今日は、ハワイ真珠湾攻撃から73年を迎えます・・・
何か関連したことを記したくてブログにしました。
下記はウェキペディアの「佐世保市」の抜粋になります。
1883年に東郷平八郎少佐が海軍軍艦「第二丁卯」に測量団を乗せて訪れ、天然の良港として軍港を設置して以来、戦時中は軍港として重要な拠点であった。
やつでの葉のような形状と佐世保の文字から古くは「葉港」と呼ばれた(サセボのサが草冠、佐世保の世、木という漢字をくずしてホ、三つを組み合わせて葉になることから)。第二次世界大戦後は陸上自衛隊、海上自衛隊の各教育隊や米軍基地が置かれた。
現在でも佐世保港には自衛隊の護衛艦、米軍の艦船が見られ、街では外国人及び制服姿の自衛官を多く見かける。
明治時代に、佐世保鎮守府が築かれ、海軍の街として栄えた佐世保だけに、海軍や関連産業に関与した近代化遺産が多数存在する。
水道施設では、江戸時代の溜池を改修した岡本貯水池と水道管の減圧井、市内初のアースダム山の田水源地と浄水場、米軍捕虜を動員して改修させた相当ダムなどがある。
港湾施設では、平瀬地区・立神地区や干尽地区に散在する煉瓦造建築物が、現在も米軍・自衛隊・民間倉庫業者などの手によって維持管理・運営されている。
海軍針尾送信所、高後崎・牽牛崎など沿岸部に設置された陸軍重砲兵連隊の佐世保要塞砲台跡、弓張岳・烏帽子岳など周辺の山頂に設置された海軍高角砲砲台跡など、放棄された戦跡もいくつか現存する。
旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館や水交社、旧佐世保橋欄干など、海軍ゆかりの建築物は数多い。
世知原地区は炭鉱で栄えたため、煉瓦積み洋館の旧松浦炭坑事務所や、石炭を運ぶ馬車・牛車のために佐々川及びその支流等に多数設置された石積みアーチ橋が今も多く残されている。
黒島天主堂は信仰の島、黒島のシンボルでもある。2007年1月に長崎の教会群とキリスト教関連遺産の一つとして世界遺産暫定リストへの追加が決定した。
以上、ウェキペディアの「佐世保市」の抜粋より・・・
今回は、オレンジにシテル?部分をアップしています。
なんせ、隙間時間を使用しての取材にてなかなか進みません。(苦)
とっておきの一枚・・・
『無窮洞(むきゅうどう)』とは、第二次世界大戦のさなか(1943年)、当時の宮村国民学校の教師と小学生たちが掘った巨大な防空壕のことです。中は幅約5m、奥行き約20m、生徒500人が避難できたというほどの大きさ。避難中でも授業や生活ができるように、教壇まで備えた教室をはじめ、トイレや炊事場、食料倉庫、さらには天皇の写真を奉ずる御真影部屋まで設けてあり、戦時下の時代背景を知ることが出来ます。
当時4年生以上の児童がツルハシで堀り進み、女子生徒がノミで仕上げたといわれ、工事は昭和18年8月~終戦の昭和20年8月15日まで続けられたそうです。
天井は小学生の手によるものとは思えないほど、美しいアーチを描き、平和の祈りが聞こえてきそうな趣きの『無窮洞』。市街地からは少し離れますが、ぜひお立ち寄りになって中をご見学ください。
駐車場も完成したので、マイカーや大型車両での乗り入れも可能です。
[見学のお問い合わせ]
時間 9:00 ~16:30
宮地区公民館 TEL0956-59-2676
「無窮洞」詰所 TEL0956-59-2003
※バスでお越しの場合は、事前にご予約をお願いします。
佐世保コンベンション協会より
参考記事
関連ブログ
たくさんの画像を見たい方ようギャラリー専用サイト
このようなタイトルなんですが!
車ねたではありません・・・
そう、最近ブログカテゴリーに追加された「近代化遺産」シリーズ・・・
えぇ・・そんなもん違うブログで書いたらええねん・・・
と聞こえてきそうですが・・(笑)
だって年を重ねるごとに趣味趣向が変わってくるねんなぁ・・・
みんカラを始めた時からすると・・
なにかと忙しくなっている今日この頃・・・
週1回ブログを目標にやっているのですが~
これは書いておこうと思いました。
実際「近代化遺産」シリーズは、ある程度取材が終了した項目のアップを目標とシテル?のですが!
