
ここで書くのもなんだけれど自分は元々音楽屋だった(笑)。自身のバンドでこっそりレコード(の時代だな)やCDも出てる(1枚だけど)し某有名タレントのアルバムやツアーにも参加してた。で、某大手音楽教室や専門学校で鍵盤楽器の講師もしていたのだけれど、そのときに良く話したのがスローハンドの話。
クラプトンが自身のアルバムタイトルとしてつけてるのは、彼がそう呼ばれていたからということは有名だけれど、スローハンドの由来は、彼が速いパッセージを弾いてるときの左手が、まるでゆったりとスローモーションのような指使いに見えたから。
クラプトンに関わらず美味いギタリストは大概スローハンドで、私が敬愛する3大ギタリストとしてクラプトンとならぶジェフベックや、ミュージシャンズミュージシャンとして有名なメセニーしかり。
なぜスローに見えるのか。
指の動きが滑らかで無駄な動作がないこと、握りのポジションが最適でどの弦にも最短距離で移動できるから。それは左手でネックを握る力の加減、手首の柔軟性、指のたたみ方に負うところが多い。
鍵盤楽器にもスローハンドはもちろん存在する。というか、クラシック出身の多くは私のような端くれでもスローハンドなのが鍵盤演奏者の常だ。クラシックピアノを習い始めた頃、まだ3歳にもかかわらず某芸大の鬼講師につけられたのだけれど、最初にやったのは手の甲に10円だまを乗せて落とさずにバイエルを弾くことだった。笑っちゃうけれど、これやってみると結構大変だ、しかもフォルテでもピアニシモでも同じようにやれと言う。手首を使わずに指だけで正しい運指を見につけさせるため。
ある程度弾けるようになった小学校では、ソナタの曲をピアノの羅紗(鍵盤カバーの赤い奴)をかけたまま演奏し、羅紗を落とさないように弾く練習をさせられた。これは指を正しく上から下に打ち下ろすためだ。引っかくように鍵盤を弾くと羅紗はいとも簡単に落ちてしまう。
教えていた先生が、こともなげに落ちないように弾いてるのを見て唖然とした。こうして、手首と指の動きにまったく無駄がなくなったうえで、はじめて手首や肘を使ったアクションを練習する。これは手首や肘を痛めないようにより大きな音を出す(フォルテシシモ)ために必要な技術。鍵盤で大きな音を出すためには、打ち下ろす力ではなく加速度が重要になる。つまりスピード。そしてその速い速度からくる鍵盤からの反力が指の関節や手首に与えるダメージを最低限に抑えるための、引き手の練習が大事なのだ。
引き手って、ボクシングのパンチと同じで、相手にヒットしたらすぐに手を引いて力を逃がすこと。鍵盤奏者がガァーンッ!!とフォルテシシモで鍵盤を叩いたあと手を高くあげてるのは、引き手で自分の指と手首にかかる力をうえに逃がしてるからで、ポーズじゃないのだ(笑)。アレが美味くできないと間違いなく腱鞘炎になってしまう。
こういう技術的な演奏力とは別に、スローハンドを実現するのに欠かせないのが呼吸法。教室でもよく早弾き自慢の少年に諭したけれど、人間はなにか細かい作業や難しい作業にかかるときに、息を吸って止めてしまう修正がある。よくいう「一息にやる」とか「一気にやる」ということ。しかし、これがネックになる。
息を止めて、吐くときに力が出ると言うのはスポーツ科学でも立証されていて、ハンマー投げの室伏のように投擲する瞬間に叫んで息を吐く。つまり止めてるときはためてるときなのだ。だから難しいパッセージの演奏や早弾きで息をとめるのは意味がないし、止めてることで体の筋肉は吐き出すときのために力をためてしまう。そうするとやわらかく間接が動かせない。
だから、難しいパッセージや早く弾くときほど普通に呼吸をしろと生徒には教えた。あと速く引くから指を速く動かすという気持ちを持たず、普通にいつもどおりに弾けと。16部音符は4部音符の4倍の速さと意識するのではなく、4分の一の短さだと。だから練習するときは、まずスタカートでゆっくりのテンポで練習させて徐々に正規のテンポに上げていく。で、スタカートを辞めれば、本人が驚くほど速く指が回るようになる。
楽器の演奏ってエモーショナルな部分と、こういったテクニカルな部分の折り合いをつけるのがクリエイティビティで、それは、つねに次の小節をイメージしながら演奏するのが重要なこと。最初は1小節先しかイメージできなくても練習をするうえで4小節先までイメージでき、さらに8小節、16小節とイメージできるようになる。そうしているうちに自分のパート以外も他のパートのイメージも沸くようになり、楽曲のアレンジができるようになる。
で、ここまでがなが~~~い前置き(爆)
ここからが本題。(すんません;;;)
スポーツドライビングをするようになって、色んなスクールで習って思うのは、車の運転も楽器の演奏とまったく同じと言うこと。速く走ると言うことは、無理をすることではない。目を三角にして歯を食いしばって走ってる人がいるけれど、それは大いなる間違いなのだ。
笑い話として某インストラクターが話していたけれど、サーキットを走ってラップタイムを上げようとすると、なぜか、ステアリング操作やシフト操作を急ぐ人やブレーキを我慢すると勘違いする人を良く見ると。
コーナーに侵入するときに、とにかく短い時間でクラッチを切ってシフトしてステアリングを回して・・・しかも息を止めて(笑)。
自分はFSWのストレートエンドで220kmから1コーナーに進入するのも、家の近所のワインディングで60kmでヘアピンに入るときも、一連の動作の流れとテンポは同じ。高速道路での車線変更と一般道の車線変更でも同じだ。とはいえスピードによって掛かるGは違うので、Gがかかった状態で普通に呼吸できるような筋力は必要だけど。
カーブのラインも、サーキットはコースが頭に入っているから飛ばせるけれどワインディングは何があるか解らないから恐いという声も聞く。でも、サーキットだってコーナーに入ったらスピンしてる車や目の前でコースアウトして戻ってくる車などがいて予想外のことは、一般道と同じぐらいに遭遇する。
ワインディングを飛ばすというのは、4小節先、8小節先をイメージすることとまったく同じだと自分は思ってる。道筋はバンドのメンバーの一人であり、彼の演奏の意外性に裏切られることも含めてのイメージをもって、その中で自分の走るラインができている。
だから目前の一つ一つのコーナーを走るのではなく、次のコーナーにどれだけスムーズにつなげていけるか、そのためのマージンをとって車の姿勢をニュートラルにすることに神経を集中してラインを紡いでいく。
若造だった自分の目にやきついている先輩たちの走りは、常に前から糸で引っ張られるように走り、後ろには一筋の軌跡がみえていた。それは彼らが上記のとおりにラインをキレイに紡いではしっていたから。初めての峠道でさえ、それは一緒だった。
不器用で雑でドンくさい自分がそこまでいけてるかどうかは、知る由もないけれどまだまだ切磋琢磨していきたいなー。
Posted at 2007/07/31 16:25:30 | |
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