車はグッと少なめ。トラックの姿もあまり多くない。
街道沿いの旧い街並みが特に鳥沢宿あたりにはかなり残っているし、バイパスらしい道路も大月あたりにしかない? 走っていて純粋に楽しいから私的には全然問題ないんですが、流通・経済の大動脈の座は完全に中央高速道にゆずっていて、未だ現役のR246に対してこのR20はすでに第一線からは退いた言わば退役道路なんだなぁ、と改めて思いました。
さて、笹子駅あたりのコンビニで休憩をと思っていたら…結局見つけることができずそのまま旧道に入ることに。今マップを拡大して見てみたら、どうも24時間営業のコンビニは大月インターの入口にあるセブンイレブンが最後だったようです。
新笹子トンネルに入るちょっと手前を左折、旧甲州街道はすぐに林道っぽい山道に。10分ほど走り「矢立の杉」と書かれた幟をいくつか見たあとヘアピンカーブの頂点にこの看板。
着きました!
看板に従って細い遊歩道を下ってゆくと何やら良さげなスペースがあって、杉良太郎さんの歌が聴けるぜんまい仕掛けの?が。さっそくやってみてその歌を聴きながらそこから少し下りたところにある「矢立の杉」の根元近くへ。
これです。…が、保護のため回りにはロープがはってあって本体に触れることはできません。それとまだ薄暗いこともあるし、幹の途中で折れているというその全貌がよくわかりません。
遊歩道はそのまま下へ続いているようだし、ということで下っていくと、こんな橋が。
橋を渡って小さな川の向こう側から見た矢立の杉です。う〜ん、樹高20数メートルというんですが、正直これが樹齢1000年の杉なんだと教えられなければ気づかないかなと…
別角度からもう1枚。
で、川の下流方向を見ると、遊歩道はしばらくこの川沿いに続いているようなんですが、あとで調べたらどうもこれが旧旧甲州街道の名残ということらしい!
途中にはこんな標識も。
元の場所へ戻る頃にはすっかり陽も昇り、樹肌もよく見えるように。
根元はたしかに空洞になってますね。
さきほど「良さげなスペースが」と書いたのはこちら。杉良太郎さんの歌碑も。右手にある白っぽい部分がハンドルを回すと歌が聴ける仕掛けです。(笑)
その向かいにはちょっとお洒落なこんなデッキスペースも。
広い駐車場があるわけではありませんが、ここを通る機会がありましたら、立ち寄ってみられては? 旧旧甲州街道の雰囲気を感じることもできますしね。
入口にあった看板です。
見えてきました。矢立の杉を出発して走ること数分、旧甲州街道の笹子隧道に到着です。
大月側の坑門をアップで。これはギリシャ神殿風?
そのままトンネルに入り出口から甲府側を見たところ。
広場でUターンして、こちらは甲府側の坑門です。これは割とあっさり風? こうして見ると、どちらかと言うと「大月側から甲府側に車で出られる!」ということに対する人々の期待のほうが大きかったのかなぁ…などと勝手に思ったのですが、どうなんでしょう。
もう一度大月側へ戻ります。正面からの朝陽がまぶしい。
入口右手にこの説明プレートが。
これによると、この笹子隧道が完成したのは昭和13年。で、現在の国道20号・甲州街道が通る新笹子トンネルが出来たのが昭和33年。もちろん出来た当時はそれはもうみんな大喜びだったのだと思いますが、現役として活躍できたのは、たったの20年…。
なんせこのトンネル、バスが1台ギリギリ通れるかどうかというくらいの狭さです。軽自動車同士でもたぶんトンネル内でのすれ違いは至難。入口から出口が見通せるまっすぐな作りになっていますから、昔はよく見られた「先入車優先」方式で運用されていたのでしょう。
昭和30年代に入る頃には幹線道路としての役目を果たすことはもう出来なくなっていたのだろうなということ、容易に想像できます。
以前から、江戸と京都を結ぶ街道として、なぜ甲州街道ではなく距離的には遠回りになるはずの中山道が重用されてきたんだろう?という疑問を持っていたのですが、昭和に至ってさえここ笹子峠が最大の難所になっていたという事実から考えると、なんとなくわかるような気がしてきました。
さて、この説明プレート、「登録有形文化財」のプレートとともにこんなふうに建っています。なかなか趣があっていい感じ。この後ろ側に尾根に向かう登山道があるんですが、広場に1台SUVが駐まってましたので、きっとこの登山道を登っていかれたのでしょう。
最後に大月側の坑門をもう一度。
峠からの下り道は笹子からの登り道の倍くらいあったでしょうか。これがまた狭くてクネクネとした超ワインディングロード。しかも轍以外は一面の落ち葉ですから気が抜けません。でも有難いことに、この旧甲州街道の峠道ではとうとう最後まで1台の車ともすれ違うことはありませんでした。
で、こちらが峠道をほぼ下りきったところにある甲州市大和町日影の集落入口。旧甲州街道はこちらの標識があったので、一段と狭くなるその道へ。
こんな感じです。
通り過ぎると目の前にかなりの急勾配に見える中央高速の高架橋が。
ようやく国道20号線との合流地点が見えてきてホッとしているところです。
次は国道をちょっとだけ大月方向に戻ってから左折して上日川ダムをめざすのですが、今日はここまでということで (^^)/
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N-ONE | 日記
Posted at
2018/11/06 13:18:07