昨日には私の周辺で日刊工業新聞の
エコカー減税に対する社説が出回って
さらには、244さまの
「旧車への増税に異議あり!」
を読んで
日本に冠たる「日本自動車工業会」に、誠に興味深い記事を見つけましたので
抜粋しながら紹介いたします
タイトルは
「特集 欧米の若者たちにとっての“クルマ” ドイツ自動車事情」 木村 好宏[モータージャーナリスト]
ドイツ、ヒストリックカー制度、で検索して出て来た記事なので、
内容におおよその予想は付くものの、楽しみです
掲載は2009年11月、ちょっと昔ですが
今と状況はそれほど変わらないでしょう
「自動車に関わりを持った仕事をしているとドイツはまさに天国と表現しても良いほどの国」
かなりの違いがあるようだ
ヒストリックカー制度の他には、私が知っているのは、アウトバーンくらい
その他には、数年前、いや、もう10年くらい経つのか?
実は、アウトバーンだけでなく、郊外の道路は基本的に制限速度が無かったそうだ
近年になってようやく自動車事故の被害の大きさが問題になり、
今では 100km/h の制限が設けられるようになったとのこと
この程度では、天国とまでは行かない
私の想像を超えるものが書かれているのだろうか?
「ドイツでは「免許証」という言葉はほとんど使われない。代わりに「自動車運転技術証明書」という。つまり自動車の運転はすべての国民に与えられている権利であり、それを享受するためにはだれかに「免じて許される」ものではなく、自分でその技能を習得しさえすれば良いのだ。」
いきなり衝撃を受けた
私のいまの職はライフスタイルの研究であり、
いろいろと車に関するアヤシイことを進めているのも
自動車とライフスタイル、の研究の一環なのだ
主には、乗りたいクルマが無い、ならば、創りましょう、である
ライフスタイルの研究によって、何をしたいか、理想は何か、
スピノザ倫理学によれば完全な自分とは何か、
これがライフスタイルすなわち人生のスタイルに直結することが
実証されつつある
「自動車の運転はすべての国民に与えられている権利」
とのコンセプトは、いわゆる実現されるべき完全な自動車社会と
それに関わる人々の方向性を示している
権利なのだから、基本的人権と同じである
人は生まれながらに自動車を運転する権利がある、と言えよう
それを認めないことは人権侵害に当たるのだ
よって、免許つまり許すものではない、最初から生まれた時から許されているのだ
必要なのは責任能力
許されているから何でもして良いことはない
行使する自由はあっても、責任が伴う
福澤諭吉風の文明論之概略によれば、
自由とは他人を妨げず天理人情に反さないこと
とある
今の言葉に置き換えよう
妨げず とは 他人を侵害しないこと
と置き換えられるだろう
天理 には 天理とは世の中の決まり事
という意味がある
人情 は 人の気持ち
昔々の大昔から重視されて来た人情、
じつは、目には目を歯には歯を、で有名なハムラビ法典において
もっとも重い刑罰が与えられるのは、友人をだますこと、
つまり人情に反することなのだ
このように、すべての人間には生まれながらに自動車を運転する権利自由がある
ただし、である
そこには、他人を妨げず天理人情に反しない、が求められる
つまり、
道路交通法は守らなければいけないし、
他人を不幸にするような使い方は許されない
よって、「自動車運転技術証明書」なのである
このように、徹底して信念と理想をもって築き上げられたドイツ自動車社会
それがこの記事には書かれているようだ
「車両検査費用が安いのはすでに述べたが、同時に車検ごとの重量税などという不可解な税金制度も存在しない。」
車検費用の高い、安いは政策に関わることなので割愛するが、
「重量税などという不可解な税金」
権威ある日本自動車工業会が全世界ワールドなワイドにウェブに乗っけて
発信している記事において
「重量税などという『不可解な』税金」
と表現されている
今日から、自動車技術会のファンになりました
日本の自動車社会がクズなのは、日本のメーカーや
学会や協会が悪いからだと思ってましたが、
完全な勘違いであったことをここにお詫びします
今日は、自動車技術会のみんからページやFaceBookベージを探して
熱烈におともだち申請します
こいつがトモダチではないなら、この世にトモダチなんて一人もいない!
