
昨日の夜に、兄とメールしている間にこんな話題が出ました。
以下、「>」が兄からで、「<」は私が送った内容です。
>
さあ。しかしJR西日本は西日本人民鉄道公司に改名すべきだな。毛沢東時代の中共並みの社会だ。
<「人間はなぁ! 自分の行動を完璧に説明できるほど賢かねぇんだよ!!」という言葉を思い出す(笑)
>つくづく関西の社会の異常さは救いようがないな。なんだっけ?
<『いんちき』からだが、あの漫画の中でも最高傑作のセリフだ(笑)。どの辺が昔の中共並かな?
>日勤教育とやらは人民裁判みたいなもんだ。やる側の管理職や幹部はさしずめ紅衛兵か。
・・・
この日はニュースで、JR側の記者会見中、例の「捜査に予断を与えないため云々」でそれまでの発言を翻しているのを見たため、私は↑のように返していました。
私はこの
「日勤教育」が非常に気になり、検索してみたところ、
見出しだけで“いかにもな”内容がいくつもヒットしました。
特に関連リンク先(HOMEをクリックしたところ、JR総連だった)には、詳しくその
“人民裁判”っぷりが載っていました。
(引用開始)
日勤教育は要するに乗車から外して、衆人環視の中で真ん中に机をおいて見せしめのためのさらし者にされる。9時から17時45分まで拘束されて(昼は1時間の休憩があるが)まわりの管理者から、常時見張られてたばこも吸えない。お茶も飲めない。トイレに行くにも管理者がずーっと付いていく。そこで反省文を書かされる。この方は5月には表彰を受けている。20年間事故歴、何にもない。そこで「(過去の)事故について書きなさい」と言われても、書くことはない。書かないと許されないから、他の人のを書く。またそれを責められる。というようなことで、だいぶ精神的に追い詰められていったという話です。
(引用終了)
これって、落合信彦の『ジョークで時代をふっとばせ!』にあるアネクドート(ロシアの小咄)でいえば、
(引用開始)
ある日、スターリンがべリアを呼びつけた。
「私の時計がなくなった。すぐに調べろ」
30分後ベリアが戻ってきた。
「閣下、30人の容疑者を捕らえましたが、皆、閣下の時計を盗んだと白状しました。30人は全部処刑しました」
これに対してスターリンが、
「もういいんだ。時計は引き出しの隅にあったよ」
(引用終了)
と
全く同型の事象ですね。
さらに情けないことには、この「日勤教育」は
日本人なら誰もが皮膚感覚で理解でき、また経験もあるであろう事象だということです。
JR総連のページを読んで私は、いつものように
「アカの手先の近畿豚め!」(注1)と思いましたが、ここで
“電撃的に”、今まですっかり忘れていた過去のある記憶を思い出しました。
冒頭の兄とのメールの続きに戻りましょう。
<俺も中学で廊下を走ったりすると、学年の前で自己批判を求められたもんだな(遠い目)
>当時の○中の教師陣はGHQみたいなもんでナカナカ転向しない奴は職員室で「日勤教育」をしたもんだな。
<ドストエフスキーの小説にそんなのがあるらしいな。(さすが)
>副島もこれっぽい事書いてたな。「これには参ったね。」「ひどいインチキ野郎共だったね」ってとこか(笑)
<ちょうどライ麦ネタのブログを(笑)。「中にはいい先生もいたんだけどね、その人までインチキ野郎なんだ」
・・・
説明しますと、私が通っていた中学校では、遅刻したとか廊下を走ったとか5分前(2分前だったかも)着席を守らないと、次の週の始めにある
学年集会で、自分の所属する学年の生徒全員の前で自分の犯した罪の告白と謝罪をさせる習慣というか“儀式”がありました。
また、そういうことを嬉々として教師側に密告する生徒がいたことは
言うまでもありません。
当時は自分が悪かったのだからと
“純粋まっすぐに”考えていましたが、今こうして思い出すと、これはまさしく
文革の際に起こった、悪名高き“自己批判”そのものですね。
もしその時の私が今と同じ教養を持っていたら、
頭に黒いゴミ袋をかぶり、首には「走資派」のプラカードをぶら下げて、さらに手首を後ろ手に縛った状態で皆の前に立ったことでしょう。
