
某SNSの日記にエントリーしてたんだけれど、あちらにいない人のために転載。向こうで読んだ人はスルーしてください。
最初に断っておくけれど自分は元Macユーザー(OS9どまり)であって、Appleエバンジェリストではなく、どちらかといえばここ数年はアンチにちかかったかもしれない(笑)。いずれにせよAppleマンセーな人ではないので誤解なきよう。
iPhoneが画期的なパラダイムシフトになるという意見にたいして懐疑的な声は結構多い。その主たる根拠はPCとモバイルの用途と利用者の違いが根拠だったりする。
たいがいの論調としてiPhoneはPCのダウンサイジングなのかモバイルのリッチプラットホームなのか?どこに位置するかいまいち不明瞭というのだけれど、そのプラットホームのカテゴライズそのものが大事な観点を見落としていると思う。
i-modeに始まった日本の携帯コンテンツビジネスの成功は、ともすればimodeという携帯でメール以上のコンテンツを閲覧できてしかも月額固定というわかりやすい課金スキームにあると思われているが、自分はそれは大いなる誤解だと思っている。
自分の思うimodeの成功の要因は、そのインターフェイスの秀逸さに尽きる。ファミコンやゲームウォッチでユーザーインターフェイスとしてエンドユーザーに広がった十字キーを携帯電話に取り付けて画面をスクロールさせるというアイディアが、上下方向に広がるコンテンツを生み出した。
過去を振り返ってみればわかるけれど、パラダイムシフトは常にインターフェイスから始まっている。
PCにおいていえばDOSベースのコマンドラインのCUIからウインドウベースのGUIに変わったとき。あれでPCで扱うソフトウエアが一気に広がりソフトウエア市場が形成され、そこにメールクライアントやWEBブラウザーという革命的ソフトウエアが生まれてコンテンツマーケットができた。
imodeも、まったく同じであのインターフェイス(i-modeブラウザ)が登場したことでコンテンツ市場は一気に開花したのだ。その後は、 Docomo以外の他社フォロワーが参入し、互いの競争のなかで技術の進歩の機能の追加や拡張、改善を繰り返して現状にいたっている。
しかしここにきて、あのi-mode型インターフェイスに限界が見え始めた。とくに携帯でFLASHを扱うようになったことで逆に限界が早く来てしまった。どうみてもPCのダウンサイズでしかない携帯版FLASHコンテンツは見劣りするし、PCのマウス操作によるインターフェイスを前提としたインタラクティビィティを十字キーで扱うのは厳しい。
当然、コンテンツ側もエンドユーザーもフラストレーションを感じていないといえば嘘になるわけで、結果としてワンセグや動画、音楽プレイヤーというi-mode型インターフェイスの制限をごまかせるコンテンツプラットホームを装備することになるのだけれど、やっぱり中途半端感は否めないし、動画みるのだってiPod のほうが使いやすいということに気付かされるだけだった。
で、iPhoneとiPodtouchの登場となる。
見ての通りこれらには十字キーはない。ボタンもない。アップル(いやスティーブジョブスだな)は初代iPodをリリースした時点から間違いなく十字キーとボタンを排除するインターフェイスを模索していたと思う。彼は、MacOSを85年に出したときにキーボードとアローキーを使わずに操作することを打ち出したわけで、パームデバイスでもペンや十字キーを使わないインターフェイスの確立を目指していても不思議はないからだ。
2001年にiPodがリリースされてから、インターフェイスは着実に進歩して本当にスクロールホイールだけで動画閲覧までのすべての作業が片手でできるようになった。この技術とMacOSXで培った伸縮自在のグラフィックインターフェイスを合体させた結果が iPhone&iPodtouchのインターフェイスだ。
このインターフェイスの秀逸さは、今までのGUIが所詮はシェル(デスクトップ)というビヘイビアのある空間の範囲で窓の位置と大きさを動かしており、モニターから見える視点はつねに一定だった。しかしiPodtouchのGUIは、窓を操作するのではなく、ユーザー視点がカメラアイとして機能する。
つまり85年のMacOSで世に出たデスクトップという概念はここできれいに消滅して、オブジェクトに対して自在に上下左右にカメラが動くという逆転の発想になった。それは夜空の星をみるのと同じで、遠い星も近い星もユーザーには関係なく、カメラの倍率の範囲で同じように見ることができる。
そうなると宇宙同様にオブジェクトの置かれたスペース(デスクトップ)の制限はなくなって、それを覗くカメラのレンズの大きさと倍率の制限だけになった。
しかも「カメラのレンズ=画面の大きさ」なのがこのインターフェイスの秀逸なところで、画面が大きなほうが便利だけれど、小さくても使いづらくはないし、目が悪い人もいい人も、同じインターフェイスで自在にあつかえるユニバーサルなインターフェイスなのも素晴らしい。
ここまでの事実をきちんと認識せずに、単にコンテンツとインフラだけでモバイルなのPCなのと論じることは、かつてMacOSが出てきたときにソフトウエアがGUIで動けばOSはCUIのほうが軽量でいいという議論と同じで残念ながら的外れだと私は思う。
iPhoneが携帯のパラダイムシフトになるかどうかではなく、このGUIがパラダイムシフトだということを関係各位は気づくべきだろう。
iPhoneは先兵でしかない。MacOSにこのインターフェイスがどういう形で昇華されるのか非常に興味深いけれど、Macをリリースするときに、すでに十分成功していたAppleII(と相棒のウォズ)をバッサリ切り捨てたJobsの所業を踏まえると、おそらく次のホワイトタイガーがMacOSXのラストではないかと私は感じている。
その次にくるものについては、きっとジョブスのイメージではすでに出来上がっており、そのためにインセンティブの利益をすててまでiPhone(とそのインターフェイス)の普及を図っているのではないだろうか。
孫さんは、新しいテクノロジーに対するリテラシーは非常に高いとおもわれ、おそらく自分と同じようにこのインターフェイスから得られる次世代エクスペリエンスをちゃんととらえたと思う。だからここで無理をしてもこのプラットホームに先のりしてiPhoneの次にくるだろう波でのイニシアティブをとるつもりに違いない。
アランケイのダイナブックは、iPodTouchやiPhone1stでも十分垣間見せられたけれど、より早い3G環境を与えられて一気に完成されると自分は思っている。それは子供のころテレビでみていたスタートレックでミスタースポックが手にしていたトライコーダーであり、それはもうすぐそこに来てると実感している。
自分が耄碌する前に、3度目のコンピューターインターフェイスのパラダイムシフト(パンチカード→CUI→GUI1.0→GUI2.0)が体験できることが何よりもうれしいね。
Posted at 2008/06/19 16:02:45 | |
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