渋谷駅街区土地区画整理事業

東京の中心を循環する山手線のルート上西側、池袋・新宿と並ぶ巨大ターミナルの一つ、渋谷駅が大きく変わろうとしている。
南側に首都高速3号線、北側は東京メトロ銀座線に遮られた渋谷駅東口広場では、屋上に「五島プラネタリウム」のドームを戴き巨大な映画広告が利用者を愉しませてくれた広場東面の「東急文化会館」が解体され、「渋谷ヒカリエ」へと生まれ変わった。
また2013(平成25)年3月を以て、東口広場に面し蒲鉾を連ねたような特徴的な屋根の東急東横線渋谷駅が廃止され、東京メトロ副都心線と共用する地下駅に移った。
私の両親は若いころ東急文化会館に勤めており、年に数回職場へ連れて行って貰える機会があった。オフィスは建物西側に位置していて、埃が積もった古いブラインド越しに激しく渋滞する首都高速、レモンイエローの地下鉄電車が不可思議にも高架を走る銀座線(当時は営団地下鉄)、そしてまだ珍しかったステンレス無塗装の電車が発着する東横線渋谷駅と、電車に合わせシルバーに塗られた路線バスが間断無く出入りする広場内のバス停留所が望める。活気溢れる陸上交通が重層する、東口広場の光景が私は大好きだった。
鉄道好き・クルマ好きである私の原風景と言える。
その東横線渋谷駅が再開発前の形に整備されたのは1964(昭和39)年のこと。東京オリンピックの開催を前に、現在の南口を出たところにある国道246号線のガードや、東横線渋谷駅・国鉄(現・JR)線渋谷駅と山手貨物線(現・埼京線/「湘南新宿ライン)を一挙に跨ぎ越す高速3号線の整備と並行して、新しくターミナルが建設された。この工事にはゼネコンに勤めていた私の祖父が従事している(ただし事務屋さん)。
父母が働いていたビルが潰えたばかりか、祖父が手掛けたターミナルも廃止され消え去ってしまった。
渋谷の街が生まれ変わり便利になるのを喜びたい反面、思い出の場所が大きく変貌してしまうのを、時の流れと割り切れない自分がいる。
とは言え、全てが雲散霧消してしまうものでもない。
東口広場上空を通過する東京メトロ銀座線の高架は、広場中心に鎮座する巨大な橋脚の撤去・移設工事が実施されるものの再開発後も残され、高所を行き交う地下鉄電車という不思議な光景が今後も続く。
かつ、私が子どもの頃と同じ「黄色い電車」が復活したのは率直に嬉しい。
惜しまれつつ閉館した東急文化会館8階の「五島プラネタリウム」で使用されていた西ドイツ(当時)カールツァイス社製投影機Ⅳ型1号機は、渋谷駅を挟んで反対(西)側の「渋谷区文化総合センター大和田」で保存・展示されている。
ヴァーチャルながらも大都会の百貨店屋上で宇宙を創造したこの名機が、再び動くことはないが「渋谷区文化総合センター大和田」では最新機器を揃えたプラネタリウムを開設、「五プラ」閉館以来途絶えていた「渋谷の星空」が久しぶりに復活した。
そして我が家の来し方を振り返ると、祖父はゼネコンの事務屋、祖父の子にして私の伯父は専門工事業経営、私は建設コンサルタント勤務と、三代続けて建設業界で生きている。
渋谷の街が変わってしまっても、渋谷で積み重ねられた我が家の歴史は、血肉として引き継がれていく。
我が子たちには折に触れ、祖父が手掛けた東横線・渋谷駅、父母が通った東急文化会館の話を伝えようと思っている。
住所: 東京都渋谷区道玄坂二丁目1-1(東急電鉄渋谷駅) 渋谷区役所渋谷駅周辺整備課都市再生事業推進係
電話 : 03-3463-2628
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