
自分の仕事は「価値の創造」といわれる仕事の片棒を担ぐことだ。具体的にいえば「本来の価値を超える価値を与える」ために必要な説明を考えてつくること(笑)。
たとえば、ただの食パンは食パンとしての価値しかないけれど、それをもっと高く売るために、その食パンの材料についてのこだわりや蘊蓄、製作工程や歴史を露出し、その食パンにはあらたな価値を付加する。それは、たとえば小麦の産地、使われている水、職人のこだわり、天然酵母の必然性、こだわり続けて10年のキャリア、みたいな蘊蓄だ。
本来の食料品としての現金価値が200円だった一斤の食パンは、これらの情報を得ることで一気に400円の市場価値へ変貌する。これが価値の創造であり俗に言われるブランディングだ。
そんな価値の創造を行うときには、かならずその価値を理解できる対象を考える。それはターゲットと呼ばれる鴨のこと(笑)。鴨になる対象は、そもそもは年齢と性別で大きく区分けされていて、隠語のように「この商品のターゲットはf1です」とか言われてた。
しかし生活が豊かになって同年代でも収入の格差が生まれてくると、年齢性別だけではターゲットを絞り切れなくなり、ロスが多くなったために、ある大手家電メーカーが始めたのがライフスタイルマーケティングというやり方だった。
これは、今までの年齢や性別という横スライスではなく、いろんな消費動向や趣味嗜好、職種というデータで年齢性別にかかわりなく購買層を縦に切り分けるもの。この方法が見事に当たって、次々とヒット商品を生み出したものだから、あっという間にいろんな業種が導入した。
ライフスタイルマーケティングにおいては、ペルソナという仮想人格を作る。それは、たとえば
「夫婦ともに就業していて世帯収入1200万前後、子供なし。外食比率は週に4日~5日。土日だけ自宅で夫婦で料理を楽しむ。好きな音楽はミスターチルドレンやドリカム、大手レンタルショップ会員でDVDレンタルは月4本程度。」
という感じ。
そのうえで、ターゲットにもっとも響く、商品のバックストーリーやイメージを作り上げていく。CMの音楽は当然ミスチルかドリカムで、マンション暮らしでオシャレなインテリアにシンプルな家具。観葉植物は多めって具合だ(笑)
ただ、このライフスタイルマーケティングを実施してみてから解ったことが、実際はこういうライフスタイルを実践している人よりも、こういうライフスタイルに憧れてる人たちに多く響くという事実。つまり、こういう人たちをターゲットとしたときに、その予備軍こそが主たる顧客対象になるということ。それは高額商品になればなるほど顕著で、ジュエリーや高級時計、車、家、家具など。
ターゲットユーザーは、すでに持っていることが多いこともあるけれど、予備軍にとって目指すライフスタイルのアイテムを手にするということは、そのライフスタイルを手にしたと感じられることで、多少無理をしてもそれらのアイテムにアプローチしてしまう。
周りを見回してみれば、気づくことだけれどブランド品を買いあさるのは、本当のセレブリティではなくセレブリティに強い憧憬をもつ予備軍や自分がセレブリティであることに懐疑的なニューリッチ層ばかりだ(笑)
この予備軍こそが、もっともおいしいマーケティングターゲットということになる。なにしろ憧れているけれど、そのライフスタイル自体は現実には手に入れられてない(もしくは不完全だと思っている)から、のどの渇きは癒えず、カード会社から次々に送られてくる憧れのライフスタイルに必要なアイテムのカタログを、どんどん追いかけてしまう。
最近仕事で「富裕層マーケティング」という物騒かつ滑稽なマーケティングにかかわっていてわかったのが、本当の富裕層はマーケの対象としてはなかなか厳しいということ。彼らの多くは衝動的、感情的にものを買うことが多く、その商品の背景だとか付加価値にはほとんど興味がない。考えれば当然のことだけれど、自分も含め商品のバックストーリだの蘊蓄だのを考えて些少の金額の差を検討してしまうのは金のない貧乏人だった(笑)
