第13回 西会津ふるさとなつかしcarショー 2016 9.25 その3
投稿日 : 2016年09月30日
1
日産・スカイライン 2000GT-X(GC10)
ハコスカの愛称で親しまれたC10型は、キャッチコピーで「愛のスカイライン」が使われたことは、非常に有名です!
2000ccグレードでは、F:ストラット、R:セミトレーリングアームの四輪独立懸架方式のサスペンションが採用されていました!
車名のスカイラインの由来は、名付け親で7代目までの開発主幹を務めた、桜井眞一郎さんが群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」訪れた際、その景色に感動し、険しい山道も乗り越えるようなクルマという思いを込めて、「山並みと青空を区切る稜線」を意味する「スカイライン」と名付けたとされています!
2
日産・スカイライン 2000GT-X(GC110)
広告キャンペーン「ケンとメリーのスカイライン」から、ケンメリの愛称で親しまれ、歴代スカイラインの中で、最も多い販売台数を記録したと言われています!
スカイラインの特徴である「丸目4灯テール」は、ケンメリからのもので、この後の歴代スカイラインもこれを受け継いでいきました。
3
日産・スカイライン2000GT改GT-R仕様(GC110型)
ケンメリGT-Rでも、先代のハコスカGT-R同様にレースで活躍することを期待され、発売されましたが、ケンメリGT-Rが戦わなければならかったのは、排気ガス規制という強敵でした。
純レースエンジンといわれていたS20型エンジンは、時代という強敵に敵うことなく、日産は苦渋の決断を下しました。わずか197台を生産しただけで、販売を終了いたしました。
その為、ケンメリGT-R(KPGC110型)は現在、かなりのレア車で、極上モノになると数千万円になる個体もあると言われるほどです!
4
日産・スカイライン・2000GTターボ(GC210型)
「日本の風土が生んだ名車」であると名乗った広告キャンペーンのキャッチコピーから「ジャパン」の愛称で親しまれたC210型です。
当時の排ガス規制が厳しく、ツインカムエンジンが出せず、OHCターボが精いっぱいだった日産に、当時のライバルであるセリカに「名ばかりのGT達は、道をあける。」と揶揄されたことは、あまりにも有名です。
この型のスカイラインは、テレビ朝日系列で放送されていたポリスアクション「西部警察」で、最初に登場した特殊車両「マシンX」としても登場しています!
5
日産・スカイライン RSターボ(R30型 前期型)
イメージキャラクターにポール・ニューマンを起用したことから「ニューマン・スカイライン」など愛称で親しまれたR30型は、日産久々のDOHCエンジン「FJエンジン」を搭載していました!
昭和58年2月には、FJエンジンにターボチャージャーを追加した「2000RSターボ」が登場し、歴代スカイラインのどれよりも高出力であったことから「史上最強のスカイライン」というキャッチコピーが用いられ、日産はハコスカ以来となるワークスとしてレースに復帰しました!
日産久しぶりのDOHCエンジンの登場に、GT-Rの再来と期待されたが、4気筒エンジンゆえ、GTとは名乗らず、RSとされていました!
6
日産・スカイライン・2000GT改(GT-R仕様)
デビュー当初は4ドアセダンでしたが、運動性能向上の為にホイールベースを70㎜短縮し、リアフェンダーにオーバーフェンダーを装着し、太いタイヤを履けるようにしていました!
おとなしいボディに獰猛なエンジンという意味の「羊の皮を被った狼」のキャッチフレーズが、先代から受け継がれていきました!
7
プリンス・グロリア6ワゴン
プリンス自動車における、スカイラインを上回る高級車としてデビューし、ブリジストンタイヤ創始者でもあり大株主の石橋正三郎氏のこだわりの詰まった車でもありました!
ハチマキグロリアとも呼ばれる由来ともなった、一周するモールは、石橋正三郎氏のこだわりだったと言われています!
6ワゴンは、名称こそワゴンですが、車体形状では貨物車となっていました!
8
日産・グロリアバンデラックス6(A30型)
プリンス自動車を吸収合併した後に登場したグロリアで、プリンス時代のG7型と、日産のL20型が搭載されていた混血車とも呼ばれいます!
特徴的なフロントデザインから「縦目グロリア」「タテグロ」などの愛称でも呼ばれ、当時プリンス自動車が開発していた御料車「プリンス・ロイヤル」もA30型グロリアと似たデザインでしたが、6500ccV8エンジン、専用ボディなど、共用部品などは一切なかったと言われています!
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