スーパーおくやま 結崎店(ニチイ結崎店⇒結崎サティ)
投稿日 : 2015年02月06日
1
ローカルすぎるネタかもしれませんが,こちらも昭和のスーパーの一角なので…マイカル倒産〜イオン化の中で,近隣にジャスコスーパーセンター天理店(⇒イオンスーパーセンター⇒ザ・ビッグ エクストラ 天理店)が開店して,中途半端な規模の結崎サティは閉店となったのが2009年のこと…それからしばらくして,田原本の食品スーパーのおくやまが出店することになり,現在に至っています.
正直,この店がないと,結崎駅周辺の住民にとっては,食品・日用品を買うために,天理・田原本・郡山・西大和まで5km以上の移動をすることになり,道路が貧弱な奈良では片道30分はかかるし,増してクルマが使えない人は…といった状況でしたので,地元は大歓迎.実際,サティ時代には持て余していた2階は100円ショップとゲーセンだけとして,半分以上を閉鎖,さらに元々併設の商店街だったところは,駐車場の流出路とされて,狭い道路事情ながら,車での来店がしやすくなったりと,いいお店に生まれ変わりました.
2
こちらは結崎駅側の入口付近.サティ時代まではなかった,軒先も設けられて,雨風の時も入店しやすくなりました.広告塔はニチイ時代からのもの.鳩のマークのイメージ,まだまだ記憶に残っています.ダイルの柄も曲線を波模様にしたもの.幼児用自転車で,ここの駐輪場までオカンと一緒に来てたのも思い出します.
3
正面玄関.入口の自動ドアは更新されてしまいました.サティ時代までは自動ドアは1枚だけで,他は手押しの両側スイングドアでした.ニチイ時代はドアの取手に鳩マークがエッチングされていた記憶がありますが,サティになった時にピンク色の蓋をされてしまったような…
4
大店法の表示は駅側の入口の中にあります.ニチイ結崎店としては,昭和59年1月の開業…私が11ヶ月の頃で両親が家を建てている最中ぐらい.
この当時としては,画期的に広い駐車場を有するスーパーで,結崎駅の乗降客だけでなく,川西町・三宅町・天理市西部・郡山市南部・田原本町北部などから広く客を集めていたようです.当時の同様のクルマで来店しやすいスーパーは,田原本のジャスコぐらいしか競合店はなかったと思われます.
この広い駐車場は,溜池(出屋敷池だっけ?)を埋め立てて作られた土地で,駐車場の出入口は現在と違い,当時は,現在の京奈和道の場所からぐるっと回る経路で,駐車場の南西角から出入りする構造でした.これは,結崎駅側の歩行者の動線と,自動車の動線を明確に分けるためであったようで,一つの店舗で2種類の来客層を捉える作りでした.
実際,我が家も自転車で行くこともあれば,車で行くこともありましたが,ルートは全然違うものでした.
5
この建物の内部の特徴は,天井板が無いことでしょうね.ニチイ・サティの当時と比べると,照明や空調は更新されているようですが,向き出し天井は今と同じでした.
6
エスカレーターはニチイ・サティ時代から継続の東芝製.天井も,当時からこんなんだったと思います.サティ時代は,サティのエスカレータのポポポポポポンポポポポポポポポンのメロディーがずっと流れてました.
エスカレータの1階横には青いオッサンのポップコーンの自販機があって,こいつもずっと『ポッコーン』と言い続けていました.この音が聞こえる所でバイトしてたこともあるので,耳にこびりついていますw
7
店内を見ていると,元々商店街のアーケード(今は駐車場の出口側道路になっている場所)との連絡口だった扉が,サティ時代のままで閉鎖されていました.このドアの取手ですよ!このピンク色の裏側には,銅板にエッチングされたニチイの鳩さんが多分隠れているはず…
ということで,私の幼少〜学生時代のバイトまで含めた思い出深い店舗のご紹介でした.
タグ
関連コンテンツ( 結崎 の関連コンテンツ )
関連リンク
おすすめアイテム
[PR]Yahoo!ショッピング