家族で紅葉狩りに行ってきました。
場所は奈良県!
どうしても行きたかった場所で、
三輪そうめん里の桜井市の山の中にある『談山神社』です。
阪和道、南阪奈道、大和高田バイパスを使えば我が家からはほんの1時間!天気も良かったんで、妻にお弁当を作って貰い出発!
大和高田バイパスの終点辺りからは、まほろばの風景に変わっていきます。
まずは安倍文殊院で来年の干支の花寄せがあり、そこでお弁当タイム!
外で食べるご飯は美味しいですよね~~
しかし同じ古都でも京都とは違い、奈良は歴史が長いので場所によっていろんな時代に出会えます。
因みに『談山神社』は大宝元年(西暦701)の時代のものです。
今週末が1番の見所らしく、行った日は駐車場は満車ですが待ち時間はありませんでした。
週末は混み合うでしょうね!
拝観料を支払うと、この鬼のような階段が待ってます(笑)
しかし階段を登りきると、まるでご褒美のように美しい景色を頂けます。
本殿が工事中なのが残念ですが、この景色を見せて頂いてたった500円の拝観料のみ。
コストパフォーマンスの高い神社です(笑)
そしてお抹茶を頂きました。
苦いのに飲み干しました(笑)
裏千家のお茶の先生が娘に、
「お嬢ちゃん可愛いから」と、お茶受けの白扇香を頂きましたが、娘は
「コレ美味しくないからいいわ」と…(滝汗)
正直なんはいいんですが、パパと一緒で直球しか投げれません><
妻とフォローにおおわらわでした。
不気味なコイツはどこにでもいますw
CX、いいですよねえ~~
よく似合います♪
「談山神社」の全景です。
ー公式HPよりー
舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。
この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。
たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、
聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、
西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。
後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。
ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。
天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、
大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。
藤原の姓はここに始まります。
鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。
大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。
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Posted at
2010/11/18 15:04:00