先日、富良野に行くことがあって、ニングルの森に行ってみた。完全にこの一帯は倉本聰ワールド。倉本の脳内にいるかんじだった。ある店には草太と五郎のセリフ入りTシャツが置いてあった。それを見ながらなんとなくひらめいた。倉本聰に対抗できるのは、富野由悠季しかいない、と。「人類の業を作品内の何げない言葉で語らせる」という共通項。常識的な物語の流れに反した場面と展開とセリフを登場させることで、人の心のひだにその印象を根付かせる力技。どう考えてもおかしい舞台設定なのだが、それがまた異常に泥臭いので、説教臭さを軽減させている。思想をセリフで語らせると引いてしまうのだが、それを奇跡的なシーンで帳消しにさせる。有名になり、監督の力が強まってしまい、思想を込めたセリフが場面の異様さに勝ってしまうようになると、二人の作品は破たんしてしまった。思想は作品内のセリフでは聞きたくない。登場人物より監督の顔が浮かんでしまう。やはり著名な作品とは、奇跡的なものなのだろうなぁと思う。水島御大にも通じるかなぁ。岩鬼が出すぎてしまうとダメになるパターン。