本日ではありませんが、
木曜の夜に嫁さんと
神戸ルミナリエに行って参りました!
開催概要
『神戸ルミナリエ』は、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めるとともに、都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災の起こった1995年の12月に初めて開催しました。
以来、神戸ルミナリエは震災の記憶を語り継ぎ、都市と市民の「希望」を象徴する行事として、毎年開催しています。
今年、2012年で18回目を迎える『神戸ルミナリエ』。
神戸の冬を彩る荘厳な光の芸術作品をぜひご覧ください。
(オフィシャルホームページより)
1995年・震災の時は6歳、(震災は1月、誕生日が2月)小学校にあがる年の1月17日に起こりました。
幼稚園の僕には何が起こったか分からず、3つ下の妹は爆睡していました←
自宅周辺は大きな被害はありませんでしたが、地区によっては大きな被害があり、大空襲のような写真が学校で配布された冊子などに掲載されていたことをよく覚えています。
それから来年の1月で18年になります。
その大空襲の後のような風景は残っておらず、活気ある神戸の街に戻っています。
しかし2011年、東日本大震災による被害。
神戸の住民としては他人事ではありません。
もちろんそれまでにも新潟の地震などもありましたが、やはり東日本大震災の印象が強すぎます。
被害としては神戸より甚大なものだと思います。
そんな被災地との交流もあり、昨年から神戸と石巻市の交流が増えています。
先日の神戸マラソンのオープニングセレモニーの合唱も、神戸の学校と石巻の学校による合同の合唱がありました。
震災直後に作られた
「しあわせ運べるように」という歌があります。
その歌詞には
「響き渡れ僕たちの歌 生まれ変わる神戸のまちに」
という歌詞があったのですが、東日本大震災の後には
「響き渡れ僕たちの歌 生まれ変わるふるさとのまちに」
というバージョンが生まれました。
小学生のころは学校で歌わされていて、何も思わなかったんですが、
大人になってちゃんと聞くと、とても生きていることの重要性を感じます。
そして無事に復興できたことのパワーを感じます。
そんな想いも詰まった、忘れてはいけない記憶のためのルミナリエです。
そんなしみじみした話のあとにニコニコした写真で申し訳ありませんw
実際、今ではただのお祭りになりつつあります。
しかし、忘れてはならないと思いますし、なくなってしまうのも嫌な気がします。
小額ながら募金もさせてもらいました。
嫁さんと二人で歩いていましたが、前を歩くカップルの話を嫁が盗み聞きしていたようで
当時彼は3歳、彼女は0歳だったそうです。
で二人とも何も覚えてないとのことで「ルミナリエって震災のアレ(追悼など)なんやろ?」
という会話を耳にしました。
僕らも小さいころですが、水道が出ずに水を汲みに行ったり、洗い物を減らすために食器は紙皿やラップを敷いたこと、ガスが止まったのでプロパンガスの近所の知人にお風呂を借りたこと、カセットコンロで調理したこと、結構覚えています。
しかし少し下の子達にそういう記憶がないということは、僕ら世代がその記憶を継承する最後の世代かもしれないと感じました。
今では戦争体験の話をしてくださるご年配の方が減っているのと同じように、被災者の意見も貴重になってくるときに関係してくると思うと、責任を感じました。
まぁ、そのころには情報が発達して、今の記録もしっかり残ってるとは思うんですけどねw
その後、屋台めぐりをしてデートを楽しみました♪
以上です!
しんみりしてしまったら申し訳ありません(^^;)
ブログ一覧 | 日記
Posted at
2012/12/15 21:48:49