
今日の現場は、埼玉県の所沢だった。小生は 千葉県の北西部に住んでいるので、朝 行く時は外環で行った。ドンガメ号は3t車なので中型車の均一料金の600円払った。関越に乗れば早いがそんなに仕事も忙しくないので、和光で降りて川越街道で現場に行った。昼ごろから雨が降り出したので 夕方4時に現場を出て帰ることにした。帰りは 経費節約で 浦所(浦和所沢)バイパスと463号で埼玉スタジアムのそばを通って帰ることにした。帰りのトラックで 小生の助手をしている18歳の青少年に「鈴木亜久里の浦所バイパスの話」を知っているかと聞いたら そんな人は知らないと言われた。ウーン 鈴木亜久里でさえも青少年にとっては 遠い存在になってしまったみたいだ。
小生も何故か 昼間は 「オヤカタ」と青少年に呼ばれているので 青少年に安全運転をしてもらうため? 鈴木亜久里は若い頃 この浦所バイパスでレビンだかトレノに乗って飛ばしていたら(150km以上?) 前方にトレーラーがUターンしているのが見えたが 止まれなくて トレーラーの下をくぐって クルマの屋根がなくなったそうだと説明した。その屋根のないクルマをみた野次馬は皆 運転手は死んだと思ったらしいが、鈴木亜久里は無傷だったそうだ。だが 大型トラックなら亜久里は死んでいたんじゃないだろうかと 青少年に話した。 この前 常磐道で18*km出したと話した青少年は これで 少しはわかってくれただろうかな・・・。自分のことは棚に上げて 若者の心配をする青中年だが・・・。
ウーン 小生からみたら若いと思う鈴木亜久里も知らない世代があるみたいだ。すごく世代の差を非常に感じてしまった。
青中年にとって 思い出に残るレーサーといえば 福沢幸夫なのだが(夜のヒットスタジオ?で小川知子が泣きながら歌った「初恋の人」を 今でも覚えている・・・)でも間違っても 青少年はこの話を知らないだろうなと思った。この話を覚えているのは ミンカラの皆さんの中では papaさんとヤマンボさんしかいないのだろうか?
昔のトヨタ7とか R380シリーズは 今のF1の何倍も何倍も夢があったような気がするのは 青中年だけなのだろうか?
PS.ヤマンボさん 「幸夫」という字は 間違っていないだろうか?
PS2.写真は浦所バイパスの所沢市街に近いところです。
ブログ一覧 | 日記
Posted at
2005/03/23 22:08:36