皆さんこんばんは^^
たまには真面目なブログ書きますよ!!
今更何言ってんの?と思われる方、いるかもがしれませんが良ければ読んで下さい。
忘れてはいけない事なので3月11日の自分の事や感じたことを書いてみました!!
あの大地震3.11から早いもので3ヶ月経ちました・・・・・
自分の周りではだいぶ普通の生活と変わらないぐらいに戻ってきました。
スイッチを押せば電気がつく、蛇口をひねれば水が出る、コンロをひねれば火がつく、今まで当たり前だった事が今回の震災でホント有り難いと感じました。
地震が起こった当初自分は現場で仕事をしていました。
午後14:45に大きな揺れを感じ社員のみんなと慌てて現場の外に出ましたが体感にすると10~15分ぐらいは揺れていたと思います。目の前は電信柱や電線が大きく揺れ、車は跳ねていてトラックなんかは倒れそうな勢いでした。地震がおさまった後はどうして良いか分からずとりあえず携帯電話で家族の安否を確認しましたがなかなか繋がらずリコ-ルすること10分ぐらいで親に繋がり確認ができみんな無事が確認できました。
それから会社の前でみんなで携帯や車のナビのテレビで状況を把握していましたが間もなくするとヘリコプタ-が来て上空から(津波の恐れがありますので遠くではなく高台に避難してください!)とアナウンスしに来ました。
その頃仙台空港には第一波の津波が来ていました、会社にいても何もならないと言うことで一時解散となりました。
自分は急いで着替えてくろ助号に乗り自分の家を目指しました。が、少しすると吹雪に襲われて、会社から家までは20~25分の所にありますが家に着くまでに1時間かかりました、信号は止まり大通りは大渋滞、道路のあっちこっちでは亀裂や盛上りができ下水はマンホ-ルから溢れていました。
それから歩いて実家に行き(徒歩10分)ぐらいの所にあるので、なんだかんだしているとアッと言う間に暗くなり、もちろん電気、ガス、水道は全部ストップしています。寒くて暗いリビングで親父とお袋とおばさん(親父のおねえさん)と自分の4人で知恵を絞りアロマキャンドルを炊いたりスト-ブで暖を取ったリしながら過ごしました。
救いは前の日にハイオク満タンにしていたので車で充電したりTVをみて情報収集できたのが救いでした。
それから1週間~2週間がたち電気が戻り次に水道が戻りました。それまでの間は近くの中学校の給水(炎天下2時間)待ちとかは当たり前で、ス-パ-は5時間待ちとかに並んで食材を買ったりしました。(一人20品まで酷い所は一家族20品)なんて所もありました。
あまりきれいな話ではないですが水道が通り初めて風呂に入った時は体から流れる水が黒かったです・・・・
毎日被災地やニュ-スを見ると↑の事を思い出します。
けして忘れていけない事だし、いつまでも下向いていられません!
今こうして自分が元気で車に乗ったり本を読んだりできる有り難さを胸に刻み、忘れない
ためにもブログにまとめさせて頂きました。
支援してくれた県外の方や外国の方ホント感謝の気持ちでいっぱいです!!
最後まで読んで頂きありがとうございました。脱字変換間違えあるかもしれません
読みにくくて大変申し訳ございません。
少しのエコで良いので協力お願いいたしますm(__)m
Posted at 2011/06/16 20:49:55 | |
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