と言わせるようなトモダチ申請文を作文します
さて、自動車技術会が<<不可解な>>税金として発信する自動車税ですが
昔から日本にあるのは
ゴマと百姓からは搾れるだけ搾れ
という言葉
お上(かみ)にとって、平民は搾取の対象であるとの考えが
色濃く残っています
昨今の消費税等にしても、一方的に増税を繰り返すばかりで
どこまで搾れば満足するのか答えは見えていない
社会の変改対応して、税制を変えるのが税制改革であって
増やすだけの増税は、まさに、ゴマと百姓からは搾れるだけ搾れ、を体現している
封建武家社会以降の被支配者体質(支配されて当然という体質)は
日本国民に根強く、血が受け継がれるかの残っており、
お上(かみ)が言うのだからしょうがない、と今回も皆あきらめている
そんな弱腰では一族郎党のみならず民族滅亡の目に遭う殺し合い社会のヨーロッパでは
自分の権利を主張することは必須
そこに住み続けた人だからこそ
重量税などという【【【【不可解な】】】】税金
という表現が出たのである
「もうひとつの車検アラカルトは「ヒストリック登録」である。もし貴方のクルマが30年以上古くて、オリジナルの状態を保っていることが車検で証明されれば、そのクルマは工業製品文化遺産ということになり、ナンバー末尾にH、すなわちヒストリック・ナンバーが発行される。」
そして、ヒストリックカー制度である
「そのクルマは工業製品文化遺産」と見なされるという
人間国宝や富士山と同じなのである
その車が存在することによって、
見る人に歴史と文化を連想させるヒストリックカーは
技術者のみならず、諸国民への良き影響が得られると判断され、
それを維持して乗り続けることには社会的貢献があることを認めざるを得ない
このように考えられているのだ
そして、さらには、そのような車には
「もちろん触媒の有無は問われない。」
とある
おそらく、販売当時に触媒が無かったころの車について、であろう
30年経った〜、 いえ〜い、 触媒レス〜
というのが通用するのでは無いだろう
「オリジナルの状態を保っていること」
との条項に、購入時の触媒の設置が含まれると考えられる
触媒による排ガス浄化もまたひとつの
社会問題解決の歴史であると言えるのだから
ところで、「オリジナルの状態」とは、
どの程度までの改造が許されるのだろうか
S30Z がボアアップされて 3.1L ターボ だったりしたら
それは「オリジナルの状態」になるのだろうか
作製中の トゥデイラリーミッドシップ4WD とかは
当時はみんなこれに乗ってたんですよ〜
と言っても、
みんなって何人だ、子供みたいなことを言うんじゃない
とか言われておしまいだろう
けれども、ミッドシップ4WDもまた
WRCグループB という文化だよな〜
社会に与えた影響は大きかった気がする
「オリジナルの状態」については、車検証に改が付くかどうか
あたりが現実的だろう
いや、ボディが原型を留めていたら、
あたりに緩めてもらえないだろうか
でも、オーバーフェンダーが
いや、バーフェンは有りで
そこはやっぱり最近の IT 技術の映像処理で
画像上の xx% 以上が残っていること、
あたりでどうだろうか
その場合には、ただし、サビによる茶色は除く、と付記していただきたい
「前述した重量税などという意味希薄な多重搾取的税金も存在しない。自動車の保有者は排気量と二酸化炭素排出量に準じた自動車税を支払うだけでよい。」
海外経験豊富なジャーナリストの意見を
日本自動車工業会が取り上げて、
「意味希薄な多重搾取的税金」と表現されている
誰か、自動車税とか重量税とか自賠責(任意保険に入っている人のみ対象)を意図的に払わないで、
用途不明で人間の権利を侵害する行為に従う意志はない、として
裁判起こしてくれないだろうか
やってみようかな〜 たぶん、英雄になれるよな〜
類似の例では、どぶろく裁判、が挙げられる
自分のメシ(酒ですが)を自分で作って何が悪い
酒税法によるどぶろく作製の禁止は、憲法に規定されている幸福追求の権利に反する
というのが被告の意見でした
結局、 いや、でも、法律だから、 と
意味不明の憲法軽視の判決が下った気がする
「クルマは贅沢品ではなく、自らのライフスタイルを表現できる道具」
最高にシビれたのはこのタイトルでした
規制が緩いからと言って、無法状態にはならない
むしろ、「自らのライフスタイルを表現できる道具」
となっているのである
そしてこれは、本文中の
「そしてそこに個人の自由な移動の喜び、運転することの楽しさを正直に求めている。そしてそれが社会的に認知されているのである。」
にも表れている
そうなれば当然
「自動車はしばしばステータス・シンボルと定義づけられることもある。」
こうなることもうなづける
ドイツでは、新車購入の年齢層は相当に高いようだ
「もっともこの国で新車を購入し始める年齢は早くても40歳過ぎ、ゴルフでも50歳以上、メルセデス・ベンツAクラスでは54歳を超える。ホンダ・ジャズ(フィット)あるいはトヨタ・ヤリス(ヴィッツ)などのBセグメントでさえ、平均で48歳となる。」
ここで、イギリスでの事情を聞いた話を思い出した
ジャガーに乗る某社長に聞いた話である
日本だと若造が、例え中古だったとしてセルシオとかに下品に乗ったりする
そもそもそんなことは許されない
例えば、社会的に成功して、そのシンボルとしてジャガーに乗る人間は
自分の尊厳が侵害されたとして下品なジャガーに石を投げつける権利がある
ときどき、ヤツには oo に乗る資格がない、とは言われることがある
それはつまり、
ライフスタイルすなわち自分の人生を表現するための手段として考え、
数ある中から最適と考えて、選んだ自動車に乗っている人間にとっては
あ〜 あれね スモーク貼って やっぱり車高は低いんですか?
とか言われると、人生の否定につながるのだ
これは他人を妨げず天理人情に反する行為であり
乗る車を選ぶ自由が制限されるとの考えなのかもしれない
私は、当時万人から「いつもピットであやしいことを」と
讃励の言葉をほしいままにしていたN島先輩の
油にまみれた後ろ姿に感銘を受けて EP71 に乗り始めた
そして今、N島先輩の精神を心に刻んで
万事に向かうに当たって忘れてはいけないこととしている
さらには、たけひの技術を見たければたけひの車を見よ
と言われる程度には仕上げて来ているつもりである
こうして、心に刻んだスタイルをいつも思い出させる存在であり、
人生(ライフ)を表現するまでなった EP71 には
まだまだお世話になり続けるのである