本日は朝一番のJAL機で予定通り長崎入りしております。
天気は快晴!旅行日和です。
今回はレンタカーは借りず、全て公共交通機関利用です。(私にしては珍しく。)
まぁ、街メインなので車はかえって邪魔かも。。。
嫁チビは実家に帰省中です。(ごめんね。ちゃんとおみやげ買ってくから。(笑))
長崎空港には予定通り9:40に到着。
空港から市街地までは連絡バスで移動します。港のある大波止まで45分ぐらいでした。
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10:40ぐらいに長崎の市街地に入りましたが、メインイベントの軍艦島上陸ツアーまで時間があるた
め、長崎港周辺をうろうろします。さすが造船の街。大型船をたくさん見ることができます。
赤い船は建造中の自動車運搬船。5万トンはありそう。
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隣のドックでは海上自衛隊の誇る最新鋭イージス護衛艦が入院中。
176は鳥海だそうです。日本に6隻しかない貴重な船です。
ちなみにここで、大和型戦艦2番艦の武蔵が建造されました。
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朝ご飯は6時前だったので11時過ぎに昼食にします。
出島ワーフにある西洋亭で長崎B級グルメのトルコライスをグルメします。
とんかつ、ピラフ、スパゲッティの3点盛り。根室のエスカロップに似てますね。
カツもサクサクで最高でした。
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まだ時間があるので腹ごなしに散策します。有名なオランダ坂。
聞くところによると、札幌時計台、高知はりまや橋とならぶ日本3大がっかりスポットに挙げられる
そうです。確かにかなり短かったです。でも雰囲気は良いと思うけど。
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唐人街を経て13:10発の軍艦島ツアーに参加するため、長崎港に戻ります。
手前が今回お世話になる船です。
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さて、フェリーターミナルで受付、誓約書を提出して乗船します。
軍艦島上陸は危険を伴うため、誓約書を書かないと上陸させてもらえません。
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長崎港を出航し、伊王島大橋の下をくぐって外海に出ます。
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視界良好、たくさんの島が見えました。そこかしこに造船所があります。
そして、伊王島、高島を過ぎ、長崎港を出航してから約50分で軍艦島に到着します。
軍艦島というのは通称で、正式には端島といいます。
言わずと知れた炭鉱の島です。昭和49年に廃鉱になってから37年たってます。
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ドルフィン桟橋と呼ばれる桟橋に着岸し、いよいよ上陸♪この瞬間がたまりません。
ちなみに上陸できる条件(視界、波、風)は非常に厳しく、可能なのは年間120日ぐらいだそうです。
確率は約1/3です。出航できても上陸できないことも多々あるそうです。
今日は最高の上陸日和とのことでした。日頃の行いが良いせい!?(^^;
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いよいよ軍艦島の中に入ります。
見学広場は3箇所あり、それぞれで係員(実際に端島で働いていた人)の説明があります。
この日はツアーを2チームに分けて進みました。
ツアー参加者は平日にもかかわらず100名以上と盛況でした。
まずは第1見学広場。左の橋脚は石炭を運ぶコンベア跡です。
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高台に建つのは幹部住宅。この建物だけ全部屋トイレ風呂付。
ちなみに岩手の松尾鉱山もそうだったかと思いますが、ここも当時の最先端の設備を誇りました。
昭和30年台に東京をはるかに上回るテレビ普及率だったそうです。
電気は自家発電のほか、隣の高島から海底ケーブルで引いていたそうです。大正時代にね。
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正面の7階建の白い建物は端島小中学校。4階まで小学校。5階以上は中学校。
給食運搬用のエレベータも完備され、最先端を行く小中一貫校だったそうです。
かの三菱ですからねぇ。お金はふんだんにあったでしょうね。
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続いて第2見学広場。左のレンガの建物は総合事務所跡です。
高台にある建物は給水塔だそうです。孤島のため真水は貴重です。
電気分解で作られたほか、人口が多くなると対岸から6.5kmの海底給水管を引いたそうです。
凄い。。。ほんと最先端を行ってた島なんですねぇ。
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最後に第3見学広場。右側は公衆浴場です。北海道の炭鉱跡地でも風呂は良く見かけました。
コンクリなので残りやすい遺構ですね。
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ここでの一番の見所は右の30号アパートです。
大正5年建築。日本最古の鉄筋コンクリート造の高層アパート(7階建て)です。
100年近くたっても現存しています。1階に郵便局や理髪店があったそうです。
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上陸時間は1時間弱でしたが最高に楽しめました。上陸中は日差しが強く、かなり暑かったです。
広場には屋根付きのベンチもありますが、炎天下はけっこう堪えます。
でもそれを忘れるほどの素晴らしさです。
写真の左の入口から入島します。普段は厳重に鍵がかかってます。
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1日かけて隅から隅まで探索したい。。。
そんなツアーがあったら3万ぐらいでも参加しますよ。マジで。。。
さて、名残惜しいですが軍艦島を後にします。
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ぐるりと回ります。ちなみに軍艦島は最盛期は5,000人が生活してました。
わずか480m×160mの島に5,000人です。人口密度は東京の9倍あったそうです。
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帰り際、島を1周してくれます。西側はビルが立ち並び、さながら要塞の様相です。
上陸見学できるのは島の南側のみ。主に炭鉱の作業場があった部分です。
島の北側の居住区は入れないため、この様に海から眺めるだけです。
整然と立ち並ぶ高層アパート群。海沿いの建物は防波堤もかねているそうです。
(よって海側は廊下になっている構造です。)
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ちなみに軍艦島という通称は、大正時代に長崎で建造された旧海軍の戦艦土佐に形が似ている
からそう呼ばれるようになったそうです。戦艦土佐自体はワシントン軍縮条約により破棄が決まり、
建造途中で房総沖で魚雷処分されたそうです。勿体無い。。。
同型艦の加賀は空母に改造されました。
どうでしょう?この角度、軍艦に見えますか?
太平洋戦争中、米軍の潜水艦が本当に戦艦だと思い、誤って魚雷を打ち込んだという逸話もある
そうです。
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そんなこんなで長崎港に戻り、上陸証明書をもらいます。
軍艦島ツアー。こんなに楽しかったツアーは久々かも。
3年前に行ったのエジプトのピラミッド並みに興奮しました。
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その後、路面電車で平和公園に行ってみました。
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原爆資料館です。やはりここは行くべきだと思っていました。
特にいまは原発の問題もありますから。。。
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目を背けたくなるような写真がたくさん展示されています。
特に赤ん坊の写真は。。。1歳の娘が居る自分としては直視出来ませんでした。
本当に涙が出てきます。これはひしゃげた鉄柱です。
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長崎に投下されたプルトニウム型原爆(ファットマン)の実物大模型です。
これ1つで8万人の命が一瞬で奪われました。これは人間の出来る仕業ではないです。
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平和記念像です。
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さて、新地に戻り、夕飯とします。やはり中華街ですかね。横浜に比べると大分小さいです。
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皿うどん。長崎は太麺と細麺を選べるんですね。珍しいので太麺にしてみました。
魚介のエキスがたっぷり染み込んでいて最高でした!
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出島。いまは周りを埋め立てられてしまい、かつての突き出した様子は見る影もありません。
どことなく小樽運河に似てる。。。
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今日は市内のホテルに宿泊します。明日も軍艦島上陸考えてます。
今日は写真とビデオばかり撮っていたので、明日はじっくり見ようかと。(^^;
せっかくなので別の業者にしてみようかな。
というわけで長崎の夜は更けていく。。。