また、こんなこともありました。
ある日、私を侮辱した者を
実力をもって排除したところ、案の定、担任に説教を受けることになりましたが、そのやり方たるや、
教室に私と彼女(女性でした)だけを残して他の生徒を外に出すというやり方。
もちろん、教室の窓からは
「怒られている(キャッキャッ)」と、私を揶揄するクラスメート共が覗いています。
私は小学生の時から自分を侮辱した輩を
整形外科送りにして、
自分のプライドとホッブズ的権力と評価(注2)を守ってきた人間ですので、
「あんなクズ共を殴って何が悪いのですか?」(←本当にこう言った)という当然の態度で臨みました。
その新任の女性教諭は、当初簡単に私を説得できると思っていたようですが、
あまりにも私の言ったとおりなので、
「君の言うことも分かるけど…」とトーンダウン。結局、その場は時間切れで
仕切り直しになりました。(後で聞いた話ですが、彼女はこのことで相当悩み、兄の学年に国語を教えていたベテラン教師に相談にいったそうです)
この頃から私は
ヒトラー・フロイトの定理(注3/画像も)を肌で認識できていたものです。
…何だか思い出してきたら
相当腹が立ってきたので、今度母校に
質問状を出そうと思います。
どの地域、どの職場にも、
アカの手先がいるようですが、今度は私は負けません。
(中学校の名前を出そうかどうかかなり悩みましたが、
イギリス人らしく、「復讐の最高の料理法は冷まして出すこと」にします)
注釈:
注1…元ネタは「フルメタルジャケット」のハートマンのセリフより。
近畿圏は反戦平和NGOや、土井たか子や辻本清美を代表とする社民党関係者の出身が多いため。阪神大震災の“教訓”以降こう呼ぶ。
注2…
“人間は誰しも、自分で自分を評価するのと同じ程度に仲間も自分を評価すべきだと考えている。そして当然ながら、どんなことであれ、軽蔑されたり過小評価される兆しを感じると、自分を軽蔑する者には危害を与え、その他の者には戒めを与えることによって、彼らからより大きな評価を引き出そうと懸命に努力する” (ホッブズ『リヴァイアサン』)
注3…
“アノミーは、社会学者によって発見されたほかに、ヒトラーとフロイトによっても発見された。フロイトは、隊長と部下との関係においてこれを発見した、どんな苦戦の中においても、隊長がが泰然自若としていれば、兵隊はよく眠りよく戦う。厳正な軍規が保たれ、依然として強い軍隊でありうる。しかし、指揮官が慌てふためいたらどうなるか。アノミーが発生して軍規は失われ、兵隊はあっと言う間に潰走するであろう。軍隊が崩壊するのである。
ヒトラーはこれをローマ教会に見た。ローマ・カトリックは、なぜ一五〇〇年以上にもわたって世界最大の宗派たりうるのか。
その理由は、絶対に過ちを認めないからである、とヒトラーは気付いた。プロテスタントはじめ多くの人々から、ローマ・カトリックに対して批判、攻撃の矢が向けられた。が、ローマ・カトリックは、絶対に教義の過ちを認めない。それでいて、時代に合わないものは、気が付けば、いつの間にか改定されていた。このようにして教義と法王の絶対無謬説は維持されてきた。
これこそが、ローマ・カトリックが、一五〇〇年もの風雪に耐え世界最大の宗団でありつづけてきた理由である――ヒトラーは、このように説明する。
急性アノミーの理論は、またヒトラー・フロイトの定理ともいう。この定理を換言すれば、こうなる。カリスマの保持者は絶対にカリスマを手放してはならない。傷付けてもならない。もしカリスマが傷つけられれば、集団に絶大な影響が及ぶでろう。もしカリスマを失えば、集団は崩壊するであろう”(小室直樹『大東亜戦争ここによみがえる』/添付画像も同書より)
http://blog.livedoor.jp/eccentric8/archives/14956979.htmlも参照のこと。
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Posted at
2005/05/01 01:55:31