私の不倫相手は、レクサスに乗っている。
私は不倫という言葉が嫌い。
正しくないイメージが、言葉から漂う気がするから。
レクサスに乗っている、不倫している、
どちらも口に出して言う必要があるとは思えない。
でも、言った途端、聞き手に一定のイメージが生まれる。
私も家族や友人に言うつもりはない。
黙っていれば、夫や息子は絶対に気付かないだろう。
でも、娘は侮れない。
中2の娘は、家族の心理状態を表情から敏感に察する。
女の子は特に性的な感覚に敏感だから、私も気を遣う。
私自身が子供の頃そうだったように。
私の母は厳しい人だったと思う。
父の死後、ひとり働いて私を育ててくれた。
そんな母も、私が大学4年の時に亡くなった。
母は私と2人暮らしの間、いつも誰か男が近くにいた気がする。
つきあっている男がいることを、私に隠しはしなかったけれど、
結構並行して複数いたと思う。
どの程度の関係なのか、私は小学6年生の頃から察していた気がする。
私の前での親の姿と、私がいない時に見せる女の姿。
気配や匂い、ふとした表情に母の2面性を感じては、言葉に詰まった。
父と3人で暮らしていた頃とは違う面が見え隠れする。
今思えばまだ30代の頃の母は、じゅうぶん魅力的な女だったことだろう。
でも、私にとっての母は、私だけの母であってほしいと思っていた。
私が中学生になった頃から、母は男を家に入れるようになった。
私が居間にいる時の母は、全く女を出さず厳しかったことを覚えている。
でも、たぶん私が部屋に入れば、母は男の前でただの女になっていたはず。
少しでも気にくわない男には、私が「さっさと帰れ」と言った。
私が嫌った相手を、2度家に入れることはない母だったけれど。
何人もの男が我が家の敷居を跨ぎ、母の上を通り過ぎて行ったことだろう。
不思議と子供心にも母を許せないと思ったことは一度もない。
私の父は亡くなってしまったのであって、母は独身なのだから。
母が再婚すれば、相手の男は私のおとうさんになる。
母が病気で入院し、だんだんと枯れてゆく中、もう先が長くないと感じた私は
母に尋ねたことがある。
会っておきたい男がいれば、呼んでもいいよと。
母は笑って「会いたいのは、あなただけよ」と私の手をとった。
結局、母は再婚しないままこの世を去って行った。
私と暮らす時間は、親子であって子育てをする母親でなければならなかった母。
もっとひとりの女としての母を見ておきたかったと、今は思う。
母の相手の多くが不倫だったことは、見ていて気付いた。
母が不倫をしていたからといって、私が母を嫌ったことはない。
だからといって、私の不倫が家族に許されるものではないことも承知している。
私にも、私のカレにも家庭がある。
でも、出会って、惹かれて、好きになってしまった気持ちは押さえられない。
わかってもらえなくても、私はこの関係を失いたくないと思っている。
最近、思う。
母もきっと寂しかったのかな。
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Posted at
2011/07/14 11:10:18