2005年03月30日
旅立ちのとき
3月もあと数日、学校は新しい学期がすぐ。
私が学んだ小学校・中学校はクラスがひとつしかなく、私の年は27人で中学の全校生徒でも68人でした。
保育園は複数有ったので小学1年の時には新しい友達が出来たけれど、小学からそのまま中学に上がるので後の9年間はさほど”新しい風”も無かったんですね。ですが結びつきも強かったんですよ。
”新しい風”が有るとすれば新しくやってくる先生。離島の五島の最も奥まった所にある私の町の学校には、毎年新任の若い先生が着任してきます。が、だいたい2~3年後には中央(長崎本土)に帰っていきます。
また、中学卒業後も高校に上がる人の方が当時は少なく、昭和初期ではないけれど私の同級生の女子3人は愛知の紡績会社に集団就職しました。
そういう町から転出していく先生や、旅立っていく友達を見送るのがまさにこの時期。
出発の日時は予め校内で告知されます。大体がバスかタクシーでした。その日になると発車の2~3時間も前から親子供関係なくみんな集まってきます。しばし名残を惜しんだ後、車の窓を開けた先生や友達に紙テープを渡します。
一人1本ではありません。3本も5本も・・・ ですから手には色とりどりの大きな花束のよう。
発車と共にみんな追いかけながら手を振ります。紙テープが絡まったり切れたりしないよう広がりながら。
運転手さんも暫らくは気を使ってゆっくり走ってくれますが、沢山の紙テープを引いたバスは青い海の側の道を走り、すぐくねった道の先に消えてしまいます。
何度も泣きましたよ。残ったテープがまた悲しさを誘うんですよね。
私が高校に進学するのに島から出た時は、フェリーでした。蛍の光が流れる中、だんだん岸壁から離れていくフェリーから延びる沢山の紙テープは今でも忘れる事が出来ません。
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五島・やんちゃ期 | 日記
Posted at
2005/03/30 12:44:59
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