瀬野川公園
デゴイチが佇む広大な総合公園
2013年02月10日

中国随一の大都市・広島市へ向かって東側から国道2号線を辿り、東広島市から広島市に入ってすぐの地点にある総合公園。
広島市といえば、市内中心部にある平和記念公園を始めとして緑溢れる公園都市のイメージが強いが、「瀬野川公園」はその広島市内にある公園のなかでも、随一の面積と設備を誇る。
元々ここは広島市の最終処分場「瀬野川埋立地」だった場所。谷間を埋め立てる形で広島市内から排出される不燃ゴミ・焼却灰等を受け入れてきたが、16年ほどで満杯となり処分場は廃止。
その後3年半をかけ公園整備が行われ、現在の「瀬野川公園」となった。
しかし最終処分場だった頃の名残で、現在も地中のゴミから染み出てくる高濃度汚染水の処理施設が稼働し続けている。
公園の入口から程近い芝生広場(ちびっこひろば)に、とても良く整備されたD51720号機が保存されている。
上屋の無い屋外保存のため、若干の色褪せは否めないが、露出を若干アンダー気味に設定して写真撮影すれば蒸気機関車の全身を綺麗に記録することができる。
管理者が常駐し手入れが行き届いているのがファンとしては有難い反面、純粋な保存車輌としては問題点が無いわけではない。
例えば、正面煙室扉のナンバープレートは形式入りのものが誂えられているが、これは現役時代のものではない。盗難にあったか、本物は敢えて外して別途保管しているのか、何らかの事情で複製されたもののようだ。
動態保存機498号に親しんでいる若いファンには馴染みのスタイルかもしれないが、現役時代を知るファンは違和感を覚えるだろう。
またこの機関車は、瀬野川公園がある「瀬野」と聞いて連想する山陽本線筋での定期運用実績はない。
1943年に日立製作所笠戸工場(山口県) で製造された後は、主に北陸本線筋で使用されたが晩年は山口線に転じ、後に永住の地となる「瀬野川処分場」が操業を開始した翌年の1975年まで活躍。長門機関区配置を最後に釜の火を落とした。
製造の地と最後の活躍は広島鉄道管理局管内なので、広島市と全く無縁ではないが、若干ならず筋違いな印象は否めない。
機関車にとってみれば、縁のない場所であろうと終の住処を得て解体処分を免れたのだから、ラッキーとしか言いようがないが。
この機関車の幸運は、現在の安住の地を得ただけに留まらない。
実は当初、山陽本線からも望める国道2号線大山橋脇に保存され、瀬野川公園の完成を待って現在地に移されている。
これだけの巨大な鉄塊を、最初は瀬野の峠を越え、次に高台の公園へ、2度も引き回すのは相当の手間と費用を要する。
瀬野川公園は1994年に開催された「広島アジア大会」のアーチェリー会場に指定されており、まだバブルの残照が熱を保ち、誘致に成功した国際大会に向け公共投資が盛り上がった頃。
故に移設費用捻出も苦にならなかったのだろう。その時期を逃していたら、国道2号線脇で朽ち果てたかもしれない
幸運な機関車は子どもたちの相手をしながら、隣接する陸上競技場・野球場・ソフトボール場・テニスコートで繰り広げられる真剣勝負を、終日観戦している。
試合中にこの機関車の存在に気が付いたなら、幸運のお裾分けに与り勝利の女神が待つ駅に導いてくれるだろうか。
住所: 広島市安芸区上瀬野町 瀬野川公園管理事務所
電話 : 082-894-3210
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