そうしたら、間に合わないことが新聞で分かりました。
下記はウェキペディアの「佐世保市」の抜粋になります。
1883年に東郷平八郎少佐が海軍軍艦「第二丁卯」に測量団を乗せて訪れ、天然の良港として軍港を設置して以来、戦時中は軍港として重要な拠点であった。
やつでの葉のような形状と佐世保の文字から古くは「葉港」と呼ばれた(サセボのサが草冠、佐世保の世、木という漢字をくずしてホ、三つを組み合わせて葉になることから)。第二次世界大戦後は陸上自衛隊、海上自衛隊の各教育隊や米軍基地が置かれた。
現在でも佐世保港には自衛隊の護衛艦、米軍の艦船が見られ、街では外国人及び制服姿の自衛官を多く見かける。
明治時代に、佐世保鎮守府が築かれ、海軍の街として栄えた佐世保だけに、海軍や関連産業に関与した近代化遺産が多数存在する。
水道施設では、江戸時代の溜池を改修した岡本貯水池と水道管の減圧井、市内初のアースダム山の田水源地と浄水場、米軍捕虜を動員して改修させた相当ダムなどがある。
港湾施設では、平瀬地区・立神地区や干尽地区に散在する煉瓦造建築物が、現在も米軍・自衛隊・民間倉庫業者などの手によって維持管理・運営されている。
海軍針尾送信所、高後崎・牽牛崎など沿岸部に設置された陸軍重砲兵連隊の佐世保要塞砲台跡、弓張岳・烏帽子岳など周辺の山頂に設置された海軍高角砲砲台跡など、放棄された戦跡もいくつか現存する。
旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館や水交社、旧佐世保橋欄干など、海軍ゆかりの建築物は数多い。
早岐駅は県内の鉄道としては最初に九州鉄道の終点駅として開業し、その後も佐世保線と長崎本線(のち大村線)の分岐駅として重要視された。構内には開業当時から伝わる駅舎や、機関区で使われた煉瓦積み給水塔、転車台などが残っている。
世知原地区は炭鉱で栄えたため、煉瓦積み洋館の旧松浦炭坑事務所や、石炭を運ぶ馬車・牛車のために佐々川及びその支流等に多数設置された石積みアーチ橋が今も多く残されている。
黒島天主堂は信仰の島、黒島のシンボルでもある。2007年1月に長崎の教会群とキリスト教関連遺産の一つとして世界遺産暫定リストへの追加が決定した。
以上、ウェキペディアの「佐世保市」の抜粋より・・・
西日本新聞の朝刊によると!
長崎県佐世保市早岐町に存在する「早岐駅」が!
「なに! 早岐駅が解体・・・ シャアが見てるんだぞ~」(笑)
来年3月までに解体されると書いてあります。 あぁ~あ^_^;
1897年(明治30)開業当時の状態で残っていた貴重な駅でしたが、残念ですね~
見ておきたい方は今がチャンスです。
と言うことで~
いつものように、とっておきの一枚・・・
2014年4月6日撮影!貴重な写真
もっと大きな画像をみたい!
もっとたくさんの画像をみたい方は!
「ヤスシモデナノ近代化」ギャラリーをご参照下さい。 <(_ _)>
年を重ねるごとに~
こう言うのが~
きになる~ね!(*^^)v
最近シリーズ化され、ドキュメンタリー映画のオファーを受けている「近代化遺産」!←うそうそ(笑)
今回3回目のブログアップになるタイトルが川棚町・・・
長崎県のお住まいの方ならよくご存知なんでしょうが!
日本は広い・・
世界は広い・・
と言うこうとで川棚町ってどんなとこ?
川棚町(かわたなちょう, Kawatana Town)は、長崎県中央部にある町。東彼杵郡に属する。
一農漁村としての歴史を歩んでいるが、第二次世界大戦中は川棚海軍工廠が建設され、一時的に人口が急増した。魚雷試験場や特攻隊の訓練施設などもあったことから、現在でも海軍工廠・海軍に関する遺跡や記念碑などが存在する。臨海部の海軍工廠跡地は大手企業の工場が複数誘致されている。
東彼杵郡(ひがしそのぎぐん)は大村湾の東側に位置する長崎県の郡である。
人口37,579人、面積167.48km²、人口密度224人/km²。(2014年4月1日、推計人口)
かつては大村に郡役所が置かれ、佐世保から大村までが郡域であったが、現在では以下の3町が属している。
自然・景色
温泉、宿泊
川棚大崎温泉しおさいの湯
国民宿舎 くじゃく荘
海水浴場
大崎海水浴場
戦争遺跡
ウィキぺディアより本日9月1日は「防災の日」です。
世界的に見たら・・・1939年9月1日 第二次世界大戦始まる、ドイツが空や陸からポーランドを急襲した日です。
この町も佐世保同様、海軍工廠の建設で成長した町なので遺跡が沢山あります。
ウィキぺディアに掲載されている「戦争遺跡」四箇所は取材済み!
