
翌日の夕刻、私は春先ということもあり一張羅の革ジャンにタートルのセーターを着込んで、くだんの店に向かったのだが店に近づくにつれて、その異様な光景に目を奪われることになる。
その店の前は片側2車線の広い県道だが、店の前には20台近いバイクが並び、車線をわたった反対側の路側帯にも同じぐらいの数のバイクが並んでいる。さらにその前後にアルファのジュリアや911がとまってる。どこの誰がどう見たって、これが今宵のツーリングに参加するってことはわかるが、あまりに台数が多い。まるで丸走の集会・・・:::
店に近づくと、屈強な男子が止める場所を誘導しつつ野太い声で話しかけてきた。
「店なら今日は休みだけど、ツーリング参加かい?」
「はい・・・昨日、ここに来いといわれて。。」
「OK。じゃあこっちに同じように並べて。ハンドルロックはかけないで止めてくれ。こっちで動かすことがあるかもしれないんでね。ロックしなくても、この店の前に止ってるバイクを盗むような馬鹿は横浜にはいねーから大丈夫(笑)。で、バイク止めたら店のうらに回ってくれ。そっちでツーリングの説明するから。」
バイクを止めると見知らぬ人たちに混じりながら恐る恐る店の裏に回った。そこはすでにたいそうな宴になっていて缶ビールや瓶ビールを片手に大声で笑ったり怒鳴ったりしてる大人たちであふれていた。
中にはビールじゃなくてジャックダニエルをラッパ飲みしてるツワモノまでいるし、外人も多く英語もとびかっていて無国籍状態になっていた。ツーリングの説明があるって聞いてたものの、それらしいブリーフィングが始まる様子はまったくなく、宴は24時近くまで続いていく。
なんだかいつの間にやら話しかけられて、答えるうちにビールを持たされ初めて会う人にもかかわらずバイク話とかで、何人かの人たちとそれなりに打ち解けてきた。
そして午前零時ちょうどにそれはいきなり始まった。
昨日の酋長が出てきたと思ったら用意された壇上にあがり大声で怒鳴り始めたのだ。
「おまえらー、今から走るぞー。ルートはいつもどおりだ。自分やバイクがだめになったらとっとと離脱しろ。ついてこれるやつはついて来い。死にたくないなら信号無視だけはするな。以上!。」
宴はいきなり終わり、おのおのメットを手に自分のバイクに向かう。自分も遅れないようにと必死でついていくと、さっき話しした人が隣のバイクだったので、これ幸いとにとりあえず聞いてみる。
「いつもどおりってどこ行くんですか?」
「おたく、はじめてだっけ?。行く先はたぶん長野経由で新潟かな」
「え???、どっかに泊まるんですか?」
「ははは!、泊まらないよ。24時間の日帰りさ(笑)。とりあえず心細かったら、なんとか俺についてきな。でも、ペースはあわさないぜ。ところどころタバコ休憩するからその間に追いついて来い。」
「はい。がんばります。よろしくお願いします。」
その人のバイクはZ2だったが、見たことないマフラーやカウルがついていていかにも速そうだった。でも、このZ2なら大きくて重いから、自分のRZ250でついてけるはず。実際、箱根や道志道(当時は月夜野まで)で、この手の大型バイクに負けたことないし。
いっせいにエンジンがかかり深夜の街に爆音がとどろいた。もう、その辺の族なんて目じゃないほど。スタートは誘導灯を持ったスタッフがいて、その指示にしたがって4台づつ順序良く出て爆音とともにスタジアムの交差点に消えていく。
自分の番がやってきて、さっきのZ2の人と一緒に猛然とスタートした。そしてびっくりした。普通のZ2じゃない驚異的な速さで、あっというまに離されてしまう。
とにかく、その後のツーリングはすさまじいものだった。
午前零時すぎに出発したあと、高速を使わず裏道のような狭い道をあえて選んで箱根へ。深夜の旧街道を一気にかけのぼり乙女峠をこえて御殿場へ。御殿場から山中湖にぬけて河口湖から御坂峠をこえ甲府。
甲府から20号線をかけあがり、小淵沢から八ヶ岳有料道路にぬけて清里へ。清里から八千穂に抜けたら、そこから麦草峠にもどって白樺湖~大門街道~佐久~御代田。そこで昼食。
その後北軽井沢~万座~水上と進み下道で新潟へ。ここで夕食をとったあと関越道にのって、まっしぐらに爆走して翌日の午前零時ちょっと前にスタートした店の前に帰ってきた。
24時間で1000km以上。超えた峠は数知れず。
当然スタートしたときは40人以上いたメンバーも次々に脱落して最後にもどってきたときは半分をきっていた。速く着いた人たちは、2時間前だったという。
自分は最後までZ2の人になんとかついていったものの、どの峠道でも、どうにもならないぐらいに離された。軽量2サイクルの得意とするタイトコーナーの続く下りですら、コーナー二つで見えなくなった。あんなに重いZ2やその前を行くCB750K1、GX750がヒラヒラとタイトコーナーに消えていく姿は、あの教官とまったくおなじ。まさに人馬一体だった。この一日で自分のそこの浅いライディングは微塵に砕け散った。
なんとか帰り着いた店先でへばって座り込んでいると、くだんのZ2の人に声をかけられた。
「おう!、がんばったなー。初参加で完走とは見どころあるぜ。ま、峠はすげー遅くて笑っちゃったけどな(笑)。」
「すいません、峠で足手まといで。まったくついてけませんでした;;」
「まぁ、こけずについてこれたし、帰り道はマシに走ってたから良かったよ。俺程度の走りでも参考になったろ?」
「ラインとかは勉強させてもらいましたけど、でも自分はステップこすってぎりぎりなのに、同じコーナーを大きくて長いZ2で、バンク浅くステップもすらずに走れるのかが、わかりません」
「ははは(笑)。簡単さ、アクセルあけてるからだよ。お前は、コーナーでアクセル閉じて辛抱して回ってる。俺はコーナーでアクセルをあけて気持ちよく回ってる。アクセル開けるとさ、フロントフォークが伸びるから、バンクとステップに余裕が出るんだよ。」
「あれ以上アクセル開けたら曲がれませんよ。飛び出しちゃいます。ぎりぎりです。」
「以外と馬鹿だな、お前(苦笑)。大学いってんだからもうちょっと考えて乗れよ。左右の重心ばっかじゃなく前後の重心とか、バイクが自分で動きたがる方向とかさ。いろいろあるだろ?。そういうの考えて感じて走れよ。それからさ~、俺のはZ2じゃないよ。Z1だからね、パワーはあるけどZ2よりもっと重くて大きんだぜ(笑)」
Z1だったのか・・・そりゃついていけないわけだ。でも200kgを余裕で超えるあのマシンを自分より小柄な彼が、ああまでも軽々あつかえることが凄かった。
このチームでは、軽くて扱いやすいマシンで峠を速くはしれるなんてのは当たり前のことであって、いかに重くて大きなマシンと馬力を軽々と扱ってみせるかが騎手を超えた人馬一体の極意だった。とはいえ、Z1のライダーが話してくれた人馬一体のための合気道みたいな道理が、さっぱりわからないわけで、その会得の仕方から模索しないといけないと思った。
かくして、さらなる探求の道は続いていく。
※ この話は実際にあった話を元にしたフィクションです。登場する人物や団体については架空のものが含まれます。