
さて、先日みん友の
うらん4989さん、
Keysさんと行った城巡りの話。
岩櫃城は、狭い意味では今回紹介する「牙城」の部分、広い意味では他に「天狗の丸」、「平沢」、「
柳沢城」に分けられます。
と云うのも、縄張り図を見て頂ければ分かるんですが、本丸の北は堀も無く無防備。
此れを補うのに、北に広がる平沢部落も城域となっており、2万の兵が収容出来るそうです。
併し、此の城は籠城して専守する「陰の縄」ではなく、あくまで出撃起点となる「陽の縄」なのだとか。
此の吾妻地域は、地形からして防御に適しており、其の中心になるのが岩櫃城になるそうです。
なので、岩櫃山の山頂ではなく、中腹に城を構えたのも理解出来ます。
岩櫃城
応永12年(1405)に、山内上杉氏に属した斉藤憲行が築城したと伝わる。
戦国時代になると、城主斉藤憲広は吾妻郡西部の鎌原氏を圧迫した為、鎌原氏は武田信玄を頼り、真田幸隆が出兵。
斉藤憲行は一度は降伏するも、上杉謙信の支援を受けて対抗。
併し、真田幸隆の調略により、海野兄弟が内応した為、落城。
岩櫃城は、海野兄弟が城代となったが、後に真田昌幸により、謀反の疑い有りと誅殺された。
岩櫃城は、真田氏の上野攻略の起点となったが、関ヶ原合戦の後、徳川幕府をはばかった真田信之によって廃城となった。
い 城の口

駐車場すぐ近くにあるのが城の口で、大手になり、昔は枡形虎口があったのではないかと考えられます。
左に映るのがソレガシ。
写真は、うらん4989さんからお借りしました。
かたじけない!
ろ 竪堀其の壱

途中、案内板に従って左に曲がると、最初に出て来た竪堀。
此の辺りは、竪堀と云っても比較的緩やかでした。
は 中城

竪堀の間に挟まれた郭は、中城と呼ばれています。
写真は撮る場所を失敗しましたが、扇状の斜面でなかなか広い郭です。
に 竪堀其の弐

岩櫃城の特徴は何と云っても、二の丸から扇状にのびてゆく幾つもの竪堀。
此の竪堀には、階段が設けられてますが、当時も堀底道として通路だったはずです。
ほ 横堀

此処は、「に」の竪堀から分岐する横堀。
此の横堀から2本竪堀が発生し、西端の竪堀につながってます。
へ 竪堀からの本丸,二の丸を見上げる

竪堀から本丸と二の丸を見上げた構図。
山城とは云え、思っていたよりも傾斜が緩やかで、登りやすい城でした。
と 竪堀其の参

彼方此方に張り巡らせた竪堀は見事なんですが、以外と幅も狭く、深さも其れほどの物ではなかったりします。
其の弐へ続く。
参考文献:日本城郭大系4、群馬の古城
本日は此れ切り。
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Posted at
2010/06/16 21:24:05