ある程度の場所が揃ったので公開に踏み切りました。
とっておきの一枚・・・
魚雷発射試験場跡になります。
ここは、いつ行っても人が多いですね!
外国人の方や、学生、女性モデルを使用した撮影etc・・・
背景がイイんでしょうね~
私が行った時もあちゃこちゃで撮影をしており、撮影しにくかったな!
車ねたではなく大変申し訳ありません。。。<(_ _)>
前回同様みんカラのギャラリーと!
近代化遺産専用ギャラリーに画像をアップしています。
8月に入り、お盆も近くなっていますが・・・
この時期は、戦争もの新聞コラムやTVが多くなります。
明治維新後、近代化の道を進んでいった日本・・・
その発展の中に佐世保も含まれてました。
前回アップした近代化遺産シリーズ「佐世保要塞」の第二弾となります。
下記はウェキペディアの「佐世保市」の抜粋になります。
1883年に東郷平八郎少佐が海軍軍艦「第二丁卯」に測量団を乗せて訪れ、天然の良港として軍港を設置して以来、戦時中は軍港として重要な拠点であった。
やつでの葉のような形状と佐世保の文字から古くは「葉港」と呼ばれた(サセボのサが草冠、佐世保の世、木という漢字をくずしてホ、三つを組み合わせて葉になることから)。第二次世界大戦後は陸上自衛隊、海上自衛隊の各教育隊や米軍基地が置かれた。
現在でも佐世保港には自衛隊の護衛艦、米軍の艦船が見られ、街では外国人及び制服姿の自衛官を多く見かける。
明治時代に、佐世保鎮守府が築かれ、海軍の街として栄えた佐世保だけに、海軍や関連産業に関与した近代化遺産が多数存在する。
水道施設では、江戸時代の溜池を改修した岡本貯水池と水道管の減圧井、市内初のアースダム山の田水源地と浄水場、米軍捕虜を動員して改修させた相当ダムなどがある。
港湾施設では、平瀬地区・立神地区や干尽地区に散在する煉瓦造建築物が、現在も米軍・自衛隊・民間倉庫業者などの手によって維持管理・運営されている。
海軍針尾送信所、高後崎・牽牛崎など沿岸部に設置された陸軍重砲兵連隊の佐世保要塞砲台跡、弓張岳・烏帽子岳など周辺の山頂に設置された海軍高角砲砲台跡など、放棄された戦跡もいくつか現存する。
旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館や水交社、旧佐世保橋欄干など、海軍ゆかりの建築物は数多い。
早岐駅は県内の鉄道としては最初に九州鉄道の終点駅として開業し、その後も佐世保線と長崎本線(のち大村線)の分岐駅として重要視された。構内には開業当時から伝わる駅舎や、機関区で使われた煉瓦積み給水塔、転車台などが残っている。
世知原地区は炭鉱で栄えたため、煉瓦積み洋館の旧松浦炭坑事務所や、石炭を運ぶ馬車・牛車のために佐々川及びその支流等に多数設置された石積みアーチ橋が今も多く残されている。
黒島天主堂は信仰の島、黒島のシンボルでもある。2007年1月に長崎の教会群とキリスト教関連遺産の一つとして世界遺産暫定リストへの追加が決定した。
以上、ウェキペディアの「佐世保市」の抜粋より・・・
今回第二弾のテーマは水道です。
海軍の港として栄えた佐世保の人口は!
1889年(明治22年)の人口が約6,000人
2014年(平成26年)が約260,000人なので急激に人口が増えていったのがわかります。
その飲料水を支えた水道施設の紹介になります。
子育て世代をしている忙しい身でありながら~
貴重な隙間時間を絞り出し、取材活動に励んでおりました。
なんせ私は、こういうのが大好きなので~(笑)
前回同様みんカラのギャラリーと・・
近代化遺産専用ギャラリーに画像をアップしています。
かなりマニアックな画像なので~
あくまでも~
興味のある方は覘いてみて下さい。
それでは~とっておきの一枚・・・
当時の日本海軍が1899年(明治32年)に造りました。
115年前と言うことですね!
