2015年04月09日
東洋工業(マツダ)と三輪トラック
先日NHKで「走れ三輪トラック」というドラマをやっていました。原爆によって一面焼け野原と化した広島の町を東洋工業(現マツダ)の三輪トラックを使って復興させていく話でした。東洋工業は爆心地から近かったものの運良く比治山という小さな山の影にあったおかげで建物は無事だったため、被災してしまった県庁など他の重要施設が間借りして復興の拠点として非常に重要な役割を果たしました。さらに戦後の極度の資材不足のなかで東洋工業創業者の松田重次郎氏と息子の恒次氏が苦心しながら三輪トラックを作って広島の復興を支えていきました。
もともと、オート三輪はバイクをベースにできるため当時の未熟な技術でも割と作れました。それにより、今では消滅してしまったメーカーも含めるとかなりの台数が作られて、戦前から戦後にかけて流行しました。その派生型の三輪トラックは小回りが効いて荷物もたくさん積めてその上安く買えることでかなり重宝されました。
ちなみに東洋工業での初三輪トラックは1931年にデビューしました。クラス最高性能と最大積載量の実現、エンジンをはじめ各種部品の国産化、一貫した量産体制の確立が売りだったようです。
その後時代と共に三輪トラックの需要が下がってきたのでR360という軽自動車でマツダ初の四輪自動車としてデビューしました。続けて普通自動車や軽自動車の車種を増やして一流の自動車メーカーの仲間入りすることができました。
ちょっと話が変わりますが、イギリス製の三輪自動車でリライアント・ロビンというクルマがあります。当時のイギリスは三輪自動車をバイク免許で乗れた上、バイクと同じ税金で済んだため労働者層に人気があったそうです。イギリスBBCのトップギアの企画でリライアント・ロビンを使って町中を走らせるという至って普通の内容ですが、事故多発ですげーことに(笑)直線は問題ないんですが、ちょっとした交差点であっけなく横転しちゃうんです!その都度周辺住民から起こしてもらってました。まあ、運転手が飛ばし屋のジェレミー・クラークソンだというのもありますが、それにしても三輪自動車特有の不安定さが目立っていました。リライアント・ロビンの愛好会の人が言うにはできる限り直線のみを走って絶対に交差点は避けろ!とのアドバイスでした…。こんな恐怖のぶっ飛びクルマですけどなんと2000年くらいまで製造されてました。
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Posted at
2015/04/09 16:43:40
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