
2011年3月11日に発生した東日本大震災…。
まずはこの震災によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
あれから4年が経ちました。
正直に言いますと、ずっと自分の中ではこの震災は“対岸の火事”でした。
日本中を文字通り震撼させた話題ではありますが、神奈川から400km近く北の話…。
神奈川でこの震災が原因で苦労したのはガソリンスタンド渋滞や計画停電、買いだめくらい。
それらの問題が1,2か月で解消した後は、自分の中では『あの震災は過去の物』となっていた気がします。ニュースなんかが復興に関する話題をしても『ふーん…それで?』みたいな…。
そして今…
その被災地にほど近い宮城県で生活しています。
仙台の中心部以西は震災の爪跡をほとんど感じることはないのですが、沿岸部を走ると嫌でも今なお残る…というより、【何も残ってない】という津波の爪跡が“残って”います。
上の画像は私の通勤ルート(閖上付近)なのですが、右側の林の先がすぐ海に面しており、2006年製のナビによると林の手前にはクリーンセンターや公園のようなものがあるはずでしたがすべて確認することはできません。津波により流失したか破壊されたと考えられます。
この道路は沿岸沿いをしばらく走る道路なのですが右側はずっとこんな感じで、震災後建てられたと思われる新しめの戸建がわずかに存在している程度です。
こういう姿を見るとやはり痛々しいですね。
ただ逆に言うと【何も残っていない、ということが津波の爪跡】と分かるくらい、道路を激しく傷ませてでも大型ダンプが1日に何百台も往来して急ピッチで復興が進められている、というのが現状です。
私は実際には現地で被災したわけではないので、震災直後にどんなに辛く苦しい生活を強いられたかは想像ができませんし、当然体験談を人に語り継ぐこともできません。
形が県民になった、というだけでは被災者ヅラはできません。
そんな私ができることは
『震災は過去の物とは思っても、無関心にはならない』こと。
一言で言えば『自分の中で風化させない』ということです。
明日は被災地に限らず、被災地から遠く離れた場所でも黙祷の実施を求められることでしょう。
故人の関係者にしてみればかなり意味深な行為である黙祷ですが、故人に関係者がいない場合、特に『震災は対岸の火事』と思っている人々からすると、自分にとっては不必要な黙祷を社会的に求められる理由が分からず、行為自体が偽善的だと捉える場合があるようです。
その考え方が合ってるとか間違ってるとかいう点は別として…
そんな方も黙祷はせずとも『今日の数年前、東北の方で大きな地震あったんだっけ…』くらいの関心は持つことをお勧めします。(社会的にそれで通用するなら…ですけどね(笑))。
Posted at 2015/03/11 00:17:27 | |
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