真のセレブリティは欲しいと思ったらすぐに買う。失敗だったら捨ててすぐに違うものを買う。学習する人は学習するけれど学習しない人は学習しない(笑)。だって彼らにとってお買いものの失敗なんて別にたいしたことじゃないんだもの(汗
だから、あえてこの場で言おう。
「ライフスタイルに憧れるな、憧れるとその隙を突かれて無駄遣いさせられるぞ!」
と。
マーケティングの本質は「求める人に速やかに求めるものを届けること」なのに、今のマーケティングは「求めてない人を求めなければいけない気にさせること」になっているから。
かくいう自分にとって、ライフスタイルってなんだろうな、っていつも足元を見るのだけれど、ここみんカラに連ねた自らの愛車紹介をみればそれが一目瞭然だとおもった(笑)。
その時代その時代の生活が手に取るようにわかってしまうし、自分が憧れのライフスタイルを夢みたことがあまりないのもばれてしまう。
憧れの何かを得るためにコツコツ貯金するとか計画して一歩一歩近づくとかそんなこと、全然できてない;;;
結局、その時に手に入れられて仕事や生活に合った車を選んできたから。
なかでも2台乗り継いだエアロデッキとかは本当に当時の生活にあっていた。ワゴンに匹敵する荷物スペースには、当時仕事で必要だった楽器やPCは十分に積めたし、5ナンバーで全高が低いボディは都内で駐車場を探すときにも全く苦労しなかった。大方は二人乗車でたまに4人乗車でロングツーリングするときにも十分な居住性。
でもって走らせればエンジンはよくまわりスポーティだったから、本当に毎日のってて楽しい車で、平日も休日もよき相棒だった。
TTを買ったときも、その頃の自分の収入とか全く無関係だった。輸入車のある暮らしでさえ想像してなかったから、かみさんに最初に話したときには馬鹿じゃないの!!って罵倒された(笑)。
TTをライフスタイルのアイテムとか思ったことはなく、単にクルマとして欲しかったので手に入れても暮らしぶりはなにも変わらず。かみさんが暮らし向きと持ってるクルマが不釣り合いじゃないの?っていわれたけど、クルマなんて所詮道具(遊具)だから、不釣り合いもなにもないだろ!って嘯いたっけ(笑)
ただし、あのクルマを通して知り合った人のつながりは公私ともに非常に大きかったと思う。異業種交流のきっかけになったし、いろんな土地のいろんな年齢の人たちと話をする機会に恵まれた。単にAudi
というだけではだめだっただろう。あのヘンテコなデザインに心惹かれたもの同士の奇妙な連帯感(笑)
そして今にいたるわけだけど、今の自分のライフスタイルといえば、たぶんオープンエアー。アウトドアじゃないよ(笑)。
オープンエアで暮らせる家(高断熱低気密住宅)、オープンエアで暮らせる場所(冷房なしで窓をあけて過ごせる土地)、オープンエアで楽しめる趣味(釣り)、でもって、車もオープンエアばかり。なんでって聞かれれば簡単。20代後半からの都会のクローズドな暮らしにうんざりしたから(笑)。
人生の前半は昭和のオープンエアな時代で暮らした自分にとって、平成になってからは非常にクローズドだった。だから人生の終盤を望むにあたって再びオープンな世界にもどりたいと強く思ってたし、かみさんも同じ思いだったから実現できたと思う。
だから決心するまでに時間はあまりかからず、どうすれば実現できるかだけを考えて即実行するのはいつもどおり(笑)。おかげで面倒な不動産関係マーケにつけいられずに済んで求めるものを手に入れた。クルマについては、来るもの拒まずで挑戦権を得たものには迷わず挑戦した。おかげで、あいかわらずクルマと暮らし向きがまるっきりあってないけど(笑)
で、最後の最後で本題。
だから、次の2号機は間違いなくオープンになると思う。
ついに屋根あき馬鹿まっしぐら(爆)。いまのところ屋根のある車は軽トラだけでいいという結論。2年前に4駆3台だった時と一緒で、2年後は、また屋根ありばかりの生活に戻るかもしれないし、全部ハイブリットのハイブリット馬鹿になってるかもしれない(笑)
さて、ぼちぼち仕事にもどって鴨の心を射抜く「価値の創出」とやらをやらんと・・・(汗