佐世保と言う所は、歴史を感じる所が~
たくさ~ん
あります!
まだまだ取材は~続いておりま~す!
と・・
今回はこれで終われません・・
佐世保と言うキーワードは事件でいろいろとお騒がわせしております。
昔、悲惨な戦争で死にたくなくても、命令や作戦で死んでいった方々達のことを考えますと・・
もっと命を大切にしてほしいと思います。
そうしないと、死んでいった方々が浮かばれません。
そういう方々のお陰で、今の日本があると言うことを忘れないでほしいと思います。<m(__)m>皆様、ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたでしょうか?
モデナ家の場合は5歳の女の子が満足しないといけません。
何処なら満足するって~ それは公園なのです。。。
次女は公園が大好きなのです。
以前は長男&長女を連れていったなぁ~
嫁さん&モデナはドライブ大好き!
なので今回は、「イイ景色ドライブ+公園」をコンセプトにセレクトしました。
5月3日冷水岳+公園
5月4日生月町+公園
5月5日大島&崎戸町+公園
5月6日鷹島町+公園
と連休はこんな感じでした。
とここでブログは終わりません。
と今回のブログタイトルに続きますが!
そう、私は佐世保生まれの佐世保育ち。
物心ついた時から街にはアメリカ人が普通にいて、お店ではアメリカドルでの支払いが可能だったり、マクドナルドより「佐世保バーガー」と言うお店の数が多かったり、軍関係の制服を着た人が普通にいて、車輌のナンバープレートも、ひらがなではなくアルファベットのYがついている車輌がいたり、造船所や岸壁がある関係で、民間船や軍関係の船が沢山停泊してます。
社会に出てからは県外でしたが!
最後は、福岡に10年住んで~
長男が小学校に上がると同時に佐世保へ帰ってきました。
帰って来て、13年経っていることになりますね!
人生って早いですね~
他の町で生活してみてわかったことは・・・
佐世保と言う所は非常に変わった町だと言うことに気づかされました。
下記はウェキペディアの「佐世保市」の抜粋になります。
1883年に東郷平八郎少佐が海軍軍艦「第二丁卯」に測量団を乗せて訪れ、天然の良港として軍港を設置して以来、戦時中は軍港として重要な拠点であった。やつでの葉のような形状と佐世保の文字から古くは「葉港」と呼ばれた(サセボのサが草冠、佐世保の世、木という漢字をくずしてホ、三つを組み合わせて葉になることから)。第二次世界大戦後は陸上自衛隊、海上自衛隊の各教育隊や米軍基地が置かれた。現在でも佐世保港には自衛隊の護衛艦、米軍の艦船が見られ、街では外国人及び制服姿の自衛官を多く見かける。
明治時代に、佐世保鎮守府が築かれ、海軍の街として栄えた佐世保だけに、海軍や関連産業に関与した近代化遺産が多数存在する。
水道施設では、江戸時代の溜池を改修した岡本貯水池と水道管の減圧井、市内初のアースダム山の田水源地と浄水場、米軍捕虜を動員して改修させた相当ダムなどがある。
港湾施設では、平瀬地区・立神地区や干尽地区に散在する煉瓦造建築物が、現在も米軍・自衛隊・民間倉庫業者などの手によって維持管理・運営されている。
海軍針尾送信所、高後崎・牽牛崎など沿岸部に設置された陸軍重砲兵連隊の佐世保要塞砲台跡、弓張岳・烏帽子岳など周辺の山頂に設置された海軍高角砲砲台跡など、放棄された戦跡もいくつか現存する。
旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館や水交社、旧佐世保橋欄干など、海軍ゆかりの建築物は数多い。
早岐駅は県内の鉄道としては最初に九州鉄道の終点駅として開業し、その後も佐世保線と長崎本線(のち大村線)の分岐駅として重要視された。構内には開業当時から伝わる駅舎や、機関区で使われた煉瓦積み給水塔、転車台などが残っている。
世知原地区は炭鉱で栄えたため、煉瓦積み洋館の旧松浦炭坑事務所や、石炭を運ぶ馬車・牛車のために佐々川及びその支流等に多数設置された石積みアーチ橋が今も多く残されている。
黒島天主堂は信仰の島、黒島のシンボルでもある。2007年1月に長崎の教会群とキリスト教関連遺産の一つとして世界遺産暫定リストへの追加が決定した。
以上、ウェキペディアの「佐世保市」の抜粋より・・・
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
モデナノヤスシプロフィールにも上げさせて頂いてますが!
