
みなさんお久しぶりです。
Noritamaです。
このGWですが、
ちょっと2・3日、京都に行ってきました。
目的は観光です。
京都にいったのは10年ぶりくらいかな?
具体的には、数奇屋的な建築が見たくて。
金閣寺よりも銀閣寺を見に行く感じ?ですかね。
桂離宮とかみたかったんですけど、
事前予約が必要な上に、休日はそもそも見れないって事で、
事前の準備不足でした…。
旅は根無し草がいいけど、
旅行はプランニングも大事なのかも(笑)
色々な所を見ていく中で思ったことなんですが、
どの人も写真を撮ることに夢中なんですよね。
もちろん撮るに値するものだし、
気持ちもよく分かるんですが、
なんか違うのかな?って思いました。
写真を撮る事が主目的になってしまっていて、
その物自体だったり、
その場の雰囲気を味わおうとしていないのではないかと。
個人の自由ではあるんですが、
主従関係が逆転してしまっているような感じがしました。
あ、それから私最近、噂のiphoneを手に入れました。
先輩が使わないのを持っているというので、
格安で譲ってもらいました。
私事ながら最近引っ越したついでに、
インターネット会社を変えまして、
ルーターを持ち運べるかたちにしたんです。
(いわゆるイーモバとかそういうのです)
で、このiphoneを電話としてではなく、
wifi機としてipod touch的な使い方をしているんですが、
遅ればせながら、
この道具便利ですわ。
具体的にはGPSとネットとの連動のおかげで、
知らない観光地で直ぐに自分の居場所が分かりましたし、
これのアプリのおかげで、
色々なラーメン屋にもいけました。
まさに文明の利器であると感じましたし、
私は少し食わず嫌いだったのかもしれないと反省しました。
もちろん、物事は一長一短で、
これによって、道行く人に声をかける交流の機会が無くなるだとか、
道具に頼りきりになるだとか、負の側面もあると思います。
しかし、情報格差なんていったりしますけど、
これをうまく使うことで色々なものが節約できるなとは思いました。
今回の京都訪問は、行きは新幹線で、ビジホに連泊し、
帰りは深夜バスという流れでした。
深夜バスは私の地元でアレがあって色々アレですが。
今回もあちらにいながら、旅と旅行について考えていましたが、
やはり今回は旅行でした。(帰りの深夜バスは旅っぽかったけど。)
そして私がやりたいのはやはり旅みたいです。
今回の目的は該当建築物の見学なので、達成はしたのですが、
新幹線で目的地までワープして、現地には便利な観光バスが走っていてと、
快適ではあるのですが、何かに乗せられている感じがして、
DRIVEというよりDRIVENという感じがして、
少し味気ない感じがしました。
旅と旅行に違いは何なんでしょうかね?
その土地に主体的に自らを溶け込ませる行為が旅で、
現地に客人として迎えられるイメージが旅行だというのが持論ですが、
加えて、
旅には苦しみが必要なのかと思いました。
苦しみは縮んだバネのように、反動としての喜びも大きくなるんですが、
今回の”旅行”はあまり苦しみもしなかったので、
ゆえにこんな感じなのかなと思いました。
でも、やっぱり数奇屋建築は私の琴線に響きました。
大昔の建物なのに古臭いどころか、むしろ新しい感じすらしました。
良い本を読んでいると、昔に書かれたのに、
まるでイマを指摘しているような物に度々出会いますが、
この数奇屋建築からもそんな印象を受けました。
良い物は本質を捉えているから良い物で、ゆえに残るのですかね。
さてコーヒーでも飲みますかな。
ご覧いただきありがとうございました。
Posted at 2012/05/05 10:47:45 | |
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