
結婚し子供ができる すなわち2シーターでは、家族の移動がままならない。
もう1台車を購入すれば・・・など経済状態が許容しない。
必然的にロードスターを手放さなければなりませんでした。車生活的には悲しい出来事でした。
泣く泣く次期車両を購入するため中古車屋さん巡りを開始しました。(新車は無理でした)
どさくさに紛れて秘かに狙っていた車がありました(笑)
それが 「いすゞ ジェミニ イルムシャー ターボ」でした。発売は1986年でしたので、購入時(1990年)にはカタログ落ちしていた車(1988年には1.6ℓになり、ターボは外れていたと思います)でした。
何と言っても1.5ℓのターボで、5速ミッション、4ドアで、レカロシート付き、momoステ これをファミリーカーにしようなどと随分思い切った事をしました(笑)「街の遊撃手」のキャッチコピーが余りにも印象強く、秘かに欲しい車だったのですが、欲しい車(ターボ車)は値段が高く、手が出せる物ではありませんでした。

いすゞ ジェミニ イルムシャー ターボ (2代目ジェミニ E-JT150型)(1991年2月~1993年2月)
スペックはインタークーラー・ターボ、4気筒OHC、最高出力120ps/5800rpm(High)、105ps/5400rpm(Low)、最大トルク18.5kg-m/3400rpm、16.3kg-m/3400rpm、5速マニュアル、サスペンションは、フロント ストラット式コイル、リヤ コンパウンドクランク式コイル、タイヤサイズは185/60R14 いやはや、何とも言えないスペックじゃないですか(笑)
ターボの切り替えスイッチが付いており、High/Lowで出力が変わるなんて、何と素敵なターボなのでしょう。おまけにインタークーラーも付いて、なおかつ水冷式ターボ(オイルじゃない)だったのです。

外観の特徴に素敵なフルホイールカバーが目に付きます。今見ても斬新です。トランクの控えめなスポイラーが速そうです。窓からこっそり見えるレカロシートがそそりました。ボンネットにはNASAタイプのインテーク(インタークーラー用)、ハンドリングByロータスより、よりマニアックに映り、なおかつ「普通の車だよ」と言うのに何の不都合もありませんでした。
乗り心地はズバリ、ファミリーカーには不向きでした(笑)硬めに固めたサスペンション。俗に言うドッカ~ンターボで、燃費も悪ければ、トルクの出方も唐突でした。せわしなく変速が必要で、落ち着いて乗る感じではありませんでした。でも大好きでした(笑)

コックピットも独特でした。同時期に売っていたピアッツアほどではありませんが、ライトコントロール、ワイパーコントロールがメーター周りにあり、ハンドルの横には方向指示用のレバーが1本のみでした。(思想はシトロエンと一緒?)
痛快な車でした。これぞターボ車だ!と言わんばかりの車でした。(そのうち家族には、こいつだましたな・・・という空気が感じられましたが・・・)
余談ですが、購入した時に取扱説明書が付帯しておらず、販売店に行っても取り合ってくれず、途方に暮れいすゞの「お客様相談室」に電話して相談したところ、心良く送ってくださり、ついでにカタログもないでしょうかと尋ねたところ、これまた親切に送ってくださいました。その時のカタログと送られた封筒は今も大切に持っています。いすゞが乗用車部門から撤退したのが残念でなりません。
4万数キロで購入したため、2年近く使用(約7万キロ走行)した頃に排気系の高温異常ランプが消えなくなり、ディーラーに行ったところ、結構高い修理代がかかる事が判明し、家族に言うともちろん買い換えようと言う雰囲気(命令?)になってしまいました。
でも良い車でした。今なら絶対に発売出来ない車でした。
乗ってる人(パッセンジャーを含めて)をすべて満足させる(度合いにもよるが・・・)車は、今の方がはるかに優れていると思います。
でも運転行為や所有する事実や製造会社の意志や理想を体感し、感じさせる事が出来たのはこの時代位までであり、バブルという泡と共に社会全体の何かの情熱も弾け飛んだ気がします。
個人的には、いつまでも人をだまし続ける事は出来ないと悟った冬でした。

Posted at 2011/08/13 00:29:44 | |
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