「映画 第一次~第二次大戦ものを好みます!」とか。
「歴史 史跡 遺跡 近代化遺産 お城 めぐり!」
と書いているように、「明治~1945」の歴史に興味があります。
戦争が好きとかではなく、なぜ?世界であのような悲惨なことがおきたのか?
を知りたくて、映画&TVや書物で日々勉強しております。←勉強は大げさですね!(笑)
別に教授になるわけではないのですが。。。(笑)(笑)(笑)
ライフワークと言うことデスね!
又いつものように~ ごちゃごちゃ言ってますが~
ここから今回わざわざブログカテゴリーの
「近代化遺産」を作り・・・シリーズ化を狙っているのは~
↑ウェキペディアの説明に書いてあるように~
日本では珍しい「近代化遺産」が佐世保には沢山残されてあります。
実は、昨年の6月くらいから今年の3月くらいまで「モデナミクス三本の矢」で忙しくして「ブログ&交流停止」をしていましたが。
いくら忙しくても、その隙間をぬっては~
カメラ持参で~ カシャ・・カシャ・・・ と地道に取材活動を行っていたのでありました。
それでもって輝かしい「近代化遺産」シリーズ第一回目の登場は!
「佐世保要塞」・・・
ここからはウェキペディアの説明になります。
佐世保要塞(させぼようさい)とは、佐世保軍港の防備のため設置された大日本帝国陸軍の要塞である。
1891年(明治24年)から佐世保軍港の防禦計画の検討が始められた。1893年(明治26年)2月に防禦計画が決定されたが、日清戦争開戦のため工事が開始されたのは1897年になってからである。
砲台建設は、1897年(明治30年)9月、高後崎砲台・面高堡塁から開始され、1901年(明治34年)11月までに当初計画したすべての砲台が竣工した。
1934年(昭和9年)に江の島砲台が着工された。1936年(昭和11年)8月、長崎要塞に合併された。
1897年(明治30年)9月 高後崎砲台・面高堡塁着工
10月 石原岳堡塁着工
1898年(明治31年)6月 小首堡塁着工
11月 丸出山堡塁着工
12月 高後崎砲台竣工
1899年(明治32年)7月 牽牛崎堡塁着工
11月9日 - 佐世保要塞砲兵連隊が東彼杵郡佐世保村の新築兵営に移転[1]。
12月 石原岳堡塁竣工
1900年(明治33年)4月 前岳堡塁着工・佐世保要塞司令部設置
6月1日 佐世保要塞司令部が東彼杵郡佐世保村に開庁[2]。
8月7日 佐世保要塞司令部が佐世保村字小佐世保の新築庁舎に移転[3]。
8月 面高堡塁竣工
9月 小首堡塁竣工 佐世保軍港防備のため、1900年(明治33年)に完成した陸軍砲台。大規模な遺講が良好に残る。
1901年(明治34年)9月 牽牛崎堡塁竣工
11月 丸出山堡塁佐世保軍港防備のため、1901年(明治34年)に完成した陸軍砲台。全国に珍しい観測所が残る。・前岳堡塁竣工
1934年(昭和9年) 江の島砲台着工
1936年(昭和11年) 江の島砲台竣工
8月1日 長崎要塞に合併。
主要な施設[編集]
面高堡塁
石原岳堡塁
江の島砲台
以上ウェキペディアの説明となりますが。
現在佐世保市に含まれているのは、「前岳~高後崎砲台」の5つまでとなります。
残りの3つは佐世保市の南側に位置する西海市となります。
今回シリーズ1回目は私の住む町にスポットを当てて紹介しておきます。
画像を見てみたい方は、それぞれのリンク先よりギャラリーへお進み下さい。
あえて整備手帳へ画像をアップしてギャラリー化しております。
これだとリンクや動画が貼れますからね~
さらに画像を見たい方用に近代遺産ギャラリー専用ウェブサイト(modenanoyasushi)を作ってしまいました。(笑)(笑)(笑)
ここなら沢山画像は閲覧出来るようにしてあります。
とっておきの画像を一枚・・・
ザクとは違うのだよ ザクとは・・・
と聞こえてきそうですが!
ザクヘッドもこれがイメージだったりして!(*^^)v
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